文字数 873文字

 「わたしは、そう思うけれど。」 
 わたしは、自分の気持ちと反対の意見を伝えた。ロサンが思い止まるのを微かに期待しての言葉だった。しかし、その朝のロサンは、珍しく決断が早かった。
 「一緒に行ってくれないか。」
 ロサンの目は、本気だった。わたしは、軽く肩をすくめて見せてから、自分でも信じらないぐらいに優しく微笑んで言葉を返した。
 「それは、貴男の役目でしょう。それに、今日がわたしにとって、とても大切なのは知っているわね。」
 その言葉に改めてその日の重要さをお互いが認めた。ロサンは、黙り込んでしまった。
 わたしの他にもその日を必要としている者がいたとしても不思議でなかった。もしも、キラトが姿を現したのが偶然でないなら、気持ちをしっかり持って何時も以上に用心し身を正しておかなければならないだろう。注意深く立ち振舞わなければ、とわたしは密かに思った。
 『若い頃のように愚かな姿は見せられない。』
 わたしの気持ちが動かないのは、ロサンも予測していたのだろう。それでも、一縷の望みを抱いて懇願したのかもしれない。ロサンの行動を馬鹿にするつもりもなかった。ロサンは正直で真剣に物事に当たれる男なのだ。良くも悪くもそのような生き様を若い頃から続けていた。
 ロサンが立ち去った後、わたしの中で悲しい思いと辛い気持ちがせめぎ合っていた。いい歳をして泣き出しそうになった。
 『こんなに辛いのは、いつ以来だった。』
 わたしは、自分の気持ちに惨めになりながら糺していた。
 『‥‥だから、あの男はダメなのよ。』
 少しばかり機嫌が直るのを待つために、もう一杯のお茶を飲まなければならなかった。
 帰り道に、わたしは旅に出ようと決めた。

 夜になるまで気持ちが塞がっていた。殺風景な部屋の中を歩き回った。至らない考えに囚われているのが判り立ち止まって溜息を零した。
 「‥‥もぅ、どうすればいいのよ。」
 声に出したことで気持ちが挫けそうになった。思いつく限り過去の出来事を引っ張り出した。どう考えてみても打開策に辿り着けなかった。
 「とりあえず‥‥、探してみるのが最善ね。」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み