文字数 946文字

 早春の或る朝、珍しく昔からの友人が姿を見せた。ロサンは偶然を装っていたが、わたしを探していたのだろう。向こうからテーブルに近付いてくると挨拶をした。
 「今日は運がいい。君と一緒に朝食がとれるなんて素晴らしい。」
 気付かないふりをしていたわたしは、優しい笑顔を返して驚いて見せた。
 「‥‥珍しいわね。朝がお忙しい貴男にしては。」
 わたしは、向かいの席を進めて言葉を続けた。
 「あの娘は、どうしたのよ。今朝は、一緒じゃないの。」
 「いやいや。俺だって独りになりたいときもあるよ。」
 髪の毛が薄くなって年齢より老けて見えたが、話し方も身のこなしも若い頃のままだった。歳を重ねて社会的な立場が確立し、お金も持っていたかもしれないが、考え方はあの頃とあまり変わらないように思えた。そう見ると、少し可哀そうで一人含み笑ってしまった。だから、昔のままに通称で呼ぶのを躊躇わなかった。
 「それで、一人で朝食なのね。あの娘、ヤキモチ焼きさんなんでしょう。」
 「そう言うなよ。」
 ロサンは、ご機嫌だった。時おり街で顔を合わしたが、普段なら挨拶程度で済ませた。わたしが、この小心者を見る度に親子ほどに齢の離れた若い娘との結婚式を想い返し同情するのを知ったなら困惑しても感謝はされないだろう。
 「最近は、健康のために散歩を勧められているしね。」
 ロサンが質問もされないのに事情を話す癖は、お人好しだけの問題でないように思えた。
 結婚を機にロサンの服装の趣味が良い方に変わるのを少し期待していたわたしは、その朝の若い男が着るようなデザインに幻滅して軽い皮肉を混ぜて称賛を口にした。
 「そのシャツ。何処で売っているの。」
 「えっ、‥‥隣町だろう。たぶん、先週かな、あいつが買ってきた。」
 わたしがその趣味を褒めてみると、ロサンは小さく不平を並べた。
 「少し窮屈なんだよ。もう少しゆったりしている方が楽だろう。」
 「若い頃は、痩せていたわね。」
 ロサンの案山子のような青年時代の姿形を想い返すと、歳月の残酷さを見せられた気がして複雑だった。

 その後、ロサンは思い付いたような取るに足らない昔の出来事を話題にした。わたしは、迷っているロサンに気付いていたが話をいつ切り出すのかと、少し意地悪く親身な振りをして相槌を返した。
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