文字数 1,160文字

 部屋に帰ると、ロサンから連絡が届いていた。キトラの噂話を伝えてきたのだろう。伝え終えたなら、その後の行動も予測できた。断る理由がなかった。
 「車は、わたしが用意するから。そちらのほうは、付き合うわよ。でも、わたしが一緒だと言わないでね。約束できる。」
 借りた古い車は、丁重に整備され調子が良かった。古城の浜辺が一望できる丘陵を巡って待ち合わせた岬の酒場に向かった。

 ロサンが時間に遅れて姿を見せるのは、昔のままだった。わたしの顔を見て、長い言い訳を始めた。
 「‥‥いいのよ。待ったのは、少しだから。」
 「あの車で行くのか‥‥。」
 ロサンは、店の前に停めている車を見て本気で困惑していた。予測できた慌てようが可愛くて少し揶揄ってみた。
 「わたしの運転は、嫌なのかしら。」
 溜息をつくロサンの決断が澱んでいた。
 「貴男の運転でもいいけれど。」
 「‥‥古い思い出が乗っているからな。」
 ロサンの言葉は、沈鬱に陰っていた。迷っていながら感傷深い話し方をした。そんな言葉が話せるほど余裕があるのかと、邪推したくなった。
 「死神も乗っているしね。」
 わたしの少し意地悪な言葉に男の顔色が変わり視線を逸らせた。ロサンは車の所有者に苦言を並べた。
 「俺でも、こんな車は貰わないよ。それに‥‥。」
 「貴男と違うでしょう。あの人は、寛容を履き違えているから。」
 それ以上は、お互い言い返さなかった。ロサンが先に運転席に乗り込んだ。岬からの急な葛籠折りの車道を速度を落として降った。
 岬が連なる南の入り江に漁村があった。
 車から降りると、ロサンがもう一度念を押した。
 「本当に、俺一人でいいのかい。」
 「わたしは、ここまでよ。分かるでしょう。」
 そう優しく言った。キャサリナの思い出とともに懐かしい顔が浮かんだ。だが、感慨はそれだけだった。

 ロサンは、戻ってくるのが遅かった。予想していたから驚かなかったが、本心は少し羨ましかったのだろうか。車のボンネットに腰掛けて煙草を何本か吸った。夜の海の響きが穏やかだった。満月に照らされた海原は、遠く水平線まで望めた。
 あのようにゆっくりと夜の海を長く見ていなかったことに気付かされた。注意深く想い出そうとしても断片の景色すら表れなかった。
 「‥‥あぁ、そうか。」
 わたしは、思わず声に出した。突然、蘇った色褪せた古い記憶に納得した。ドナと初めて会った夜、古城近くの丘陵まで送った海辺の景色が鮮明に思い浮かんだ。真夏なのに星の煌めきが凍てつくように冴えていた。あの夜、車にも垂れて明け方近くまで居たのだ。深い記憶の底を探りながら静かに呟いた。
 「‥‥だから、好い男なんだ。」
 振り返らない若い男の潔さが眩しかった。

 わたしが感慨に耽って有意義な時間を過ごす間、ロサンが戻らなかったのは嬉しかった。 
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