12

文字数 1,811文字

 朝早くに借りた車で海辺の見える丘陵を訪れた。逢わなくてよい人物と出会う危険を冒してまで向かった自分に呆れながらも不思議な思いでいた。この数日の出来事が用心深くさせていた。
 丘陵の車道から浜辺の古城を眺望した。昔から変わらない景色を目にするたびに何時も思うのは、時の悠久な長さに絡めとられて空しさや諦めや恐れや羨ましさが入り混じる複雑な心境になってしまうことだった。
 「‥‥ここからの景色は、とても素敵なのにね。」
 わたしは、小さく溜息混じりに呟いた。

 暫く後、車を引き返した。行き先に迷っているのが、少しばかり疎ましかった。若い頃は、年齢を重ねれば落ち着くだろうと、微かな望みを抱いていたのだ。
 丘陵を降る最初の三差路で決めることが出来た。居るかどうかは分からないが、東の山間にある田舎に向かった。最後に訪れた日が想い出せない程に間隔が開いていた。
 子供が手を離れ妙齢になっても主婦になり切れない女友達のレイサが嫁いだ田舎は、そのような伴侶を選んだガインの生まれ故郷だった。ガインの気持ちを察すると、少し気分が楽になった。
 ガインは、朝早くから遠くの畑に出掛けていた。向こうの小屋で数日滞在するのを知って安堵した。
 突然の訪問にレイサは、迷いなく胸の中に飛び込んでくると甘えた。
 「‥‥もぅ、ここには来てくれないのかと思っていたの。」
 わたしは、そのつもりだった。それでも、髪を優しく撫でる冷静さは失っていなかった。
 「誰も怒っていないでしょう。」
 「‥‥うん、そうじゃないけど。」
 レイサは、幾つになっても考えの浅い女だった。同性から見れば苛立つことばかりで目に余った。そんなお人好しを利用ばかりして陰口をたたく女も多かった。でも、ガインの選択は、間違っていなかっただろう。わたしが知っている女子の中でも性格は良いし、何よりも料理上手で器量よしだった。
 「それで、その手のお弁当はどうするの。まさか、毎日三度届けているの。」
 泊りがけで遠くの畑に出掛けたガインが弁当を待っている姿を想像すると、笑いを堪えるのに苦労した。
 「彼は、料理も上手だったでしょう。」
 わたしの言葉にレイサは、恋人時代を想い出させるような仕草で初々しくはにかんだ。
 「‥‥ねぇ、一緒に行きましょう。ガインは、信じてくれないわ。」
 レイサは、そう懇願し私の腕から手を離さなかった。
 わたしの突然の訪問をガインは知ったなら、仕事を途中で投げ出して帰ってくるだろう。出逢った頃からわたしにとっては、何を仕出かすか予測の立てられない目の離せない弟のような気になる存在だった。ガインが、わたしをどのように見ていたか想像しようと思わなかったが。
 積もる話もあったが、考えるだけでも笑いが込み上げてきた。レイサに約束させた。
 「わたしが来ているのは、言わないでね。」
 小さな単車で往復が一時間ばかりかかる距離を、レイサが足蹴く通っている姿が意地らしかった。ふと、わたしがその立場にいる姿を想い描き独り心で呟いた。
 『‥‥ありえないけど。』
 レイサを見送ってからお気に入りのテラスで過ごした。若い頃、ガインの田舎に仲間達と何度も押しかけた。その頃は、ガインの両親も健在で主になって働いていた。ガインは、農場主の息子と思わせない若者だった。大学で哲学を専攻していたからだろうか。
 手作りの椅子に体を預けて山間の向こうに流れる雲の行方を、ぼんやりと眺め過ごして待った。
 ご機嫌な様子で戻ってきたレイサを目にして、わたしは思わず微笑んで迎えた。わたしの表情が優しかったからだろう。
 「‥‥どうしたの。もしかして、恋人ができた報告を聞かせてくれるの。」
 レイサの勘違いが可笑しくて、滞在することに決めた。

 あの数日、少しばかり活動的になっているのを憂いた。それでも、体を動かしていることで気持ちがまぎれるのが嬉しかった。
 昼間は、よもや話で過ぎた。夜になっても語り合っていた。最後には、夜具の中まで続いた。一つの夜具の上で独身の頃に戻ったように話は尽きなかった。海辺での込み入った出来事に煩わされることなく解放感に暫くでも浸れたのは幸いだった。
 一日が二日になり、気が付けばガインが戻る前日になっていた。
 「二人の秘密よ。ガインを少し惑わせましょう。」
 別れ際にレイサに言い含めた。

 海辺の町に戻ると、車を返しに館に寄った。執事に鍵を手渡しながら伝言を受け取った。 
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み