めぐり逢う季節に 【丘陵の塒】

文字数 1,998文字

 朝が早い約束の時間にタクシーは到着していた。後になりレドが一日の大半を車で過ごしているのを知っても驚かなかった。レドは、この浜辺で自分の居場所を知る一人なのだろう。理由はどうであれ稀な人間に違いなかった。口数が少ない若者の生き様は、浜辺の変わりやすい天候よりも確かに思えるのだった。
 昨日からの雨は、静かに降り続いていた。郊外の丘陵の尾根に慎ましい小屋があった。港町が一望でき、視線を移す反対側には岬と半島とに隔てられた古城の建つ湿地帯が見渡せることができた。車道の側の駐車場でMが待っていた。私は、その場所から受ける印象を伝えた。
 「風が強いのですね。」
 「ここは、海からの風の通り道ですから。」
 石を積み漆喰で塗り固めた煉瓦色の屋根の小屋に歩きながらMは説明した。
 「元々、麓に住んでいました。その頃は毎朝、どんなに天候が悪くてもここまで散歩に訪れたのですよ。」
 Mは、七年前からこの場所に移り住んでいる話をした。
 「ここでシルビアは、一日を有意義に過ごしています。本を読んで、スケッチをして、手紙を書いて、外の景色を飽きることもなく眺めています。人の幸せは、人それそれれですから。羨ましがる人もいるでしょうね。」

 簡素な居間で車椅子の老女が待っていた。私が想像するシルビアの容姿に近く安堵した。初対面の挨拶を交わし暖炉の前で話が始まった。
 「何からお話しましょうか。」
 遠い過去を愛しみ大切にする話出しは好感が持てた。柔らかな口調ながら真実を包み隠さずに語れる強さを秘めていた。この場所を訪れるまで私は、今日から遡って話を聞こうと考えていた。実際にシルビアに逢ってみると、浜辺の始まりから聞かなければ私が求め知りたい全貌に辿り着けない思いになった。
 「可能であるなら、この浜辺の歴史と貴女が知る昔の出来事から聞かせて頂ければ有難いのですが。」
 私の提案は、意外だったのかもしれない。不躾な頼みにもかかわらずシルビアは嬉しかったのだろう。皺くちゃの顔を綻ばせて気遣った。
 「少し長くなりますが、大丈夫ですか。」
 「明後日までの休暇ですが、お招きいただけるのなら再訪して続きを聞きたく思います。」
 私の返事にシルビアが笑顔で受けた。
 「歓迎しますよ。貴方のお陰でわたしは、もう少し長生きさせてもらえそうですね。」
 「シルビアの口癖に魅入られないでね。」
 Mが、お茶の用意をしながら口を挟んだ。
 「季節の変わり目に『もう少し長生きさせてもらえそうだわ。』って必ず云うのだから。」
 出されたお茶は、深い森の奥深くに隠される湖水を想像させる神秘的な香りだった。私が率直な感想を述べるとにMは、 微笑み賛辞した。
 「素敵な感性をお持ちですね……。」
 「不思議な話になりますが、ルーミナイの写真を目にしたときも同じような感覚を受けたのです。」
 「……そうなのか。その感性が導かせたのでしょうね。」
 Mの眼差しは、私の気持ちを揺らせる優しさがあった。
 私は持参したルーミナイの写真集を取り出し見せた。シルビアの興味深い視線が写真に注がれた。私は、一枚の写真に写り込む肖像画に魅せられ浜辺を訪ねることになる理由を伝えた。
 「これは、アリア様の肖像です。……ですが、ここは、墓所の中なの。」
 シルビアは、迷い驚き呟いた。写真をもう一度確かめ見た後、腑に落ちないままの声で語った。
 「記憶が正しいのなら、そうなのですが……。墓所の鍵をドナ様は、持っていないはずです。扉が封印されてから、ただ一つ残った鍵を沈めるのに立ち合いましたから。」
 そこで一旦言葉を止めて少し考えこんだ。窓の外に目を向けてそこから海辺の古城を眺望してから話し始めた。
 「まずは……、この場所に暮らす理由から聞いて頂きましょう。」
 シルビアの話は、毎朝欠かさずMに付き添われ散歩へ出掛ける日課からだった。
 「同じ景色なのですが、日々表情は違って見えます。一日の間でも刻々と変化して総てに新鮮なのですよ。」
 シルビアは、ゆっくりと語った。
 「終の塒にこの場所を選んだのは、奉公に上がった古城を観ることができるからです。」
 私は、話しの途中で疑問を質さなかった。シルビアの丁寧な話を聞き続けると、話しの流れの中で解決できるように思えた。
 「わたしが生まれた土地は、ここから遠く南東に奥入った丘陵が連なる田舎です。」
 シルビアが淡々と語り続けた。僅かばかりの借地で葡萄を育てる季節労働者の家の長女であったシルビアは、子供の頃に浜辺の町に一人移り住み働き始めたのだった。辛かったでであろう幼少の日々を不平不満も愚痴も悲しみもなく語れるのは、シルビアが歩んできた年月の過酷さを人生の糧として取り込んでいるからだろう。言葉には、誠実さと強い説得力を兼ね備えていた。
 「わたしは、幸運でした。皆様に大事にして頂けましたから。」
 シルビアは、感謝を伝えた。
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