終章

文字数 934文字

 季節は、春から初夏に向かおうとしていた。 

 朝に訪れた店でドナの近況を耳にした。
 ドナが養女アンナの一人娘に館を譲る話は、困惑と共に深い溜息を齎した。事実であるなら、この期に及んでドナの決断は、象徴的な出来事のように思えた。このまま暑い夏になるのを考えると、気が滅入った。
 「君も、マルゴ(マルガリータの愛称)に魅かれていたのは知っていたけれど。」
 わたしは、独り呟いた。キラトの密かな恋心を思い起こしながら。
 「‥‥罪作りな女ね。死して直、引っ張ろうとするなんて。」

 従兄夫婦の養子であったアンナをドナが引き取り育てた理由は憶測できるものだった。
 わたしは、その頃から海辺にいながら距離を置いていた。深く考えないようにしていたからだろう。それでも、アンナの娘に館を譲り隠居するドナの気持ちは分からないでもなかった。
 『‥‥アンナは、三十一歳。娘は、十三歳だったかしら。』
 そう思い浮かべた。夫の戦死した後、アンナが森の奥深い家で一人娘を育ているのは知っていた。喪服姿のアンナが、町に出る姿は一度も見かけなかったが。
 『‥‥娘は、お婆様によく似ているといったかしら。』
 この時期に移住させるドナの理由を邪推したくなった。ドナの五十歳をすぎた年齢から思えば意図的な行動に感じた。
 『‥‥同じ遺伝子を持つものなら、そうしてしまうわね。‥‥ドナでなくても。』
 ドナが目を患い失明してから十年以上が過ぎていた。考えて見れば、ドナが七年前にジィーノに事業を任せて社交界から離れたことも伏線の一つと思えた。
 『‥‥それで、今なの。十三歳になるのを待っていたの。』
 そう思いたくなかったが、理由の一つでもあったのだろう。キラトの出現が意味を持ってくるのを認めそうになった。
 「すべてが‥‥、繋がってくるじゃないの。」
 わたしは、声に出していた。
 「‥‥それにしても、あの娘の名前はいただけないわ。祖母と同じマルガリータだなんて。」
 名付け親が、ドナであるのを疑っていなかった。

 ドナの隠居先は、誰も知らなかった。探す手立てはあったが、わたしはそうしなかった。今でも、その考えが正しかったと信じていた。
 「必要があれば、向こうから連絡があるでしょう。」
 ドナの館を眺めながら呟いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み