めぐの逢う季節に 【守人の館】
文字数 1,955文字
「あの古城に、今はだれも住んでいません。二十年もの昔、マルガリータ様がお亡くなりになられた夏の終わりに失火して以来そのままの状態です。」
古城が深い眠りに入ったようだと、シルビアは言い表した。その景色を思い浮かべているのだろうか。続く言葉には静謐な説得力があった。
「人の手が入らない無垢な始まりの頃に返っていくのでしょう……。」
シルビアの話は、少しずつ過去に旅立った。
「土地の言い伝えによりますと、あの場所に古の礼拝所があったそうです。最初は、波打ち際の小高い岩山そのものが神聖な場として崇拝され、次に小さな祠が創られたそうです。 その後、礼拝所の役割を備えた砦に変わり、中世から近世にかけては軍事拠点の要塞として使われ、戦争のない時代が訪れると、幾度か人手に渡った後、今の所有者一族の先祖が買い取って大改築したと聞きます。わたしが浜辺の町に来た頃、古城は【守人の館】とも呼ばれていました。」
シルビアが語る古城の歴史は、興味深かった。
「わたしが二十歳の頃です。古城へ奉公に上がりました。冬の風が強い日で、古城全体が咽び泣いているような陰鬱な雰囲気に気圧されて門前で足を竦ませたのを憶えています。」
遠い昔を懐かしむかのようにシルビアは、視線を遠くに泳がせていた。
「古城で待っておられたのは、十五歳のアリア様でした。お人形のように容姿が美しく驚かされました。今までにお会いするどの御方よりもお綺麗であられました。遠縁のお嬢様と聴かされていましたが、実のところは都会で仕事をなさるご当主の許嫁で逗留されていらしたのです。」
初対面でありながらアリアから手を取られ長椅子の端に座らせてもらう情景をシルビアが語った。
「有難いことに、最初からわたしを気に入って下さいました。アリア様は、所作も喋り方も洗練され上流階級の生まれ育ちを窺わせる淑女でした。年若いのにわたしよりも年上のような落ち着きがあり寛容で慈悲深かったのです。見かけの美しさ以上に心が清くあらせたのでしょう。アリア様にわたしは一瞬で虜となり、誠心誠意お仕えさせて頂くこととなりました。」
少女アリアの秘める感性が伝わる逸話だった。
「あの頃は、片時もアリア様のお傍から離れずにいました。家庭教師の授業の時もお部屋の片隅で座ってお待ちいたしました。古城の中をわたしを従えてお歩きになられるお姿は、他の使用人らにどのように映っていたでしょうか。」
シルビアの語り口は、それらの様子を想像させる魅力があった。
「理由は存じ上げませんが、アリア様は日々を古城で過ごされました。砂浜に下りて海辺の散歩もなさいません。週に一度、丘向こうの深い森に囲まれる礼拝所に赴くのが唯一の外出でした。」
古城からは、港まで船を使い迎えの車で森の礼拝所に通うようすを説明をした。
「現在は、その場所にドナ様の館があるのですが、その頃は廃墟のような古い礼拝所だけが寂しく建っていました。地元の人から忘れられ訪れる人もいないあの場所に参拝するのが不思議でした。港町には祭祀を司る御方が常駐される立派な礼拝堂もあるのに、どうしてあの礼拝所なのか理解が及びません。一度だけ、アリア様に訪れる理由を尋ねたことがあります。」
シルビアの説明は、その有様を思い描かせるほどに豊かだった。
「アリア様は、わたしの疑問に柔らかく微笑み『夢で見た景色と同じなのです。』と答えて下さいました。わたしが、言葉の意味を掴みかねて惚けた視線を向けていたからなのでしょう。アリア様は、わたしの肩を優しく抱き寄せて耳元にそっと教えて下さいました。『これは、二人だけの秘密にしましょう。』」
アリアが不思議な能力を持っていたと、シルビアは話した。
「最初は、勘が良いだけのお嬢様だと思いました。ですが、それだけでは済まされない不可解な言動に幾度も遭遇したのです。」
アリアの特異な感覚を語るシルビアの逸話は、聞く人を戸惑わせ畏怖されるものだった。にわかに信じられない私は、警戒しながらも聞く身の礼節を保ち続けた。
「時折、見えないものが見えるような眼差しは、生い立ちが災いしているからなのかもしれません。闇に恐れ独りに怯える繊細さも、そうであられたのでしょうか。」
アリアの素性を詳しく聞かされていないシルビアは、一族の遠縁にあたる立場であるとだけ教えられていたのだ。
──わたくしには、幼い頃の記憶がないのです。
そう話すアリアは、シルビアの過去に興味を示した。
「アリア様は、寝入る前に枕元での語りを好みました。わたしが生まれ育った土地の伝説を、毎夜楽しみにして目を閉じて聞き入りお眠りになられたのです。」
本来なら許されないのにアリアから懇願されてシルビアは並んで夜具に入り語らったのだった。
古城が深い眠りに入ったようだと、シルビアは言い表した。その景色を思い浮かべているのだろうか。続く言葉には静謐な説得力があった。
「人の手が入らない無垢な始まりの頃に返っていくのでしょう……。」
シルビアの話は、少しずつ過去に旅立った。
「土地の言い伝えによりますと、あの場所に古の礼拝所があったそうです。最初は、波打ち際の小高い岩山そのものが神聖な場として崇拝され、次に小さな祠が創られたそうです。 その後、礼拝所の役割を備えた砦に変わり、中世から近世にかけては軍事拠点の要塞として使われ、戦争のない時代が訪れると、幾度か人手に渡った後、今の所有者一族の先祖が買い取って大改築したと聞きます。わたしが浜辺の町に来た頃、古城は【守人の館】とも呼ばれていました。」
シルビアが語る古城の歴史は、興味深かった。
「わたしが二十歳の頃です。古城へ奉公に上がりました。冬の風が強い日で、古城全体が咽び泣いているような陰鬱な雰囲気に気圧されて門前で足を竦ませたのを憶えています。」
遠い昔を懐かしむかのようにシルビアは、視線を遠くに泳がせていた。
「古城で待っておられたのは、十五歳のアリア様でした。お人形のように容姿が美しく驚かされました。今までにお会いするどの御方よりもお綺麗であられました。遠縁のお嬢様と聴かされていましたが、実のところは都会で仕事をなさるご当主の許嫁で逗留されていらしたのです。」
初対面でありながらアリアから手を取られ長椅子の端に座らせてもらう情景をシルビアが語った。
「有難いことに、最初からわたしを気に入って下さいました。アリア様は、所作も喋り方も洗練され上流階級の生まれ育ちを窺わせる淑女でした。年若いのにわたしよりも年上のような落ち着きがあり寛容で慈悲深かったのです。見かけの美しさ以上に心が清くあらせたのでしょう。アリア様にわたしは一瞬で虜となり、誠心誠意お仕えさせて頂くこととなりました。」
少女アリアの秘める感性が伝わる逸話だった。
「あの頃は、片時もアリア様のお傍から離れずにいました。家庭教師の授業の時もお部屋の片隅で座ってお待ちいたしました。古城の中をわたしを従えてお歩きになられるお姿は、他の使用人らにどのように映っていたでしょうか。」
シルビアの語り口は、それらの様子を想像させる魅力があった。
「理由は存じ上げませんが、アリア様は日々を古城で過ごされました。砂浜に下りて海辺の散歩もなさいません。週に一度、丘向こうの深い森に囲まれる礼拝所に赴くのが唯一の外出でした。」
古城からは、港まで船を使い迎えの車で森の礼拝所に通うようすを説明をした。
「現在は、その場所にドナ様の館があるのですが、その頃は廃墟のような古い礼拝所だけが寂しく建っていました。地元の人から忘れられ訪れる人もいないあの場所に参拝するのが不思議でした。港町には祭祀を司る御方が常駐される立派な礼拝堂もあるのに、どうしてあの礼拝所なのか理解が及びません。一度だけ、アリア様に訪れる理由を尋ねたことがあります。」
シルビアの説明は、その有様を思い描かせるほどに豊かだった。
「アリア様は、わたしの疑問に柔らかく微笑み『夢で見た景色と同じなのです。』と答えて下さいました。わたしが、言葉の意味を掴みかねて惚けた視線を向けていたからなのでしょう。アリア様は、わたしの肩を優しく抱き寄せて耳元にそっと教えて下さいました。『これは、二人だけの秘密にしましょう。』」
アリアが不思議な能力を持っていたと、シルビアは話した。
「最初は、勘が良いだけのお嬢様だと思いました。ですが、それだけでは済まされない不可解な言動に幾度も遭遇したのです。」
アリアの特異な感覚を語るシルビアの逸話は、聞く人を戸惑わせ畏怖されるものだった。にわかに信じられない私は、警戒しながらも聞く身の礼節を保ち続けた。
「時折、見えないものが見えるような眼差しは、生い立ちが災いしているからなのかもしれません。闇に恐れ独りに怯える繊細さも、そうであられたのでしょうか。」
アリアの素性を詳しく聞かされていないシルビアは、一族の遠縁にあたる立場であるとだけ教えられていたのだ。
──わたくしには、幼い頃の記憶がないのです。
そう話すアリアは、シルビアの過去に興味を示した。
「アリア様は、寝入る前に枕元での語りを好みました。わたしが生まれ育った土地の伝説を、毎夜楽しみにして目を閉じて聞き入りお眠りになられたのです。」
本来なら許されないのにアリアから懇願されてシルビアは並んで夜具に入り語らったのだった。