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文字数 982文字

 その日は、静かだった。夜明け前から霧が立ち込め篠突く雨に港町が煙っていた。春先の季節は、海辺から低い丘陵の窪みを乗り越えて港がある街に霧が押し寄せた。そのような時期に、不吉な噂が立ち広がることがあった。幾度かわたしを苛立たせ身震いさせ落胆させた話が脳裏を過った。
 ──わたしが見たものが、真実だなんて信じないでね‥‥。
 古い女友達の言葉が想い返った。臆病なくせに立ち止まらない性格だった。わたしを失望させない話題を提供してくれた。用心深く思いだしながら呟いた。
 「‥‥こんな日は、大人しくしないと。」

 遠い昔に火事があった朝も霧雨だった。その一報が誰から齎されたのか憶えていない程に気持ちは動転していた。誰も住んでいない浜辺の古城に消防車が急ぐ警笛を遠くで聞きながらわたしは、迷い苛立ち泣き出していた。車がないのが悔しかったが、急ぎ駆けつける意味も探せなかった。部屋の中を歩き回り夜になった。
 誰からも連絡が来なかった。独りで悶々と考え過ぎるて辛く、昔に収めた必要のない会話が蘇り混乱した。わたしは、心の中で何度も問質していた。
 『‥‥愚かなのは、誰よ。』
 「‥‥馬鹿なのは、わたしだったの」
 最後は、涙声で呻いていた。
 「信じさせてほしかったのに‥‥。」
 数日の間、わたしは部屋に引き篭もった。三日目の朝、わたしを心配して訪れたのが意外にもガインだった。実家の農場に帰郷していたガインは、誰かの連絡を受けて駆け付けたのだろうか。わたしの塞いだ様子にガインは、本気で驚いて気遣った。
 ──わたしより、あの娘のところに行ってやりなさいよ。
 ガインは、優しい男だった。何時も陽気に軽口を操るガインの顔を見てわたしは安堵した。それでも、わたしはあの数日の一番の強がりを見せた。
 ──もう少し、考え事をしたいから。お願いね。
 ──後で迎えに来ます。食事に付き合ってくれますね。
 年下のガインの鷹揚な話し方が救いだった。わたしは、何日かぶりに寂しく笑い促した。
 ──さぁ、行って。
 ガインの単車の音が遠くなるのを待ちかねて涙が流れた。
 ──君は、優しすぎるのよ。
 呟いた後、亡き古城主の男友達と妻マルガリータの顔を想い出していた。
 ──‥‥愚かなのは、誰だったのよ。‥‥あんなもの、残していくなんて。許されると、思っていたの。

 あの日から、霧雨が煙る静かな朝は嫌いだった。
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