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文字数 1,198文字
夜の早い時間から雨になった。路面電車で港に近い酒場街に向かった。舞台が見える二階のボックス席は、厚意に甘えて使わせてもらっていた。それでも、食事と酒代は律義に支払った。
今思えば、仲間内であの席を使っているのは何人もいなかっただろう。絶対に訪れない顔が思い浮かんだ。同時に頻繁に利用している顔が出てきて溜息が零れた。
新しい歌姫が舞台に上がっていた。楽団の前で歌う若い娘の声は、懐かしさを振り返らせ危険だった。
「‥‥あぁ、そうよね。」
わたしは、独り呟いていた。感慨に耽る齢でもなかったが、少しばかりその気持ちにさせる魅惑ある歌声だった。他人の趣味をとやかく意見する程も野暮でなかった。それでも、少しは気の利いた感想を密かに考えてもわたしは許されると信じ思った。
『‥‥でもね。貴女は、少し違うのよ。』
そう胸の内で呟き、地元の美味しい葡萄酒を頂いた。
海辺の町に残ったドナが、起業して酒場を始めた理由と覚悟が慮れた。ドナの商才や強運をわたしも疑っていなかった。何よりも趣味の良さは、陰ながら認めていた。生い立ちからくるものと分かっていたが、それを素直に見せる常識の使いようを否定しなかった。
──一人でも楽しめます。
開店してすぐにドナは、招待してくれた。わたしが初めて店を訪れたのは、それから何年も経ってからだった。入口で目敏くわたしの姿を見つけた支配人が、二階席に導いてくれた。舞台が見えるボックス席に座ってみて、ドナの気持ちが改めて分かる気がした。それからは、遠慮なく使わせてもらった。
あの後、一度だけ店内でドナを見かけた。ボックス席に独りのドナを眺めるわたしは、複雑な思いだった。その頃、ドナは既に目が見えなくなっていた。今でも、歌姫ルーミナイの歌をドナがどのような想いで聴いていたのか考えることがあった。
『‥‥哀れと思わせない君は、だから素敵なのよ。』
あの時、わたしはそう心の中で認めていたのだ。
ドナが経営を人に任せてからも、わたしの気持ちと評価に変化はなかった。むしろ、気兼ねなく訪れるようになった。ドナが経営を託した男の海辺での素敵な噂を聴いていたからだろう。
食事も済み程よくお酒が入った頃、支配人が知らせを持って現れた。同席しても退屈しない男だったが、同伴者を想像すると決心がついた。支配人に謝礼を渡し空いてる隣のボックスに移った。他人の馴れ合いを鑑賞する趣味も気力も忍耐も持ち合わせていないのは、昔からだった。
もしも、世事に疎い振りをしていれば、あのような異性を立ち止まらせる女になれただろうか。
「‥‥おバカちゃんは、いいわね。」
そっと呟いて微笑んでいた。
その夜は、早々に切り上げた。美味しい食事と魅せられた音楽がわたしを少しだけ幸福にした。わたしの居場所を探し出したエリザの誘いを受ける理由は、それだけで十分だった。若い頃のようにときめき戸惑っていた。
今思えば、仲間内であの席を使っているのは何人もいなかっただろう。絶対に訪れない顔が思い浮かんだ。同時に頻繁に利用している顔が出てきて溜息が零れた。
新しい歌姫が舞台に上がっていた。楽団の前で歌う若い娘の声は、懐かしさを振り返らせ危険だった。
「‥‥あぁ、そうよね。」
わたしは、独り呟いていた。感慨に耽る齢でもなかったが、少しばかりその気持ちにさせる魅惑ある歌声だった。他人の趣味をとやかく意見する程も野暮でなかった。それでも、少しは気の利いた感想を密かに考えてもわたしは許されると信じ思った。
『‥‥でもね。貴女は、少し違うのよ。』
そう胸の内で呟き、地元の美味しい葡萄酒を頂いた。
海辺の町に残ったドナが、起業して酒場を始めた理由と覚悟が慮れた。ドナの商才や強運をわたしも疑っていなかった。何よりも趣味の良さは、陰ながら認めていた。生い立ちからくるものと分かっていたが、それを素直に見せる常識の使いようを否定しなかった。
──一人でも楽しめます。
開店してすぐにドナは、招待してくれた。わたしが初めて店を訪れたのは、それから何年も経ってからだった。入口で目敏くわたしの姿を見つけた支配人が、二階席に導いてくれた。舞台が見えるボックス席に座ってみて、ドナの気持ちが改めて分かる気がした。それからは、遠慮なく使わせてもらった。
あの後、一度だけ店内でドナを見かけた。ボックス席に独りのドナを眺めるわたしは、複雑な思いだった。その頃、ドナは既に目が見えなくなっていた。今でも、歌姫ルーミナイの歌をドナがどのような想いで聴いていたのか考えることがあった。
『‥‥哀れと思わせない君は、だから素敵なのよ。』
あの時、わたしはそう心の中で認めていたのだ。
ドナが経営を人に任せてからも、わたしの気持ちと評価に変化はなかった。むしろ、気兼ねなく訪れるようになった。ドナが経営を託した男の海辺での素敵な噂を聴いていたからだろう。
食事も済み程よくお酒が入った頃、支配人が知らせを持って現れた。同席しても退屈しない男だったが、同伴者を想像すると決心がついた。支配人に謝礼を渡し空いてる隣のボックスに移った。他人の馴れ合いを鑑賞する趣味も気力も忍耐も持ち合わせていないのは、昔からだった。
もしも、世事に疎い振りをしていれば、あのような異性を立ち止まらせる女になれただろうか。
「‥‥おバカちゃんは、いいわね。」
そっと呟いて微笑んでいた。
その夜は、早々に切り上げた。美味しい食事と魅せられた音楽がわたしを少しだけ幸福にした。わたしの居場所を探し出したエリザの誘いを受ける理由は、それだけで十分だった。若い頃のようにときめき戸惑っていた。