文字数 1,394文字

 すぐに帰りたくないのは、ロサンも同じ気持ちだったのだろう。夜が更けた岬の酒場に引き返した。夜になると姿を見せる顔見知りに合流して飲み明かしたい気分だった。
 「それで。歳の離れた可愛い奥様には、何て言って来ているの。」
 「‥‥接待だ。」
 「なによ、接待って。」
 わたしは、本気で笑ってしまった。その様子が周りを驚かせたのだろう。見かけない旅人らしき紳士と視線が合った。その時、紳士と同席していたのが、ドナの知り合いのMなのに気付いた。わたしは複雑な思いを隠し知らない素振りで、ドナと同世代の人物に会釈を向けた。
 「‥‥ごめんなさい。」
 わたしの素直な対応に紳士は、会釈を返して何事もなかったかのようにMとの会話を再開した。
 『旅人とMか‥‥、戴けないわね。何者かしら。』
 そう思いながら記憶を手繰り寄せた。Mが視線の一つも向けないのに納得した。
 『‥‥今のわたしには、関係ない男ね。』
 ロサンは、少し遅れてMに気付いた。
 「‥‥、挨拶してくるよ。」
 「止めなさい。野暮でしょう。」
 わたしは、立ち上がろうとするロサンを引き留め諫めた。
 「旅人は、もう十分でしょう。」
 「いゃ、そうじゃなくて。知っているかもしれない。」
 ロサンの気持ちを察することはできたが、あのMに尋ねるのを自尊心が許さなかった。今も昔も海辺で誰より深く物事を知っていた。そのくせに見返りを要求しないMだった。それだけに警戒しなければならなかった。
 ロサンは、未練を断ち切れずにわたしの気持ちの変化を待っていた。ロサンの無軌道な行動に愛想が尽きかけた。あの夜、漁村から帰ったロサンなら、何を仕出かし言い出すかしれなかった。それほどに気持ちが昂っていた。
 窓から眺望できる古城の暗い影が、わたしの気分を少し重く塞がせた。

 そこに、わたしの声を聞きつけて二人の男が席を移ってきた。
 「こいつの御守りか。もう、若い奥さんに任せておけよ。」
 岩のような体躯のライドは、少しも酔っていなかった。先月の礼を述べると、ライドの表情が和らいだ。
 「俺の得意分野だからな。何時でも頼まれるよ。」
 「助かるわ。‥‥それで、其方の素敵なご友人は。」
 連れていたのは、初めて見る顔だった。若い男を目で尋ねると、ライドが修復技師のアレンを紹介した。
 「遠い国からの単身赴任だ。秋口までは、こっちにいる。」
 古城の修復は噂で聴いていたが、複雑な思いだった。不意にキラトの話が真実味を帯びてきた。理由の一つであるように思えた。初対面の挨拶を交わしてアレンと知り合いになった。
 「建物の修理をなさるの。」
 「礼拝堂だけです。」
 北の地方訛りが、昔の男友達を想い出させた。技術屋らしく理路整然と話せた。雨漏りが地下の安置所に浸みている話をライドは引き継いだ。
 「古人の眠りを妨げてはならないからな。」
 「古の遺物が、一緒に納められていると聞くけど。」
 ロサンが目を輝かせて話に割り込んだ。ライドは、鼻先で笑い飛ばした。
 「遥か昔に海の向こうから伝わった聖杯のことか。そんなもの見つかった日には、世界が終わる。」
 「いゃいゃ、噂は貴重だよ。」
 昔からライドとロサンは、兄弟のようにじゃれ合った。歳を重ねた男達が子供のように燥ぐのを見るのは嫌いでなかった。

 古城の修理を誰が依頼したのか興味はあった。聞き出そうとしたが、直ぐに周りの顔ぶれを見て思い止まった。
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