第56話

文字数 2,300文字

 12時から13時の休憩時間は、雑談のネタをチァージするために、三人とも無口になりがちになる。
 それのお陰で、午後からまた長時間の雑談と労働に耐えられるようになるのだ。
エコールの休憩所は、せせこましいところでもある。二階にあるのだが、何の変哲もないテーブルが2つに、イスがそれぞれ4つある。そこには電子レンジとお湯があり、前は私はカップラーメンかコンビニ弁当を食べていた。今では安浦が作ってくれたお弁当だが……。
 私は急に心配する心が生じて、家の安浦に電話をしようかと思ったが、彼女もメイド喫茶で働いていることを思い出した。
 作業も終わりに近づくと、
「なあ、それでさ。今度の日曜日にカラオケに行くんだが、お前さん来るか。俺の美声をたっぷりと聞かせてやるからさ」
 作業中。大量のペットボトルをリサイクル機に入れながら、中村が上村に話している。
 私は田戸葉はどこへと消えたのだろうと考えている最中だった。
「赤羽くんも来るか。カラオケでもしよう」
 中村がこちらに話を向けてきた。
「ちんちんぷんぷん……。は?」
 私は仕事から別の世界へと旅立っていたが、元の世界へと戻る。
「カラオケに行こうよ」
 上村も私を誘った。私はカラオケに行ったことがないが、これ以上田戸葉やセレスのことを考えても無駄だろうと重い頭を振って頷いた。そして、今の混乱する頭が少しはよくなり、少しはスッキリするだろう。希望的観察だけれど……。
「女性を連れて行ってもいいですか」
 私は安浦も連れて行ってあげようと思った。何故だか頬が熱くなった。
 私たちは足台に乗って、早くなったベルトコンベアーからペットボトルを洗浄機に入れる作業になった。
中村・上村が驚いて、
「ふえ。彼女いたのか」
 二人が異口同音する。
「ええ。何故か……。でも、可愛いっスよ」
 私はとぼけた口調で言ったが、本当のことだ。
「じゃあ、日曜日の午後2時ね」
 中村は不思議がった口調になる。
「場所はいつも中村さんと行っているところ。土浦のカラオケの「にゃんこにゃんこ」で……」
 上村は何故かにこにこしていた。
 私は安浦とこうして、生まれて初めてのカラオケに行くことになった。度重なる夢の侵食のせいで、頭が混乱して不安定な精神の気分転換は一つの安定剤となるはず。安浦は来るのかな。いや、きっと来てくれるはず。そして、これよりも悪い夢の侵食がなければと、私は心より願う。
 
 翌日、土浦の改札口には、緑のフリフリフリルの服装の安浦が喜び勇んで来てくれた。
ラクダ色のシャツと黒のジーンズの私は多少ウキウキしている自分に驚いている。もうそろそろ2時。上村がやって来くる時間だ。中村は自動車で駅に向かっているはず。
「お待たせー」
 ジャージ姿の上村が駅の階段からやって来た。
「中村さんの車で送ってもらったんだ。お、可愛い彼女だね」
 上村は禿頭を安浦にぺこりと下げた。
「こんにちは。今日もいい天気」
 安浦は上村の頭から目を離さずに挨拶をしている。
「中村さんは下?」
 私は安浦の手を取ると、上村の案内で駅前に止めてある中村の車まで歩く。
「安浦。今日一日は俺のことをご主人様って言うなよな。かなりややこしくなると思うし。頼むから」
 私は改札口で念を押したことを、再び頼んだ。
「解りました。ご主人様」
「……」
 駅前のロータリーに中村のボロ車が見える。その車の助手席に上村がさっさと座るが、私は少し待ってと言い。安浦とカラオケのドリンクは高いようなのでコンビニに少し寄ることにした。
「ご主人様。あたしコーラ飲みたい」
「俺は烏龍茶を買う。金出してやるよ」
「ありがとうございます」
 ご主人様は止めてほしかったが……無理のようだ。私は中村・上村に何て言えばいいのかと考えながら、飲み物を二つ持ってレジの前に並ぶ。
 レジは二つあって、そのどちらも二人か三人かが並んでいた。
 すると、前にいた汚れた格好の浮浪者がレジを済まさずに私のところへとのそのそと来た。
 異臭がするかと思い内心身構えるが、そうでもなく。服装は、何年も履いているように思える、色が変色しているジーンズと、夏物ではない赤いジャケットと元々は白だったシャツを着ている。やや痩せ気味。そして、目だけがギラギラとしている。生い茂る髭とぼさぼさの白い長髪の老人だった。
 それでも、悪臭が何故かしなかった。
 厳つい顔を綻ばせて、
「兄さん。もう一個。飲み物買おうか」
 と、私に手に持っているサイダーを渡す。
 私はこの浮浪者に目を白黒させられた。
「ご主人様。その人のも買ってあげましょうよ」
 安浦の発言に私は「ま、いいか」と、受け取った。
 三人分の飲み物をレジで精算した。
 サイダーを受け取ると、途端に人懐っこい顔になり、にっこりして帰り際に浮浪者は、
「ありとがとな。あなたに主の恵みを。」
 と、以外にもよく通る知的な口調で私に手を振った。
 中村の自動車に安浦と私は、いい事をした時の気分の高揚感を抱えて、歩きだした。
 カラオケ「にゃんこにゃんこ」は、休日のためか何人もの客が受付をしていて、なかなかに広かった。歌を歌う部屋が幾つもあるようで……普通のカラオケ屋だった。
 私は初めて入るカラオケ屋なので、周囲をキョロキョロと見回していると、
「ご主人様。記念撮影を後でしましょうか」
 安浦の提案をやんわりと断る。
レジの店員に中村・上村はお金を支払っている。その顔は私をご主人様と言っている安浦を気にいっている表情が見え隠れしている。
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