第39話

文字数 1,683文字

 セレスに向かう途中、上村に出会った。
「何だかんだ言って、あの日から仕事に来てるね。いったい何で休んでいたんだ」
 上村の禿頭が光る。
「いや、ちょっと数日休まなきゃならないことが起きたんだ。理由は御免。話せないんだ。悪いが休暇の理由は聞かないでほしい」
 よもや、夢で死にそうになっているなんて、どうしても言えない。信じられる人間は、やはり、同じ体験をした人だけだろう。
「そうか。ま、時には休みたくなる時って、あるからな。明日は祝日で休みだが」
 上村の頭が優しく仄かに光った。
 セレスでの仕事だけで、何とかなるのだろうか? 南米に一日でも早く行ったほうが……私はペットボトルの最終目視検査をしながら考えていた。 
 けれど、南米に行って何をすればいいのだろう。コーヒーに呪いか何かをかけているシャーマンに出会って、やめてくれと懇願でもすればいいのだろうか。
「どうしたんだ。顔色が青いぞ。今になって調子が悪いなんて言うなよな」
 上村の心配な声色。私は青い顔をしていたようだ。
「いえ、大丈夫」
 私はそういうと、色々と考えている不安な自分を頭から追い出した。
 
 その日は残業だった。帰路でとぼとぼと大通りを歩くと。いかにも高級そうな自動車が私の前で停まった。雑誌で見たことがある赤いフェラーリのようだ。
「赤羽さん。大丈夫?」
 見ると、呉林の姉の霧画だった。
「安浦さんから連絡がきて、ご主人様の帰りが遅いって聞いて」
 霧画はそう言うと目をぱちくりした。
「なんだ残業か何かだったの。でも、あまり根詰めないでね」
 私はいらぬ心配をさせてしまったようだ。確かに今のねじ曲がった現実ではいつ襲わ
れるか解らないではないか。
「すいません。いらない心配をかけてしまいました」
「はあ。よかった。あなたはこの現象を何とか出来る力があるのよ。もし何かあったら、世界は崩壊してしまうのよ」
 霧画は本当に心配しているようだった。……あの……私が世界を救うと言っているんですけど……。
「乗って」
「はい」
 私は逆らわずに車に乗った。呉林姉妹には逆らえない何かがあるようだ。
 居心地の良い体に座席の皮がフィットする助手席に座ると、昨日の晩の話をしてくれた。
 私の隣、運転席に座っている人は相変わらずの凄い美人だった。
「あの。異界の者って、俺の職場にもいるんですか」
「異界の者はどこにでもいるわ。でも、もっと恐ろしい事があるわ。それは異界の者やコーヒーに呪術を施しているシャーマンも怖くて危険だけど、夢のバランスが崩れる方がもっと恐ろしいのよ。そのせいで現実が侵食されているの」
「夢のバランス?」
 車は大通りではなく、人気のない裏道を通る。暗い夜道を前照灯を上向きで駆ける。少し開いている車窓からの夜風がとても気持ちいい。
「ええ。今まで世界が生まれてから人類は夢や無意識と現実を、コンペイセイト(compensate)つまり、シーソーの様にバランスをとっていたけど、人間が意識や理性を近代化する過程で強くしていくにつれ、それが難しくなってきているの。それと……」
 霧画は軽くこちらにウインクをして、
「ここからは私の仮説なのだけど、……ウロボロス。ウロボロスとはこの世界と別の世界……夢の世界ね。それを統括しているいわば怪物で、その姿は、とてつもなく巨大な蛇なの。そしてその蛇は自らの尾を噛んで円になっているわ。同時にメルクリウスの蛇とも呼ばれ、太陽と月の両性具有の神でもあり、簡単に言うと現実の世界と夢の世界を統括しているの。その怪物はこの世界に今も棲息しているはず。何十億年と太古のシャーマンらによって、ウロボロスという怪物の力で夢と現実のバランスを何とかとっていたの。けれど、夢や無意識の力は物凄いのよ。魔法やお伽話の世界のような夢の世界を、恐らく今のシャーマンはその物凄い力を何らかの良くない方法で、解放しようとしているのだと思うわ。そのためシーソーのバランスは甚はなだしく崩れて、夢の世界が現実も歪めてしまっているのだと思うの」
 
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