第47話

文字数 1,626文字

 私は水面の床にザブンと入り、安浦の元へと急いで歩き出す。水はかなり濁っていて、生ぬるくねっとりと私の足が先に進むのを妨害していた。
「ご主人様! 来ちゃダメ!」
 散々、逃げ惑い疲れている顔で私に気付いた安浦は。怯えた目線をこっちに向けている。
「どうしたんだ?」
 私は安浦が何から逃げているのか辺りを見回したが、何もない。この水の溢れそうな通路には、可愛らしい外行きの服、上半身もびしょびしょの安浦しかいない。
「水の底にいるの! 変な化け物! だから、来ちゃダメ!」
 安浦は涙声で叫んだ。
 突然、安浦と私の間に何かが浮き上がった。目を凝らすと赤い血で出来た大きな塊を捉える。巨大なナメクジのようなものだった。
 私はこの物体もキラーなのではと思うが早いか、
「この野郎!」
 飛蹴りを放った。
 ぐっしゃりとした感触ではなく、以外と硬い感触を覚える。次に素手で殴るが今度はぶよぶよとした感触だった。いずれも、巨大なナメクジはビクともせず。安浦へと向かっていく。
「はっ!」
 私は巨大なナメクジに左手をかざして、その巨体を宙に浮かした。
 何とも言えない。おぞましい姿が宙に浮いた。歯の光る口と目玉だけが到る所に無数にあり、それらが全て動いている。口は開閉を繰り返し目玉はぎょろぎょろとしていた。
「きゃあ! ご主人様逃げてー!」
 安浦は私の不思議な力を気付いていない。私に向かって振り絞るような悲鳴をあげた。
 私はナメクジをそのまま宙に浮かしておいて、安浦の元へと濁水を搔き分けながら進み、安浦の震える手をしっかりと取った。
 安浦はボコボコの私の胸に顔を押し当てながら泣きだした。
「安浦。もう行こう」
 泣き崩れそうな安浦の頭を撫でながら、私は水浸しになった安浦と共に呉林のところへと戻る。……巨大なナメクジはその後、恐ろしく肉塊が歪み破裂した。.

 ぬかるみの中をさんざん走り回ってずぶ濡れになった安浦と、怪我が自然に回復してきた私は、呉林のところまでやって来た。
「ご主人様? その体の傷はどうしたんですか。心配です」
 疲れを隠して安浦が心配してくれている。
「ああ。ちょっとな。でも痛みとかは全然無いんだ。回復しているし……それより安浦は大丈夫か? 俺が抱えようか?」
「あたしは平気です。……もうご主人様が戦うのは嫌! こんな世界は嫌い!」
 安浦は心配の籠った泣き声を通路に放つ。
「でも、しょうがないさ。きっと、南米に行けば色々と良くなるさ」
 私の体はもう痛みがない上に、ピンピンしている。不思議な感じだった。何か、こう、生まれ変わった感じだった。
 煤ぼけた顔をハンカチで拭いた呉林は、疲れてずぶ濡れの安浦と私に、
「二人ともなんとか無事のようね。残念だけど、まだここは危険よ。油断しないで戻りましょう」
 呉林は何かに警戒しているように背筋を伸ばして、きびきびと歩きだした。まるでとても警戒している黒豹のようだ。地味なスーツはところどころ煤ぼけていた。
 私たち三人は元来た道を歩きながら、
「赤羽さん。精神や体の方の感じはどう。まだ、七番目の者に覚醒したてだから安定してないかもしれないけど。それと、恵ちゃんの方は疲労が心配ね」
 呉林は、安浦に心配の眼差しを向けたが、さっきの安浦の救出を超能力的直観で知って
いるかのようだ。今では胸をときめかせて信じられないものを見るような顔で私を見てい
る。
「安定しているかは解らないけれど、悪い感じはしない。それと、七番目の者って何?」
「それは、姉さんの所へ行ったら話すわ。それと、恵ちゃん……疲れているだろうけど、お姉さんの車まで我慢してね」
 私は非現実の世界で、自分の中のもっと非現実なことを実感したが、不思議とあまり気にしなかった。普通というか平常心というか……。今でも信じられないが。
「ご主人様。さっきナメクジを宙に浮かせた。どんなことしたの?」
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