第55話

文字数 1,624文字

「赤羽さん。私、ちょっと調べたいことがあるの。悪いけど、じゃ、またね」
 呉林は何かに気を取られた口調だった。一方的に電話を切った。


 藤代まで電車で、約十分。あれから二週間、一連の夢が起きたらと極度に緊張する日が続いていた。担当が谷川さんでないのでバイトが休めない。その凹み具合は尋常ではなかった。そして、南米に行くために労働時間を少し増やすために残業の毎日。
 何度か呉林たちに連絡をしているが、呉林は何かを調べていると取り合わない。渡部は全治三週間で入院している。角田はスーパーの店長。なかなか、話せなかった。
 けれど、安浦だけが私の家にあがり込んでは、料理や洗濯などの身の周りの世話をしてくれていた。安浦も霧画の居場所や、あの時の夕食は何だったのか知らなかった。作ったはずの本人が知らないなんて。何かあるのだろうか?
 それでも、私は今日も小銭稼ぎの仕事をした。
「いっぱい頑張るねー」
「ええ。ちんちんぷんぷん。はっ?」
 私は朦朧とした頭を振った。
 声をかけてきたのは中村だった。
「頑張りすぎだよ。たまには休んで、どこか遠いところで羽を伸ばしたほうがいい」
「解りましたよ」
 私は冗談半分で受け答える。
 時に早さが緩慢になるベルトコンベアーからペットボトルを多数拾った。
「ちんちんぷんぷん」
「駄目だな。働き過ぎだ」
 中村は上村に向き頭を垂れた。

 翌朝、株式会社セレスの前の駐車上で、中村・上村と待機というより雑談をしていた。向こうからやってきたのは、何故か谷川さんだった。
「お早う」
 谷川さんのいつもの挨拶に、私は混乱した。
「え、どうして」
 私の混乱ぶりを見た中村は、
「やっぱり働き過ぎだよ。もう少し労働時間を減らしてみたら」
 上村も心配してくれているが、私は中村に、
「あの。田戸葉さんは?」
「田戸葉……。そんな名前は知らないけど」
 と、首を傾げる。
「田戸葉。知らない名だなー。うちの者なのかい」
 谷川さんは真面目な顔で首を傾げる。
 私は混乱している頭の片隅で、(これも夢の侵食や歪みなのでは)と考えるが、心と体は付いていけない。
 看板の方を見ると、確かに株式会社セレスとある。私は頭を抱えながら、大型機械の間を、谷川さんに続いて歩き出した。
 谷川さんは二階へとコンピュータとにらめっこしに行く。前と同じだ。
 勝手が解らず。中村・上村の後に続くと、最終目視検査の場所のB区へと歩きだしている。私たちはベルトコンベアーの前に立ち、作業を開始した。
 作業はやはり、田戸葉がいた時の最終目視検査だった。
 早速、作業とともに雑談開始だ。
「あ、そうだ。夏野菜。隣の家のババァからナスをまた貰ったんだ。いっぱい……」
 中村は声の調子を弾ましている。
「またですか。俺、食いきれないな」
 上村は中村からナスを貰っているようだ。
「それでさ。赤羽くん。貰ってくれないか」
 私は混乱する頭で無理に考え事をしていたが、頭の片隅にニコニコと料理をしている安浦の顔が浮かび上がった。
「ええ。貰います。ありがとうございます」
「かなりの量だよ」
 中村は真剣な顔になった。
「え……ええ……。貰います」
 料理は安浦が担当だし、喜ぶかな?
 私は死骸である汚れたペットボトルを洗浄機にいくつか入れると、何気なく後ろを向いた。節電の工場の明かりの広がりに、複数ある大型の機械類の間には、やはり誰もいない。私たちが歩ける安全通路にも行き交う人は誰もいない。何だかんだで、仕事が楽でその上、雑談が出来てとてもいい職場である。
 けれど、今は一連の夢と夢の侵食で、その安楽な世界が崩壊してしまった。このような体験をしなければ、楽な人生を一生謳歌していけるのだろうに・・・。
 私は嫌でも平安の世界を望むために南米に行くことに決心を固めるしかなかった。それは生まれて初めてその決心は頑ななものとなった。
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