第4話

文字数 1,571文字


 スティービーとは大学のフットサル同好会で出会った。身体を動かす程度には運動をしておきたいと思った僕は、掲示板の貼り紙を見て同好会の代表者に連絡を取り練習に参加した。同じ時に練習に参加していたのがスティービーだった。
「君はフットサル経験者?」と彼は僕に訊いた。
「いいや、フットサルは初めて。昔サッカーをやってたんだけど、遊び程度に身体を動かせればいいから、フットサルがちょうどいいかなと思って。同好会だし。そっちは?」
「僕はスティーブン・ジェラードがどうして前を向かなくなったのかが知りたいんだ」
 そんな答えが返ってくるとは思ってもいなかったので僕は何と言ったらいいかわからず彼の言葉をそのまま呟き返した。
「サッカーをやっていたならジェラードのことは知ってるだろ?」
 僕は頷いた。それは僕の好きな選手の一人でもあった。
「彼はある時から前を向かなくなった。なぜそうなったのか、僕はそれが知りたい。みんなはシャビ・アロンソが移籍したからだって言うけど、そんな安易な答え僕は納得できない」
 彼の目は真剣そのもので、冗談を言っているようには見えなかった。その時から、スティーブン・ジェラードの愛称である「スティービー」と彼のことを呼ぶようになった。
 僕たちは同好会に入り、週に一度汗を流した。スティービーのプレイを見ると彼がサッカーなりフットサルの経験者であることは明らかだったが、彼は「こんなレベルでは経験した内に入らない」と言った。  
僕は文学部で彼は教育学部だが、共通の基盤教養科目では一緒に講義を受けた。お互いにお酒が苦手でタバコも吸わないこともあり、気楽に接する仲になった。気楽ではあるが、お酒の力を介さない分、腹を割った深い話は互いにあまりしていない。僕は彼の過去については知らないし、彼も僕の過去について知らない。しかし、そこにある種のもどかしさを互いが感じていることは確かだと思う。
 ある時、彼が僕に「僕は恋愛をする資格がない」と漏らしたことがあった。僕は「恋愛に資格も何もないだろう」と言ったが、「僕の身体はナイフなんだ。触れる者を傷つける。僕は両手をひろげて他人を抱きしめることができない」と言った。その時僕はどう答えたらいいのか分からずに言葉を返すことができなかった。会話もそこで終わった。沈黙があった。おそらく彼にとっては心の吐き出しにも似た告白だったのかもしれないが、僕には受け止めることができなかった。
スティービーにとってはその告白はとても大きく重たい石であるようだった。その時の二人の間に流れた沈黙の音を僕はいまだに覚えている。これからも忘れることはないだろう。
 入学してからちょうど一年が経った頃、同好会が部活に昇格することになり、そのタイミングで僕はフットサルを辞めた。対外試合に参加するようになり、練習も激化し、メンバーの空気も穏やかではなくなった。僕はその熱量について行けなかった。スティービーは部活に残った。「僕も部活化には反対だけど、もうすこしやってみるよ」と。
 肝心の、「何故ジェラードは前を向かなくなったか」についての彼の考察には進展が見られない。
二年生に進学してからは共通して受講するする科目もなくなり、学内で会う機会は少なくなったが、それでも時々二人でランニングをした。基本的には公園のランニングコースを走った。いつも同じコースを走っていては飽きが来るので気分転換に街中を走ることもあったが、二人とも人目につくのが好きではないため結局最後は公園に戻ることになった。走っている間はお互いにあまり会話を交わさない。隣に並んで走っているとなんとなく足を運ぶテンポも呼吸のリズムも揃って来る。そして走り終わった後は自動販売機でコーラを買って、東屋のベンチで乾杯した。運動後に飲むコーラはいつだって爽快だった
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