第44話

文字数 1,404文字

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 若菜のお墓に行くと、墓前で手を合わせている人がいて、それが竹内鈴であることは一目で分かった。
「鈴ちゃん」と声をかけると鈴ちゃんは振り向いた。僕は近づいて鈴ちゃんの隣に並び、しゃがみこんで手を合わせて目を閉じた。鈴ちゃんが隣で再び手を合わせたのを感じた。
僕は目を開けて立ち上がった。
「久しぶりだね」と鈴ちゃんが言った。
「どうしてここに?」
「一度若菜さんに手を合わせたかったから」
「そっか」
「今日先生がここに来ることを飛鳥ちゃんに聞いたの」
「飛鳥に?」
「飛鳥ちゃんとはちょくちょく連絡をとっててね。休むってメールが来てから全然連絡してこないからちょっと心配してたの。そしたら今日ここに来るってお姉さんから連絡があったって教えてくれて、それで来ることにした」
ゆみ姉はこのこともまた僕には黙っていたということか。僕はまたため息をついた。
「迷惑だった?」と鈴ちゃんが聞いた。
「ううん。今のため息はこっちの話。言ってくれたらよかったのに」
「だって全然連絡がないからこっちからしていいものなのかも分からなくて」
「水を取りに行こう」と僕は言った。僕たちはペットボトル置き場に向かって歩いた。2リットルのペットボトル一杯に水道の水を汲んで若菜のお墓に戻った。墓石に水をかけて汚れを落とし、カバンから線香を取り出して火をつけた。二人でもう一度手を合わせた。「二人きりにしようか」と鈴ちゃんが言ってくれたが、大丈夫だと断った。今はまだ上手く若菜に話ができそうにない。ただただ若菜に手を合わせたかった。ペットボトルを元の場所に戻し、僕たちはお墓を後にした。
 喫茶店に戻ろうかとも思ったが、そのまま帰ることにした。バスに乗って駅に向かい、新幹線乗り場のホームのベンチに座った。
 僕は何をどんな風に話せばいいのか分からないでいた。そんな僕を見て鈴ちゃんも何も言えないでいるようだった。鈴ちゃんは立ち上がってどこかへと歩いて行った。鈴ちゃんは手にペットボトルを持って戻ってきて、僕にそれを渡した。ブラックコーヒーだった。自分の分は買っていなかった。
「ブラックは苦手なんだ」
「知ってる」
 僕はブラックコーヒーを飲んだ。「ありがとう。あとでアイスでもおごるよ」
「高いやつね」
「うん、いいよ」
再び沈黙が流れた。
「わたしね、やっぱり学校には行かない」と鈴ちゃんは言った。僕は黙って鈴ちゃんを見た。鈴ちゃんは正面の看板に目をやっていた。
「たぶん、このまま通おうと思えば通える。でもそうすることで私の中で何かが失われてしまいそう。だから行かない」
「そっか」
「お父さんのところに行こうと思ってる」
「お父さんのところ?」
「今ドイツにいるんだけど、そこに行って一緒に暮らしながら大学受験に向けて勉強する。期間限定の留学」
「留学ってそういうものだよ」と言うと鈴ちゃんは「そっか」と言って笑った。
 竹内さんは一人になる、と思ったが口には出さなかった。一人になることが竹内さんにとってどういう意味を持つのか、僕には分からなかった。
「家庭教師も終わりだね」と僕は言った。鈴ちゃんは黙って頷いた。
 新幹線の到着を告げる案内が流れた。僕はホームの先、新幹線が入ってくる方を眺めた。その姿はまだ見えない。ぼやけた街並みが見えるだけだ。それでも新幹線はやってくる。それでもコーラはいつものコーラで、僕はブラックコーヒーが苦手なままだ。
「寂しくなる」と僕はつぶやいた。
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