第12話

文字数 2,663文字

12
家に帰ってからもなんだか落ちつかなくて外に出て近所の公園に行きブランコに座った。公園には誰もいない。誰かしらがいてほしかった。僕と関わり合わなくていいから誰かしらが何かしらをしていてほしかった。カップルがいちゃついていたり、おじいちゃんがゲートボールの練習をしていたり、家に帰りたくないサラリーマンが鳩に餌をあげて時間をつぶしていたり、そんなことで良いから、何でそんなことをしているんだと腹を立てさせてほしかった。人がいる場所に行けば誰かしらに遭遇することはできる、でもそういうことではない。今ここに僕が偶然いる場所に偶然誰かがいないといけないのだ。
 緑色の帽子をかぶった夜警のおじさんが一人公園に入って来た。公衆トイレで用を済ませた後僕がいる方に歩いて来て隣のブランコに座った。
「こんばんは」と夜警のおじさんは言った。
「こんばんは」と僕は言葉を返した。
「見回りですか」と僕は訊いた。はいとおじさんは言った。
「何か難しい顔をしていますね」とおじさんは言った。
「難しい顔をせざるを得ない難しい状況に置かれているんです」と僕は答えた。
「よければ聞かせて頂けませんか」とおじさんはすごく丁寧に言った。僕は竹内さんから頼まれたことをおじさんに説明した。話をしながらどうして僕は知らない人にこんな打ち明け話をしているのだろうと思った。僕の話を聞き終えた後少し考え込んでから「お引き受けしたらよろしい」とおじさんは言った。
「あなたはその方に呼ばれたのです」
「呼ばれた?」
「ええ。呼ばれた。その方はある時目が覚めたら深い森の中に一人でぽつんと立っていた。辺りは真っ暗で周りに何があるのかも把握できない。だからそこが森であると確信を持つこともできない。動くこともできない。しばらくすると暗闇に目が慣れて来て自分が土の上に立っていて周囲に木が立ち並び草が鬱蒼と茂っていることが分かって来た。私はどこかの森の中にいるのだ。森にやって来た覚えはない、でも今私は森の中にいる。一人で。どうして私はこんなところにいるのだろう、いくら考えても答えは出ない。私はその場に座り込む。お尻をついて膝を立て両腕で膝を抱え込んで頭をその中にうずめるようにして。誰かいませんかと心の中で叫んでみる。返事はない。もう一度心の中で叫んでみる。返事はない。もう一度心の中で叫んでみる。なに?という声がする。私は顔をあげて辺りを見回すが誰もいない。頭をうずめる。今度は声に出して叫んでみる。誰かいませんか?返事はない。私の声が森の中でこだまする。もう一度声に出して叫んでみる。返事はない。私の声がこだまするだけだ。ダメだ、ここにこうして座り込んでいても私の声は誰にも届かない。まずは誰かを見つけなくては。でもどうしたらいいのだろう?そもそもここはどこなのだろう?現実の世界なのだろか。ほっぺたをつねってみる。痛い。もう一度つねってみる、今度はもっと強く。やはり痛い。ここは現実の世界だ。私一人だけがいる世界なんてあるはずがない、他に誰かいるはずだ。私は立ち上がって歩きだす。見渡す限り木と草と土しかない。鳥の声すら聞こえない。でも歩く、そうするよりほかに仕方がない。すると一本の道路に出た。整備された道路だ。やはり誰もいない世界ではないのだ。しかし人の姿は見えない、車も通りかからない。やっぱり私は一人なのだろうか?そう思っていた時にあなたが車で通りかかったのです」
「ずいぶん大げさな話ですけど」
「あなたの表情を見る限りそれくらいの事態かと想像いたしまして」とにっこり笑って言った。
「僕はどうしてそこを通りかかったのでしょう?」
「呼ばれたからです」
「その人に?じゃあ僕はそこにその人がいることを知っていてあえてそこを通りかかったということですか?」
「そうではありません。呼ばれたと同時に通った、あるいは通ったと同時に呼ばれた」
「必然的に?」
「いいえ、必然と偶然の枠組の外です」
「必然と偶然の枠組の外?意味が分かりません」
「分からなくても構いません。そういうものがあるということです」
 僕は頭をうなだれた。はぁとため息をついた。今日はいろんなことが起こりすぎて、僕の頭は処理能力の限界を迎えていた。
「いずれにしても僕は呼ばれた、そういうことなんですね?」
「そういうことです」
「だから引き受けろと」
「あなたはその方が道路に立ちつくしているのをしかとその目で確かめました」
「そんな言い方しないでください」
「車を路肩に止めてドアまで開けた」
「止めさせられたんです。走っていたら大の字になって車の前で立ちふさがれた。止まらないわけにはいかないでしょ。轢いてしまいますから」
「止めさせられたのではありません。呼ばれたのです」
「分かりました、僕は呼ばれたんです」と僕はあきらめて言った。
「投げやりになってはいけません」と優しい口調で僕を諌めた。
 公園の外を無灯火の自転車が通った。
「それでその方を乗せた先に僕に何が待っているのでしょうか?」
「それは口にしてはいけません」
「口にしてはいけない?秘密ということですか?」
「いいえそうではありません。その先に何が待っているのか私は知っているけど教えないということではありません。その先に何が待っているのかという言葉自体を発してはいけないということです」
「乗せるにあたって乗せた先に僕に何があるのかと言ってはいけない?」
「そうです。それは後になってからしか分からないことです。それを物事が始まる前から何が得られるのだという言葉は決して口にしていけません。しかし一つ間違えていることがあります、あなたは乗せるのではありません、車をさし出すのです」
「差し出す?」
この夜警のおじさんは一体何を言っているのだろうか?
「あなたは車を、いいえあなた自身をさし出すために呼ばれたのです」
 頭がパンクした。言葉がなにも出て来なかった。どんな空気入れでも僕の頭を豊かに膨らませることはできないだろう。また一台無灯火の自転車が公園の外を通った。それを通りの街灯が照らした。
「なんだかフェアじゃない気がします」それがやっと出てきた言葉だった。
「フェアでなくて良いのです」
「フェアでなくてよい?」
「ええ。それで構わないのです」
僕はため息をついた。
「その方は気がついたら森の中にいた。森の中からようやく道のある場所に出てきた。そこにあなたが通りかかった」
「だからそういう言い方は止めて下さい」
「お引き受けしたらよろしい。あなたは呼びかけに応じることを望んでいたのです」
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