第25話

文字数 1,787文字

25
 僕は若菜に会いに行った。七夕の日に墓参りに行ってからまだ二月余りしか経っていないのに多くのことが起こった。目まぐるしく日々が過ぎていった。それら全てを若菜に話したかった。今伝えておかなければいけないような気がした。
 たった二ヶ月なのに墓の周りには雑草が生い茂っていた。隣の墓は膝の高さまで草が伸びている。手を合わせに来て手入れをする人がもういないのかもしれない。若菜のお墓の周りに生えた雑草を抜いてゴミ捨て場に持って行き、線香立てをきれいに掃除し、墓地の水道に置かれている参拝者が共同で使えるペットボトルに水を汲んで墓石を洗い、線香を立てて手を合わせた。
 開脚教室に行った。参加者は女性ばかりだった。ロビーに行ったときに、清掃員のおじさんと話し込んじゃってね、その人は思い出のキャッチャーをしてるなんとも不思議な人で、後で分かったんだけど名前が俺と一緒だったんだ。その人と話をしているときに二人の横をさっと通り過ぎた女性がいて、その人が開脚教室の先生だったんだ。あまりの気配のなさに横を通り過ぎたことにも気がつけなかった。で、講座が始まるといきなり夢は何ですかって聞かれて「『自殺論』が本屋大賞をとること」って言ったら会場が静まり返った。慌ててお金持ちになることですってバカみたいなことを口走ってしまった。ところで若菜は何で自殺論が本屋大賞を獲りますようになんて願いを短冊に託したの?そもそもそんなのを読んでたことすら知らなかった。俺にも若菜について知らないことがあるんだね。
知らないことと言えばスティービーがね、スティービーについては前に話したことがあったよね、そいつがね、前に同じ開脚教室に行ったときに夢はあるかという質問に「『ツァラトゥストラ』を書くこと」って言ってたみたいなんだ。みたいというか、そうやって言った人がいて、それはスティービーじゃないかと勝手に思ってるだけなんだけど、でもそれは絶対にスティービーだと思う。二か月前に来たときにそいつがいなくなったって話したけどまだ見つかってない、一度見かけたんだけど、見かけたその人がスティービーだっていう確信はない。
 講座の方はなかなかおもしろかったよ。身体の痛みや怪我、あるいは硬さとかは身体からのメッセージなんだって。ストレッチで痛たたってなるのは身体がもうやめてくれっていう合図を送ってるらしい。そんなふうに考えたことなかっただろ。あとね、先生の腕を掴んで振りほどかれないようにするはずが、手をつけられないホースみたいにするりと動かされて気がついたら自分は床に倒れていた。何が起こったのか分からなかったけど、衝突しない身体の使い方なんだって。
 
これはちょっと腹が立った話なんだけど、その講座の帰りにね、参加者の一人と偶然はち合わせて一緒に帰ることになったんだけど、いきなり娘の家庭教師をしてくれって頼まれて。もうあなたに決めましたって勝手に話が進められて。腹が立って気分が落ち着かなくて夜公園のブランコに座っていたら夜警のおじさんが現れてお引き受けしたらよろしいだって。
 いざ家庭教師としてその家に行くと娘は何も知らなかったんだ。寝耳に水。何の話?でも結局家庭教師をすることになった。その子、鈴ちゃんっていうんだけど、鈴ちゃんがとにかくしっかりした子で彼女のおかげで一応丸く収まった。俺は情けないくらい本当に何もしてなくて全部彼女が助けてくれている。何が驚きってその子飛鳥に似てるんだ。もっと凄い驚きがもうちょっと先にあるんだけど、んーまあいっか、今言うか。その子にはお姉ちゃんがいて、若菜そっくりなんだ。びっくりして倒れてしまったくらい。倒れたときに若菜の夢を見た。修学旅行から帰った日の夢。もう今となっては確かめようもないけど、あの時微笑んだだろ?面と向かっては言えないから今言うけど、すごくきれいな顔してた。
 
何の話だっけ?清掃員の…これはいっか。どう話したらいいかわからないし。
 
その時風が吹いた。隣の墓の雑草が大きく揺れた。そばに立てていたペットボトルが倒れた。束にしていた線香がバラバラに分かれた。清掃員の話をしろと言っているのだろうか?
若菜ごめん、でもこれは話せない。まだ上手く整理がつかないから。後はなんかあったかな、まだ色々とあるような気もするけど、こんな感じかな。なかなか濃いでしょ?
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み