第10話

文字数 1,156文字

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 会場から博多駅に向かうまで僕は森川さんと一緒だった。彼女は幼い時から新体操をやっていて、今現在自分自身は現役を退いて子供たちに教える立場にあるという。なるほど、だからあれほど身体が柔らかかったのか。
「私新体操をしていたから身体は柔らかいんです。180度開脚できるし、I字バランスもブリッジもできる。でもとにかく腰が痛くて。高校生くらいの時かな、腰が痛くなったのは。コーチに言ったら筋力が足りないからだ、柔軟性が足りないからだって言われた。おかしいでしょ。新体操をしていて柔軟性が足りないわけがない。毎日運動してるんだから筋力が衰えるはずもない。コーチがそう言うから筋力トレーニングもストレッチも一生懸命やった。毎日腕立て腹筋背筋を100回ずつやって練習の初めと終わりに30分ずつみっちりストレッチをした。でも一向に腰の痛みは良くならない、むしろ悪化していく。腰が痛いからいい動きができなくてコーチには怒られるは仲間からもあいつは終わったって言われるは。しまいには気合いが足りないから駄目なんだって。それでもう新体操するの嫌になっちゃって。でも私は小さい時からそれしかやって来なかったからそれ以外にやることもなくて。だから夢は?って聞かれても特にない。痛いなりに何とか頑張って来たんだけどもう自分が動くのは限界で教える側になったの。でも私は私がコーチに言われたみたいなことは子供たちにはどうしても言いたくない。だってそれでよくなったためしがないんだから。筋力を鍛えなさい、柔軟性をあげなさい、気合を入れなさいってやっぱり私はそんなふうな指導はしたくない。子供たちにもいるの、膝が痛い、腰が痛い、肩が痛いって言う子が。何とかしてあげたい、わたしが痛みを抱えてきた分痛みを抱える子どもを少しでも減らしたい。でもどうしたらいいかわからない。そんなときに吉田先生を見つけた。この人なら何とかしてくれるかもしれない。そう思った。実際に今日講座を受けてみて良かった。目から鱗の連続だった。ああこれだって思った。私の腰の痛みは腰からのメッセージだったんだ。私がちゃんと腰を見てあげればいい、腰に対する認識のズレを正していけばいい。講座の時間は嘘みたいに痛みが消えていた。そんなもの初めからなかったみたいに。私もまた動けるかもしれない。ちょっと希望が見えたかな」
 そう話す彼女の瞳は輝いていた。講座の最中も彼女の飲み込みの良さと速さには異常なものがあった。痛みを抱えていたとはいえ、新体操をやっていたことが認識のズレの修正にいく分与るところがあったのだろう。痛みを抱える子どもたちを減らすよりも前に、森川さん自身の痛みが軽減されてほしいと僕は思った。
 地下鉄を降りた後、彼女は在来線に乗り継ぎ、僕は駅構内をうろうろと回った。
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