第24話

文字数 1,693文字

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 一週間寝込んだ。あの後、四人で新幹線に乗り、飛鳥はそのまま山口の実家に帰り、僕と鈴ちゃんと栞さんの三人は小倉で降りそこで解散した。僕は何とか家まで帰りつき、すぐさま布団に横になった。
 熱は三日間続き、一歩も家の外に出なかった。熱が引いた後も全身の倦怠感が消えず近くのコンビニにとりあえずの食料を買いに行くだけだった。食料と言っても固形物を食べる元気はなく、飲料タイプのゼリーを10個ほど買い込んで、三日間朝・昼・晩にそれを食べた。
 竹内さんに連絡をして家庭教師の仕事も休ませてもらった。鈴ちゃんから大丈夫かとメールが来たが、大丈夫だと返信したきり連絡をとっていない。
 そうして一週間家の中にこもっているとひどい無力感に襲われた。あの声のことばかり考えていた。「君は豊かな人生を送って来なかったんだね」と自動販売機は誰かに声をかけた。その誰かは、君はカテゴリーされた存在、つまり君は君自身ではないと宣告されたことによって、自分がどこに行こうとしているのかが分からなくなった。その宣告自体はオガワさんがハイデガーのカテゴリーから受け取った原体験そのものなのだろう。その息吹が自動販売機を介して誰かに拾われ、今はどれだけこすっても落ちない油汚れのように僕にこびりついている。僕は僕自身ではない。そのことが僕にひどい無力感をもたらしている。
 熱は下がった。倦怠感も和らいできた。食欲こそまだないが、身体も動くようになってきた。しかし無力感の支配は強い。熱が引こうが、だるさが和らごうが、身体が動こうが、無力感はそのはるか上から全てを包み込む。そして僕はこの大きな膜に包まれてはならないことを経験として分かっている。
 あの時と同じだ。若菜が亡くなってからの何もする気が起きなかったあの一年以上に及ぶ底の見えない暗い時期と同じだ。運動を止め、勉強をおろそかにし、人間関係もどうでもよくなった。その結果僕に残されたのは若菜に顔向けできない僕だった。圧倒的な人間的体力の減退。あの時もし僕が風邪をひいて寝込んでいたら若菜は僕の手を握らなかっただろう。握り返す力のない僕に何を期待して若菜が手を差し出すというのだろうか。
 動かなければならない。僕はそう思った。腕立て伏せをした。筋力トレーニングはやらないと決めていたけど、こうして体を動かさなければ自分が壊れていくように思えた。そしてそのような状況に立ち入ったのは自分自身なのだ。
 それからスクワットをした。スクワットをすると残尿・ひん尿が強まるからやりたくはなかったのだが仕方がない。腕、胸、足腰に刺激が入った。そして僕はランニングに出た。
 久しぶりのランニングだ。体力はもうすっかり落ちている。それは走る前から分かっていた。あの声を聴いただけでひどい風邪をひいたのだから。なるほど、オガワさんはこうなることが分かっていたから体力はあるかと訊いたのだ。だとしたらオガワさんはどれだけ無尽蔵の体力を有しているのだろうか。おそらくあの声以外にもこれまでにたくさんの声を何度も何度も聴いてきたはずだ。
 家に帰ってシャワーを浴び、部屋を掃除した。掃除と言っても普段からゴミが散らかっているわけではないので、布団を干して床を掃いて出しっぱなしになっていた物を元の場所に直すくらいだ。元の場所に直すというのは、開脚の吉田先生の言葉みたいだ。骨格構造が本来あるべき位置に納まることが大切なのだと先生は言っていた。しかし、いくら片づけても、爪切りもリモコンも結局は使いやすい位置に落ち着いてしまう。
 竹内さんに来週から再開できると思いますと連絡を入れた。それから、鈴ちゃんにも連絡すると、『純粋理性批判』を読んでいるけどさっぱり分からない、この人は人間なのかと質問された。人間だと思うと答えた。次回の家庭教師は特別編として『純粋理性批判』の解説をしてほしいとお願いされた。僕は哲学の専門家でもカントの研究者でもないから解説なんて大層なことはできないが、たぶんこういうことを言っているのだろうという説明ならできると思うと言うと、それでいいと大層上から許しを出した。
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