第42話 <大切な人を傷つけた日>

文字数 1,790文字

《Side奈美》

悟史に連絡をしなければと思っていたが、
なかなかメッセージが打てなかった。

土曜日も悟史から会おうと言われるのが怖くて、
大した仕事もないのに会社に行った。

夏樹に週明けの打ち合わせ用資料のメールを送ると、
時計は午後3時と微妙な時間。

「どうしようかな……」と思ったが、帰ることにした。

悟史から何も連絡が来なかった事に安堵しつつ会社を出ると、
「わっ!」と誰かが私の肩を掴んだ。
驚いて振り向いた途端、全身の神経がビクンとなった。

悟史だった。

「仕事で夏樹ちゃんにメールしたら、
奈美が会社にいるって言うから」

と笑っている。

「わ、そ、そうだったんだ! びっくりしたよーー!」

と私も笑ってみせた。

「もう帰るの?」

「う、うん」

「あのさ、行きたい所があるんだ!」

「どこ?」

「うん、まだ内緒」

悟史は意味ありげに微笑んだ。

連れて来られたのは銀座のジュエリーショップだった。
ここまで来れば、どんなに鈍い人でもこの先の展開は予想がつく。
悟史は照れ臭そうに鼻の頭を掻いて言った。

「婚約指輪、本当はひざまづいて
ケースをパカッとかやりたかったんだけど、
サイズもわかんないし、
自分の好きなデザインのがいいでしょう?
だから今日は好きなの選んで!」

いよいよ逃げられない状況に心臓のスピードは早まり、
足がすくんだ。

「あ、えっと……」

手が震えているのがはっきりとわかる。

「びっくりしすぎちゃった?」

悟史は少し不安そうな顔で私の顔を覗き込む。

「いや…そうじゃなくて……」

私はうつむき、みるみる目には涙があふれた。

悟史も「あ……」と私の様子がおかしいのに気がつき、
「どうした?」と心配そうに肩を抱いた。

「あたし、あたし……」

喉が詰まって声がうまく出せない。

「指輪は貰えない……」

その一言を絞り出すと、
その場の空気が一気に冷たくなるのを感じた。

「で、理由は何?」

ジュエリーショップから少し離れた路地裏で悟史が聞いてきた。

「……」

「星野君か?」

「ごめん」

「そんな気はしてたんだ」

悟史は、はぁーーっとため息をついて頭を掻いた。

「それは一時的な気の迷いなんじゃないのか?
彼氏がいるのに別の人にもゆらぐ自分に酔ってるとか」

「違う」

「違うってなんで言い切れる?」

「体が……反応する」

「え?」

これから私が話す事は、
悟史を奈落の底に突き落とす事はわかっていた。

わかっていたけど、
今それをちゃんと話さないといけない気がする。

あぁまた喉が詰まって上手く声が出ない。
でも無理やり絞り出した。

「悟史と一緒にいるとほっとするしドキドキもするし、
別れた時は胸がキリキリ痛かった。
ずっと一緒にいたいと思ったからモロッコから
やり直したいってLINEもした。 
大事だった。 大好きだった」

そして一呼吸おいて続けた。

「でも、優はもっとなんだ……」

悟史の顔を見なきゃ良かったと後悔した。
ひどくショックを受けた顔に心が張り裂けそうだった。

張り裂けそうだったけど、それでも私は言葉を続けた。

「これまでの私は『してもらう』ことばかり考えていた。
『優しくしてほしい』『一緒にいてほしい』『幸せにしてほしい』
でも、今は『したい』方が強いんだ。
私、あの人のこと『優しくしたい』『一緒にいたい』
『幸せにしたい』」

悟史は何も言うことができず、しばらく呆然と地面を見つめていた。

「あいつ、女ったらしだって聞いたぞ」

悟史もやっとの思いで絞り出したような、震える声で言った。

「知ってる。
でもそれは、根っからの女好きとか考えなしにやったことじゃなくて、
自分の生き方がわからなくて人を傷つけてしまっただけ。
あの子はもうそんな生き方はやめて人生立て直してる所なの。
あの子の過ちは他の人に比べたら大きなものだったかもしれないけど、
誰にでもそういう事ってあると思う」

悟史は大きくうなだれてしばらく黙った後、静かに口を開いた。

「すぐに飲み込む事はできない」

悟史は、またふぅーーっと大きくため息をついて続けた。

「俺は奈美を突き放した時に、
俺の手から離れてしまうかもしれない覚悟はしていたはずだった。
一か八かでその賭けは成功したと思ったけど、
今になってこんな結果を突きつけられるとはな。
だけど、奈美が自分で自分の場所を選びとれるようになったなら、
あの時、俺がした事は間違っていなかったんだろうな」

何も答えられず、泣くことしかできなかった。

「残念だよ」

悟史は一度も私を見ずにその場を立ち去った。


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