第29話 <もう一人で大丈夫>

文字数 1,463文字

《Side優》

俺は角のあたりが少し焼け焦げたアルバムのページを、
一枚めくった。

あいつ、
これを守るために火事の中飛び込んで火傷まで負って……。

そのアルバムには俺が子供の頃の写真が収められていて、
写真はどれも丁寧に台紙に貼り付けてあり、
周りには母さんが書いたコメントやシールで彩られていた。

「家を売却するかもしれないから、
作業部屋の片付けをしていたら出て来てね」

いつの間にか目を覚ましていた母さんが言った。

「奈美さんは大丈夫?」

母さんはこちらに目をやって言った。

「あぁ、
手に火傷をしたみたいだけど大事には至ってない」

「そう、良かった」

そう言って少しほっとしたような表情を見せた。

「私、あの子に教えられた事があるわ」

母さんはゆっくりと体を起こし、
俺の手からアルバムを手に取った。

「中からね、こんなものも出て来たのよ」

そう言って開いたアルバムに挟まっていたのは
まだ若い母さんが実家の庭でこちらに向かって
「おいで」と手を広げ、笑いかけている写真だった。

「これ、初めてあなたが撮った写真。
私もすっかり忘れていたけど」

そう言って母さんは笑った。

「写真って単に思い出を記録するものだと思っていたけど、
この写真を見てわかったわ。
ここにはあの時の私の心と優の心が写ってる。
写真に写った心は人を癒すのね。
あなたはそういう人を癒す仕事をしているのね」

母さんはそう言って目を伏せ、

「優しい子になるよう願いを込めて優と名付けたの。
あなたの写真は優しいわね」

そう言って一筋涙をこぼした。

「母さん、俺、やっぱり写真の仕事辞めたくない」

そう言うと母さんは静かに頷き、

「あなたももう子供じゃないのね。
自分で決めた道を歩けるのね」

と呟き、こう続けた。

「お父さんね、今度事業を立て直すために
クアラルンプールに拠点を構えるらしいの。
お母さん、お父さんの元に行こうと思う」

「え?」

俺は少し驚いて言った。

「これまではね、あなたを育てる事で一生懸命で、
自分の事を考える余裕なんてなかった。
いや、あえて余裕を無くしていたのね。
その方が自分を見なくて済むから」

俺は黙って母さんの話を聞いていた。

「母さん、向こうで好きな事見つけるから。
だからもうあなたの事はすぐには助けに来られないかもしれない。
でも、大丈夫ね?」

そう言って俺を見上げた。

「大丈夫だよ」

俺は目を閉じてゆっくりと頷いた。

そして

「戸田さんのお嬢さんとの事はあなたにまかせるわ」

と母さんは言った。

病院を出ると、
花屋の店先に並べられた色とりどりの花が目に入った。

「きれいだな……」

とぼんやり見ていたら、店員さんが

「どなたかに渡すお花ですか?」

と聞いてきた。

渡すつもりはなかったが、

「28歳くらいの女の人なんですけど……
優しそうな感じで……
あ、星の王子さまが好きで!」

と答えると、店員さんはクスッと笑って

「かしこまりました」

と答えた。

「ブルースターっていう花があるので入れましょうか?」

と店員さんが言ったので

「お任せします」

と俺は答えた。

店員さんはいくつか花をピックアップして、
手際よく小さなブーケに仕上げた。

「彼女さんへですか?」

と聞かれたので、

「いやいやそんなんじゃないです!」

と慌てて手を振った。

ピンクのバラに、小さな星のような青い花が散りばめられていて、
可愛い花束だった。

あいつに渡したら

「わー! なにこれー!」

とか言うかな?

「ブルースターって言う花が入ってるんだぜ。
星の王子さまっぽいだろ?」

とか言ったら笑うかな?

あいつは誕生日にいない……。

俺は少し笑って、渡すつもりのない花束を手に、
祐天寺の1Kの部屋に戻った。


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