第2話 <彼の手、あの子の手>

文字数 1,223文字

《Side奈美》

私はデスクに座って、会議が終わるのを待っていた。

「もう20時か…」

まだ残業をしてる人や、
「お疲れー」と帰る人が入り混じるオフィスで
パラパラと雑誌をめくっていると、
同期でコピーライターの村井夏樹が

「会議終わったよー!」

とパーテーションの向こうから顔を覗かせた。

「待ってるみたいよ」

にやにやして夏樹は言った。

私はバッグを肩にかけ

「サンキュー!」とその場を後にした。

人気の無いフロアで様子を伺い、ちらっと会議室を覗くと

「俺だけだよ」と悟史は言った。

「もう終わったの?」と聞くと、

「あぁ、もう帰るよ」と言った。

一緒に帰る事にした私たちは、エレベーターホールに向かった。

「担当ブランドが変わって、
今度はこの会社に出入りするようになったけど、
そこに奈美が再就職するとはな」

悟史が言い、

「クライアントさまさま、今後ともよろしくお願いいたします。
まぁ、今回は私、悟史の担当じゃないけど」

私はおどけてみせた。

私たちはエレベーターに乗り込み、悟史は

「これってお前と縁があるってことなのかな?」

と軽くキスをした。

「ちょっと! 誰か乗ってきたらどうするの!」

「こんな時間にそうそう誰も乗ってこないよ」

そう言って悟史は私を抱き寄せた。

悟史とはもう六年の付き合いになるが、
去年数ヶ月ほど別れていた時期があった。

悟史に「自分の世界を見つけなさい」と別れを告げられ、
自分というものを見つけるために、私は前の会社を辞め、
モロッコへ一人旅に出た。

旅の中でなんとなく自分の世界を持つ事がどういう事なのかわかり、
帰国後、私たちはまた会うようになった。

「奈美、良い顔になったな」

再会後の最初の一言はそれだった。

私の何がどう変わったのかはわからないけれど、
悟史との関係は以前よりも穏やかなものになった。

「お腹空いたね」

「こんな時間だとファミレスくらいしかないなぁ」

そう言って近くのファミレスに入った。

生姜焼き定食を頼み、

「モロッコは豚肉食べないんだよね」

と私が言うと、

「またモロッコの話か。 よっぽど影響受けたんだな」

と悟史は笑いながら言った。

「でもモロッコが奈美を良い方に変えた。
俺、奈美と別れてた時、
『もう一生戻って来ないかもしれない』って
それはそれで怖かったんだぜ」

と悟史は言い、

「え、そうだったの?」

と私は思わず顔を上げた。

「うん。
あのまま俺が我慢して、付き合いを続けることもできた。
でも、それじゃ奈美にとって良くないって思ったんだ」

「……」

「意を決して突き放したおかげで、
素敵になった奈美にまた会えた」

そう言って目を細め、私の頭を撫でた。

胸の奥がじんと熱くなった。

あれ、この感じ前にも……。

そうだ、あれはモロッコ、マラケシュ最後の日。

ふわふわの茶色の髪の毛と長いまつげ。
その手がそっと頬に触れた時、その時と同じ感覚。

優……。

忘れていた訳ではないけど、この時優の事が頭をよぎった。

「奈美、これからうちに来る?」

悟史が聞いた。

私は「はっ」と我に返り「うん」と微笑んだ。


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