第35話 <失意>

文字数 1,175文字

《Side優》

朝広エージェンシー。

今日はここに来るのは気が重かった。

エントランスで担当の人を呼び、しばらく待っていると、
奈美が通りがかった。

こう言う時に限って会うもんだよな……。

「優。 仕事?」

「そう。 今人待ってる」

乾いた空気が二人を包んだ。

奈美に会うのは気が重かったけど、
この間冷たくしすぎた事は謝りたいと思っていた。

それに……何でうちまで来たのかも確かめたかった。

「そうなんだ」

奈美はそう言って通り過ぎようとしたので、
「あ、」と呼び止めようとすると、
俺が話し出すよりも先に奈美はこちらを振り返り言った。

「あ、そうだ、私結婚する事にしたの。
だからもう家に行ったりしないから安心して」

そう微笑んだ。

「え……」

一瞬、心臓から発せられた電気が身体中を走るような感覚がし、
俺は言葉を失った。

するとエントランスの自動ドアが開き、
円城寺さんが入って来るのが見えた。

その場に戦慄が走る。

「あ、悟史。 今ね優に結婚の報告をしたの」

緊張した面持ちで奈美が言った。

「あ、おめでとうございます」

思わず俺も続けた。

「あぁ、ありがとう」

と円城寺さんは答えた。

気まずい沈黙が流れた後、

「あぁ! 円城寺さん良かった!」

と若い男性が駆け寄って来た。

「今度起用する予定でいたタレントが、
スキャンダル出ちゃってモメてるんですよ!」

「あぁ、わかったすぐ行く」

「頼もしいですね!
円城寺さんがいてくれるとほんと助かります!」

男性はほっとした様子で言い、
奥に入って行った。

「それじゃ」

と円城寺さんは短く言い、

奈美も「じゃあね」と、二人とも奥に消えて行った。

俺はその場で一人立ち尽くした。

その日は一日仕事にならず、久しぶりにヘマをやらかした俺は、
安達さんにもこっぴどく叱られた。

それからどうやって家に帰ったのかあまり覚えていない。

真っ暗な部屋に入ると、
冷蔵庫のブーンという音だけが鳴っていた。

どうしたって今の俺には手が届かないんだ。

やりきれない思いが腹の底から湧いて来て
枕を床にたたきつけた。

わかってたことだけど……
頭がおかしくなりそうだ……。

シーツを掴み、ベッドに頭を打ち付けた。

その時、棚から仕事のファイルが落ちて、
戸田さんの写真が散らばった。

あぁ、俺が振ってきた奴はみんなこんな気持ちだったのか。

そりゃみんなショックは受けただろうとは思っていたけど、
悲しいとか切ないとかそんなレベルではない。

自分が一番一緒にいたい人から切り離されてしまった感覚。

みんなが味わってきた痛みを今初めて知って、
自分のやってきた事の重さが身にしみた。

何もかも嫌気がさし、ベッドに座ったまま
どのくらい時間が過ぎたのだろう。
ぼんやりとした思考の中、鞄からスマホを取り出し、
戸田さんにLINEを送った。

「今度映画でも行きませんか?」

返事はわりとすぐに来た。

「はい! 嬉しいです!」

「それでいいんだよな」とつぶやいた。


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