第17話 山行
文字数 4,555文字
十兵衛と撫子は秋晴れの山中を歩いていた。
まだ錦繍には早いが、澄んだ空気が心地よい日和の中、二人は晴れて夫婦となった報告の為に、山の隠居家へと向かっているのであった。
「撫子よ、疲れてはおらぬか?」
「まあ、そのような。先ほど家を出たばかりでござりますよ」
十兵衛の過保護な物言いに、撫子は笑って答える。
実際、撫子は五日に一度は隠居家を訪ねるようにしていたので、通いなれた道なのである。
「そうか?それにしても、今日の いでたちは、いつもと趣が ちがって良いのう」
いつもの令嬢風の装いとは うって変わり、裁付 け袴 を履いて髪をポニーテールのように高い位置で結わえた姿は、少し子供っぽく お転婆そうに見え、それもまた愛らしく好もしいと思う十兵衛であったが、
「まことにござりますか?」
と、頬を染めて恥じらいながら上目遣いに聞く撫子は、可愛らしい姿とは逆に艶かしく、ドキッとさせられる。
「まことだ、まことだ」
心の内をごまかすように、十兵衛は少しぞんざいに答えて、撫子の頭をポンポンとなでた。
「また子供扱いなさって…」
撫子が紅い唇をとがらせると、十兵衛は撫子を抱き上げて唇を重ね、
「子供だと思うておれば、このような扱いはせぬぞ」
と言った。
耳まで真っ赤に染まった撫子は、そのまま十兵衛の肩に顔を埋め、竹林を渡る風に火照りを冷ます。
ここを抜ければ、山の隠居家は すぐである。
竹林を抜けると、隠居家から二頭の山犬が飛び出してきた。
爺様と婆様の飼っている青嵐 と野分 だ。
二頭は撫子を抱きかかえている十兵衛の足にじゃれついて、大好きな撫子を降ろせとでも言っているようである。
「こらこら」
十兵衛が二頭をよけながら歩いていくと、隠居家から爺様と婆様が顔を出した。
「おやまあ、旦那様に抱っことは、睦まじきこと」
二人を見た婆様が冷やかすように言うと、撫子は抱かれたまま照れ笑いして見せる。
「おお、十兵衛どの、撫子。よう来たのう。ささ、早う中へ」
爺様にうながされ中へ入ると、二人の為にアケビや栗に柿などが用意されていた。
昨日のうちに、青嵐と野分の子で河原家で飼っている いなさ に訪問の知らせの文を届けさせておいたおかげだ。
着座した十兵衛と撫子は揃って手をつかえ、十兵衛が、
「この度、某と撫子どのは比翼連理の契りを結び、夫婦とあいなりました事、ご挨拶に上がりましてございます」
と、口上を述べると、爺様が手を振ってさえぎった。
「ああ、そのようなもの、よいよい。撫子を大切にしてやってさえくれればの」
「ほんに、ようございました。何と めでたきこと。婆は心から嬉しく思いますよ」
「爺様、婆様。十兵衛様は、私などにはもったいなき方…。撫子は幸せにござります」
爺様と婆様の言葉に、撫子は嬉し涙を目に浮かべて答える 。
十兵衛はポリポリと頭をかきながら、少しばかり顔に朱を浮かべて、
「撫子どのは爺様と婆様の宝。某、しかと心得、大切にいたし申す」
と約束した。
堅苦しい話を終え、談笑しながら秋の山の果物を楽しんでいると、
「そういえば、十兵衛どのに頼み事があってのう」
と、爺様が言い出す。
「?某に出来る事ならば何なりと」
「なに、十兵衛どのには簡単な事であろうて」
爺様の話は、
―最近、この先の奈良・京方面へ抜ける峠道に山賊が出て、周辺の集落からの行商の行き帰りや、出稼ぎ戻りの者達が襲われる事がしばしばあり、相談を受けている。ついては、その山賊を退治してほしい―
というもので、話を聞き終えると十兵衛は、
「それは難儀でござるな。承知いたした。では早速、様子を見に行きますかのう」
と、請け合った。
「撫子、すまんがついてきてくれるか?」
「もちろんにござります」
これには爺様も驚く。
「撫子を伴われるとな!?危のうはござらんか?」
「爺様、心配などなさらずとも大丈夫でござりましょう。十兵衛どのですよ」
と、婆様は爺様と対照的に、のんびりと答える。
「ご安心めされ。撫子を危ない目には会わせませぬよ。女人連れの方がきゃつらも油断しますでしょう」
十兵衛と撫子は笠や振り分け荷物、風呂敷包みなどを隠居家より借り受けて旅人風に変装し、野分を連れて峠道へと向かった。
二人は旅の父娘づれといった風情で山道を歩いていく。
連れてきた山犬の野分は、どこを歩いているものか姿が見えないが、撫子はそれを気にする様子がないので、いつもの事なのかもしれない。
撫子は十兵衛から持たされた、揃いの黒い細身の杖を、不思議そうな顔で見ている。
「十兵衛様、家を出る時から思っていたのですが、この杖は細いのに、見た目よりずっと重うございます…」
「ふふっ。この杖は特別に作らせた物でな。まさか、このようなことになろうと思って持ってきた訳では無かったが…。後でその杖が役に立つやもしれぬぞ」
十兵衛は片エクボを彫ってイタズラそうに笑った。
隠居家を出て ゆっくりと半刻ほど歩いたであろうか、爺様の言っていた山賊が出るというあたりに、十兵衛と撫子はさしかかった。
「撫子よ、先ほど教えたとおりに、な?」
十兵衛が、撫子だけに聞こえる程度に抑えた声で言う。
隻眼にはあやしい光が灯り、何かを感じとっているようだった。
少しばかり開けた場所に出たので、二人は一休みしようと足を止めた。
と、その時―
「命が惜しかったら、身ぐるみ置いていけ」
その言葉とともに、木々の間から十人程の男達が出てくる―山賊どもだ。
手には棍棒やナタに手斧、古びた短刀などが握られてある。
そやつらを見て、誰にも分からぬ程かすかに、十兵衛の口の端が上がった。
十兵衛は撫子を後ろに かばい、撫子は おびえたように十兵衛にすがり付く。
「何と恐ろしい…。娘の身と命はお助けを」
「父上、怖い…」
十兵衛と撫子は、なんとも空々しい台詞を棒読みしているが、まさかこの二人が自分達を退治に来ているとは夢にも思わぬ山賊どもは、その不自然さに気づくよしも無い。
「よしよし。それならば、まずは親父の腰の物から渡してもらおうか?」
下卑た笑いを浮かべた山賊が十兵衛の大小の刀を要求すると、十兵衛はあっさりとそれを渡した。
「さて、これで娘と命はご容赦いただけますかな?」
十兵衛が聞くと、山賊の首領らしき男が、
「山賊が律儀にそんなもの守ると思うか?おぬしを殺して娘はわしらで楽しんだ後、女郎に売り飛ばしてやるわ」
と言いながら、脇差しで斬りかかってくる。
「そうであろうな」
笠の下、ニヤリと笑った十兵衛が杖を地面にグッと押さえ込むと、竹製の細い杖はしなり、土ぼこりとともに鉄の石突きが山賊の顎を下から跳ね上げた。
山賊が白目をむいて膝からくずれ落ちると、どこからか飛び出してきた野分がそいつの首をくわえ、今にも食い破らんと唸り声をあげる。
「さあ、おぬしら、遠慮はいらん。かかって来るがいい。ただし、娘に手出ししようとすれば、山犬が そやつの喉笛を食いちぎるぞ」
十兵衛は、何事もなかったかのように杖をつき直すと、白い歯を見せて言い放った。
いきなり首領を押さえられた山賊どもは、ヘビに にらまれた蛙のごとく動けずにいたが、一人が己を鼓舞するように、
「相手は一人だ。あんな杖一本、叩き切ってやればいい!」
と言って、十兵衛に短刀で襲いかかる。
しかし、十兵衛の杖がそいつの目に止まらぬ速さで横殴りに打ち込まれると、叩き折られた短刀とともに倒れこんだ。
「一人ずつ来いだなどと、言うてはおらぬぞ。面倒なのでまとめて来い」
十兵衛が手招きする。
と、そこへ最初にやられた首領が意識を取り戻した。
「な、なんだ、これは!た、たた助けてくれ」
首領は自分が山犬にのし掛かられて、喉首をくわえられている状況に驚き、大騒ぎである。
「うるそうござりますよ」
撫子がそやつに件の杖をドスっと突き立てて、ぐりぐりと抉ると静かになった。
「ほうれ、おぬしら、早う首領様をお助けせぬか」
十兵衛の、あきらかに面白がっている様子に山賊どもは頭に血がのぼり、いっせいに飛びかかって来るのを十兵衛が かわして流すと、ギャーッ!と悲鳴が上がった。
仲間と相討ちになったようだ。
「仲間を斬るなどと、非道い事をするものよのう」
呆れたような顔で十兵衛がつぶやくと、かかって来た残りのやつらも、短刀を叩き折るような、細身の見た目と合わぬ杖で突かれ、叩き付けられて、あっという間に全て倒され地面に転がり うめき声を垂れ流す。
十兵衛は笠を外して野分に押さえられた首領の元へいった。
「十兵衛様」
撫子が笠を受け取りながら呼ばわるのを聞いた首領は、―十兵衛だと…?―と、この強さと名に思い当たる人物を確かめるため、野分の牙が食い込む緊張感に耐えながら、顔をねじ向ける。
笠を外し、見えた目元…右目の眼帯は、まごう方なき、
「や、柳生、十兵衛…」
「ほう、おれを知っておるか」
山賊の首領は黙った。
「ならば、話は早い。今日のところは見逃してやろう。次に大和の山中で見かけたら、即斬る」
十兵衛は首領の顔をのぞきこみながら、まるで天気の話でもしているかのように言うが、口調とは裏腹に凄まじい殺気が吹き付けるのを感じて、首領はガタガタと震えた。
十兵衛の刀を拾って戻った撫子は、
「山に住まう者ならば知っていよう?山犬は賢く執念深い。その子は おまえを覚えました。次に この山中におまえの臭いを嗅いだなら、どこまでも追って、その喉笛を引き裂きましょう。野分、もう お離し」
と言って、野分が首領を解放すると、赤黒く血の寄ったあとを付けた首をさすりながら、手下どもと共に ほうほうの体で逃げていった。
「野分は なんと利口で可愛いのでしょう!」
撫子は、腹を見せて褒めろなでろと要求する野分を、褒めながら なでてやる。
すると十兵衛も、
「おれも働いたのだが、のう…?」
と、ニヤニヤしながら撫子を見やる。
撫子はクスクスと笑うと、十兵衛の背に手を回して胸に顔を寄せ深く息を吸い、十兵衛の匂いを嗅いだ。
「十兵衛様の益荒男ぶりを見て、撫子は胸の高鳴りを抑えられませぬでした。ますます、十兵衛様をお慕いする気持ちが強くなりましてござります」
ちょっとした軽口のつもりだった十兵衛は、染まり初めの紅葉のように赤くなり、撫子を抱きしめると、
「怖くはなかったか?」
と、聞いた。
「いいえ、少しも。十兵衛様とご一緒ならば、きっと地獄の道行きも恐ろしいとは思いませぬ」
顔を上げた撫子の頬は、紅を掃いたように染まっている。
「そうか…」
十兵衛が撫子に口づけると、野分が かまえとばかりに足元に じゃれついてきた。
「あーもう、わかったわかった」
十兵衛が苦笑いして野分の腹をなでてやると、満足したものか、スッと起き上がり、戻りの道を先導するかのように振り返りながら歩き出す。
二人は思わず声を出して笑い、秋深まりつつある山中を、手をつないで野分のあとをついて歩き出した。
まだ錦繍には早いが、澄んだ空気が心地よい日和の中、二人は晴れて夫婦となった報告の為に、山の隠居家へと向かっているのであった。
「撫子よ、疲れてはおらぬか?」
「まあ、そのような。先ほど家を出たばかりでござりますよ」
十兵衛の過保護な物言いに、撫子は笑って答える。
実際、撫子は五日に一度は隠居家を訪ねるようにしていたので、通いなれた道なのである。
「そうか?それにしても、今日の いでたちは、いつもと趣が ちがって良いのう」
いつもの令嬢風の装いとは うって変わり、
「まことにござりますか?」
と、頬を染めて恥じらいながら上目遣いに聞く撫子は、可愛らしい姿とは逆に艶かしく、ドキッとさせられる。
「まことだ、まことだ」
心の内をごまかすように、十兵衛は少しぞんざいに答えて、撫子の頭をポンポンとなでた。
「また子供扱いなさって…」
撫子が紅い唇をとがらせると、十兵衛は撫子を抱き上げて唇を重ね、
「子供だと思うておれば、このような扱いはせぬぞ」
と言った。
耳まで真っ赤に染まった撫子は、そのまま十兵衛の肩に顔を埋め、竹林を渡る風に火照りを冷ます。
ここを抜ければ、山の隠居家は すぐである。
竹林を抜けると、隠居家から二頭の山犬が飛び出してきた。
爺様と婆様の飼っている
二頭は撫子を抱きかかえている十兵衛の足にじゃれついて、大好きな撫子を降ろせとでも言っているようである。
「こらこら」
十兵衛が二頭をよけながら歩いていくと、隠居家から爺様と婆様が顔を出した。
「おやまあ、旦那様に抱っことは、睦まじきこと」
二人を見た婆様が冷やかすように言うと、撫子は抱かれたまま照れ笑いして見せる。
「おお、十兵衛どの、撫子。よう来たのう。ささ、早う中へ」
爺様にうながされ中へ入ると、二人の為にアケビや栗に柿などが用意されていた。
昨日のうちに、青嵐と野分の子で河原家で飼っている いなさ に訪問の知らせの文を届けさせておいたおかげだ。
着座した十兵衛と撫子は揃って手をつかえ、十兵衛が、
「この度、某と撫子どのは比翼連理の契りを結び、夫婦とあいなりました事、ご挨拶に上がりましてございます」
と、口上を述べると、爺様が手を振ってさえぎった。
「ああ、そのようなもの、よいよい。撫子を大切にしてやってさえくれればの」
「ほんに、ようございました。何と めでたきこと。婆は心から嬉しく思いますよ」
「爺様、婆様。十兵衛様は、私などにはもったいなき方…。撫子は幸せにござります」
爺様と婆様の言葉に、撫子は嬉し涙を目に浮かべて答える 。
十兵衛はポリポリと頭をかきながら、少しばかり顔に朱を浮かべて、
「撫子どのは爺様と婆様の宝。某、しかと心得、大切にいたし申す」
と約束した。
堅苦しい話を終え、談笑しながら秋の山の果物を楽しんでいると、
「そういえば、十兵衛どのに頼み事があってのう」
と、爺様が言い出す。
「?某に出来る事ならば何なりと」
「なに、十兵衛どのには簡単な事であろうて」
爺様の話は、
―最近、この先の奈良・京方面へ抜ける峠道に山賊が出て、周辺の集落からの行商の行き帰りや、出稼ぎ戻りの者達が襲われる事がしばしばあり、相談を受けている。ついては、その山賊を退治してほしい―
というもので、話を聞き終えると十兵衛は、
「それは難儀でござるな。承知いたした。では早速、様子を見に行きますかのう」
と、請け合った。
「撫子、すまんがついてきてくれるか?」
「もちろんにござります」
これには爺様も驚く。
「撫子を伴われるとな!?危のうはござらんか?」
「爺様、心配などなさらずとも大丈夫でござりましょう。十兵衛どのですよ」
と、婆様は爺様と対照的に、のんびりと答える。
「ご安心めされ。撫子を危ない目には会わせませぬよ。女人連れの方がきゃつらも油断しますでしょう」
十兵衛と撫子は笠や振り分け荷物、風呂敷包みなどを隠居家より借り受けて旅人風に変装し、野分を連れて峠道へと向かった。
二人は旅の父娘づれといった風情で山道を歩いていく。
連れてきた山犬の野分は、どこを歩いているものか姿が見えないが、撫子はそれを気にする様子がないので、いつもの事なのかもしれない。
撫子は十兵衛から持たされた、揃いの黒い細身の杖を、不思議そうな顔で見ている。
「十兵衛様、家を出る時から思っていたのですが、この杖は細いのに、見た目よりずっと重うございます…」
「ふふっ。この杖は特別に作らせた物でな。まさか、このようなことになろうと思って持ってきた訳では無かったが…。後でその杖が役に立つやもしれぬぞ」
十兵衛は片エクボを彫ってイタズラそうに笑った。
隠居家を出て ゆっくりと半刻ほど歩いたであろうか、爺様の言っていた山賊が出るというあたりに、十兵衛と撫子はさしかかった。
「撫子よ、先ほど教えたとおりに、な?」
十兵衛が、撫子だけに聞こえる程度に抑えた声で言う。
隻眼にはあやしい光が灯り、何かを感じとっているようだった。
少しばかり開けた場所に出たので、二人は一休みしようと足を止めた。
と、その時―
「命が惜しかったら、身ぐるみ置いていけ」
その言葉とともに、木々の間から十人程の男達が出てくる―山賊どもだ。
手には棍棒やナタに手斧、古びた短刀などが握られてある。
そやつらを見て、誰にも分からぬ程かすかに、十兵衛の口の端が上がった。
十兵衛は撫子を後ろに かばい、撫子は おびえたように十兵衛にすがり付く。
「何と恐ろしい…。娘の身と命はお助けを」
「父上、怖い…」
十兵衛と撫子は、なんとも空々しい台詞を棒読みしているが、まさかこの二人が自分達を退治に来ているとは夢にも思わぬ山賊どもは、その不自然さに気づくよしも無い。
「よしよし。それならば、まずは親父の腰の物から渡してもらおうか?」
下卑た笑いを浮かべた山賊が十兵衛の大小の刀を要求すると、十兵衛はあっさりとそれを渡した。
「さて、これで娘と命はご容赦いただけますかな?」
十兵衛が聞くと、山賊の首領らしき男が、
「山賊が律儀にそんなもの守ると思うか?おぬしを殺して娘はわしらで楽しんだ後、女郎に売り飛ばしてやるわ」
と言いながら、脇差しで斬りかかってくる。
「そうであろうな」
笠の下、ニヤリと笑った十兵衛が杖を地面にグッと押さえ込むと、竹製の細い杖はしなり、土ぼこりとともに鉄の石突きが山賊の顎を下から跳ね上げた。
山賊が白目をむいて膝からくずれ落ちると、どこからか飛び出してきた野分がそいつの首をくわえ、今にも食い破らんと唸り声をあげる。
「さあ、おぬしら、遠慮はいらん。かかって来るがいい。ただし、娘に手出ししようとすれば、山犬が そやつの喉笛を食いちぎるぞ」
十兵衛は、何事もなかったかのように杖をつき直すと、白い歯を見せて言い放った。
いきなり首領を押さえられた山賊どもは、ヘビに にらまれた蛙のごとく動けずにいたが、一人が己を鼓舞するように、
「相手は一人だ。あんな杖一本、叩き切ってやればいい!」
と言って、十兵衛に短刀で襲いかかる。
しかし、十兵衛の杖がそいつの目に止まらぬ速さで横殴りに打ち込まれると、叩き折られた短刀とともに倒れこんだ。
「一人ずつ来いだなどと、言うてはおらぬぞ。面倒なのでまとめて来い」
十兵衛が手招きする。
と、そこへ最初にやられた首領が意識を取り戻した。
「な、なんだ、これは!た、たた助けてくれ」
首領は自分が山犬にのし掛かられて、喉首をくわえられている状況に驚き、大騒ぎである。
「うるそうござりますよ」
撫子がそやつに件の杖をドスっと突き立てて、ぐりぐりと抉ると静かになった。
「ほうれ、おぬしら、早う首領様をお助けせぬか」
十兵衛の、あきらかに面白がっている様子に山賊どもは頭に血がのぼり、いっせいに飛びかかって来るのを十兵衛が かわして流すと、ギャーッ!と悲鳴が上がった。
仲間と相討ちになったようだ。
「仲間を斬るなどと、非道い事をするものよのう」
呆れたような顔で十兵衛がつぶやくと、かかって来た残りのやつらも、短刀を叩き折るような、細身の見た目と合わぬ杖で突かれ、叩き付けられて、あっという間に全て倒され地面に転がり うめき声を垂れ流す。
十兵衛は笠を外して野分に押さえられた首領の元へいった。
「十兵衛様」
撫子が笠を受け取りながら呼ばわるのを聞いた首領は、―十兵衛だと…?―と、この強さと名に思い当たる人物を確かめるため、野分の牙が食い込む緊張感に耐えながら、顔をねじ向ける。
笠を外し、見えた目元…右目の眼帯は、まごう方なき、
「や、柳生、十兵衛…」
「ほう、おれを知っておるか」
山賊の首領は黙った。
「ならば、話は早い。今日のところは見逃してやろう。次に大和の山中で見かけたら、即斬る」
十兵衛は首領の顔をのぞきこみながら、まるで天気の話でもしているかのように言うが、口調とは裏腹に凄まじい殺気が吹き付けるのを感じて、首領はガタガタと震えた。
十兵衛の刀を拾って戻った撫子は、
「山に住まう者ならば知っていよう?山犬は賢く執念深い。その子は おまえを覚えました。次に この山中におまえの臭いを嗅いだなら、どこまでも追って、その喉笛を引き裂きましょう。野分、もう お離し」
と言って、野分が首領を解放すると、赤黒く血の寄ったあとを付けた首をさすりながら、手下どもと共に ほうほうの体で逃げていった。
「野分は なんと利口で可愛いのでしょう!」
撫子は、腹を見せて褒めろなでろと要求する野分を、褒めながら なでてやる。
すると十兵衛も、
「おれも働いたのだが、のう…?」
と、ニヤニヤしながら撫子を見やる。
撫子はクスクスと笑うと、十兵衛の背に手を回して胸に顔を寄せ深く息を吸い、十兵衛の匂いを嗅いだ。
「十兵衛様の益荒男ぶりを見て、撫子は胸の高鳴りを抑えられませぬでした。ますます、十兵衛様をお慕いする気持ちが強くなりましてござります」
ちょっとした軽口のつもりだった十兵衛は、染まり初めの紅葉のように赤くなり、撫子を抱きしめると、
「怖くはなかったか?」
と、聞いた。
「いいえ、少しも。十兵衛様とご一緒ならば、きっと地獄の道行きも恐ろしいとは思いませぬ」
顔を上げた撫子の頬は、紅を掃いたように染まっている。
「そうか…」
十兵衛が撫子に口づけると、野分が かまえとばかりに足元に じゃれついてきた。
「あーもう、わかったわかった」
十兵衛が苦笑いして野分の腹をなでてやると、満足したものか、スッと起き上がり、戻りの道を先導するかのように振り返りながら歩き出す。
二人は思わず声を出して笑い、秋深まりつつある山中を、手をつないで野分のあとをついて歩き出した。