第43話 女難 其の二十一
文字数 1,874文字
明くる朝になり、いよいよ今宵が金色髑髏の満願の儀。
さりとて、十兵衛も撫子も市朗も たらちねも、特段いつもと変わり無く、朝餉の後の時間をのんびりと過ごしていた。
「撫子」
「はい、十兵衛さま」
「何やら面倒な事に巻き込んでしまって、済まんな。おれが軽々に招きに応じたりしたばかりに」
「何を申されますか。十兵衛さまは降りようとしておられたのに、わたくしの我が儘を聞いて下さりました。河原の家に帰りましたら、ゆっくり骨休めいただけるように致しますゆえ」
「我が儘とは、善女様の事か?なに、おれの為 そうとしておる事が、善女様やお前の望みに敵っておるとも限らんぞ」
「わたくしは、あの お可愛ゆらしい善女様の憂いに、なにがしかの形で決着が付けばと思うているのでござります。それがたとえ、どんな形であれ」
「そう、か……」
煙管 から立ち上 る煙を、十兵衛は もの思わしげに眺めた。
「では、正面から堂々と乗り込む、という事で良いのだな?」
「ですな。我等が来るのは、向こうとて予見しておりましょう。コソコソ忍び込む手間など、無駄だと思われます」
十兵衛と市朗は、前日に撫子が善女龍王から聞き取って描いた浄土井邸の見取り図を前に、段取りを決める相談をしていた。
どことなくウキウキした、物見遊山にでも出る算段をしているかのような様子に、たらちね と共に持ち物を確かめるなどしていた撫子が、呆れたように口を挟む。
「お父様も十兵衛さまも、そのように浮かれて……」
「撫子、そう言うてやるな。武士などというものは戦 狂いの連中じゃ。こやつらは今、楽しうてしょうがないのじゃぞ」
からかうような たらちねの言い種に、二人は苦笑いして頭を掻いた。
「たらちね様に そう言われてしまうと、面目次第もございませんな」
「しかしな、たらちね様も撫子も。武士に限らず男 というものは幾つになっても、何かしら、いざ事に臨むにあたっては、血が騒ぐというのか。まあ、仕方のないものなのだと思うてくれ」
「まあ……」
撫子は再び、呆れたように父と夫を眺めた。
夜の闇に乗じ、三人と一柱は浄土井邸へと歩を進める。
提灯などを使えば人目につくやもしれぬ為、山犬の野分 •追風 を従えた たらちねが先導した。
何もこのような不便をせずとも、昼日中に乗り込めば良さそうなものだが、三人は血糊の目立たぬよう黒装束に額当てを付け襷掛け。
十兵衛と市朗は手甲を付けて、腰に佩いた愛刀の他に背にもう一振。
撫子は籠手 と弽 を付け、己の背ほどもある弓を担ぎ、腰に矢籠を提げている。
このような物々しい出立ちでは、浄土井邸に辿り着く前に見廻りの役人に捕まってしまうであろう事は、想像に難くない。
「たらちね様、善女様は浄土井に お戻りなのでしょうか?今朝はおでましが無く、御供えも夜になってもそのままにござりました」
「うむ、善女殿には何やらお考えがあられたようでな。誰やら会いに行かれたようじゃ。あちらに行けば、戻られてあるやもしれん」
「さようにござりましたか」
撫子はホッとして胸をなでおろした。
その一人と一柱の様子を眺めながら、フと十兵衛が思い出したようにこぼす。
「義父上 、とうとう吾子は出て参りませんでしたな」
「ああ、所詮は太夫への想いも そのくらいの物だったって事だ。あの気の強 い女は、戻っても吾子には洟 も引っ掛けねえだろうな」
答える市朗は苦々しげな物言いを隠しもしない。
昨日の一件から、市朗の発破も不発に終わったようで、吾子こと新左衛門は引きこもり、伏せっているという。
一行を送り出す吾子の父、与次兵衛も恐縮しきりであった。
「着いたぞ」
立ち止まった たらちねの前には、星明かりにもその流麗な曲線が浮かぶ唐門がある。
「どれ、声を掛けて御開門願おうかな」
いつものように、十兵衛が片えくぼを彫ってニヤリと笑いながら諧謔 を飛ばすと、それに呼応するようにギイィと音を立てて門扉が開いた。
門内には点々と篝火が灯されているが、窺える範囲に人の姿は無い。
すると、突然に野分と追風が門内に向かって唸り声をあげる。
見るとそこには、先に十兵衛と たらちねを追った黒狐が忽然と現れ、ついて来いとでも言いたげに、背中越しに振り返っていた。
その姿を見て市朗が、さも愉快そうにくつくつと笑う
「これはこれは。手厚いもてなしの用意があるようだのう」
「楽しみにござります」
この状況に紅い唇をほころばせる撫子は、さすが市朗の娘である。
意表を突かれた形となり、苦笑いしきりな十兵衛は気を取り直して、
「公卿様をお待たせしては、無礼に当たりますな。参りましょうぞ」
と言いながら、門内へと足を踏み入れた。
さりとて、十兵衛も撫子も市朗も たらちねも、特段いつもと変わり無く、朝餉の後の時間をのんびりと過ごしていた。
「撫子」
「はい、十兵衛さま」
「何やら面倒な事に巻き込んでしまって、済まんな。おれが軽々に招きに応じたりしたばかりに」
「何を申されますか。十兵衛さまは降りようとしておられたのに、わたくしの我が儘を聞いて下さりました。河原の家に帰りましたら、ゆっくり骨休めいただけるように致しますゆえ」
「我が儘とは、善女様の事か?なに、おれの
「わたくしは、あの お可愛ゆらしい善女様の憂いに、なにがしかの形で決着が付けばと思うているのでござります。それがたとえ、どんな形であれ」
「そう、か……」
「では、正面から堂々と乗り込む、という事で良いのだな?」
「ですな。我等が来るのは、向こうとて予見しておりましょう。コソコソ忍び込む手間など、無駄だと思われます」
十兵衛と市朗は、前日に撫子が善女龍王から聞き取って描いた浄土井邸の見取り図を前に、段取りを決める相談をしていた。
どことなくウキウキした、物見遊山にでも出る算段をしているかのような様子に、たらちね と共に持ち物を確かめるなどしていた撫子が、呆れたように口を挟む。
「お父様も十兵衛さまも、そのように浮かれて……」
「撫子、そう言うてやるな。武士などというものは
からかうような たらちねの言い種に、二人は苦笑いして頭を掻いた。
「たらちね様に そう言われてしまうと、面目次第もございませんな」
「しかしな、たらちね様も撫子も。武士に限らず
「まあ……」
撫子は再び、呆れたように父と夫を眺めた。
夜の闇に乗じ、三人と一柱は浄土井邸へと歩を進める。
提灯などを使えば人目につくやもしれぬ為、山犬の
何もこのような不便をせずとも、昼日中に乗り込めば良さそうなものだが、三人は血糊の目立たぬよう黒装束に額当てを付け襷掛け。
十兵衛と市朗は手甲を付けて、腰に佩いた愛刀の他に背にもう一振。
撫子は
このような物々しい出立ちでは、浄土井邸に辿り着く前に見廻りの役人に捕まってしまうであろう事は、想像に難くない。
「たらちね様、善女様は浄土井に お戻りなのでしょうか?今朝はおでましが無く、御供えも夜になってもそのままにござりました」
「うむ、善女殿には何やらお考えがあられたようでな。誰やら会いに行かれたようじゃ。あちらに行けば、戻られてあるやもしれん」
「さようにござりましたか」
撫子はホッとして胸をなでおろした。
その一人と一柱の様子を眺めながら、フと十兵衛が思い出したようにこぼす。
「
「ああ、所詮は太夫への想いも そのくらいの物だったって事だ。あの気の
答える市朗は苦々しげな物言いを隠しもしない。
昨日の一件から、市朗の発破も不発に終わったようで、吾子こと新左衛門は引きこもり、伏せっているという。
一行を送り出す吾子の父、与次兵衛も恐縮しきりであった。
「着いたぞ」
立ち止まった たらちねの前には、星明かりにもその流麗な曲線が浮かぶ唐門がある。
「どれ、声を掛けて御開門願おうかな」
いつものように、十兵衛が片えくぼを彫ってニヤリと笑いながら
門内には点々と篝火が灯されているが、窺える範囲に人の姿は無い。
すると、突然に野分と追風が門内に向かって唸り声をあげる。
見るとそこには、先に十兵衛と たらちねを追った黒狐が忽然と現れ、ついて来いとでも言いたげに、背中越しに振り返っていた。
その姿を見て市朗が、さも愉快そうにくつくつと笑う
「これはこれは。手厚いもてなしの用意があるようだのう」
「楽しみにござります」
この状況に紅い唇をほころばせる撫子は、さすが市朗の娘である。
意表を突かれた形となり、苦笑いしきりな十兵衛は気を取り直して、
「公卿様をお待たせしては、無礼に当たりますな。参りましょうぞ」
と言いながら、門内へと足を踏み入れた。