第18話 最期の夜の約束
文字数 3,399文字
「今宵が、この夜具で共寝する最後の夜でござりますね」
媾合の後のせいか、少し気だるげな声で撫子が言う。
「そうか、今宵が五日目の夜だのう」
「幼き頃より、この夜具を持参して十兵衛様の元に嫁ぐのを夢見ておりました私には、夢のような五日でござりました」
十兵衛は腕枕した撫子を優しく見つめ、頷いた。
「大きくなってから、この夜具は両親の物で、自分が嫁ぐ時には新しい物を用意してもらう ものだとわかり、少しがっかり致しましたが…不思議な巡り合わせにござります」
「この夜具は、この後また蔵にしまわれるのだろうが、そうしてどうなるのだ?」
「両親と私達、この夜具で初枕を交わした者が、最期、荼毘にふされるのを待つ間寝かされるのでござります。そして、年の順なら私の時に一緒に火に…」
「そういうものなのか。ならばその時、もう一度この夜具で、おれと共寝してくれるか?」
「はい、十兵衛様との最期の夜伽をつとめさせていただきまする」
「それまで、末長くよろしくのう。女房どの」
「いやでござります」
撫子の返事に、十兵衛は隻眼を目玉が落ちるのではないかと思えるほど見開き、撫子を見る。
「私は死ぬまで、いえ、死んでも十兵衛様の妻にござりますゆえ、『それまで』だなどと…」
はっ、と十兵衛は息を吐いた。
「そうであった。夫婦は二世の契り、生まれ変わってもよろしく頼むぞ」
「次の世までも、末長く お側に置いてくださりませ」
幸せに涙ぐむ撫子を抱きしめた十兵衛は、再び優しく愛撫しながら、その口を吸う。
そうして、二人のハネムーン最後の夜は更けていった。
十兵衛は、複数の人の気配と物音で目を覚ました。
起き上がると、河原家の家人が皆でこの離れの書院に持ち込まれていた祝言に関わる調度を運び出している最中である。
「十兵衛様、お目覚めにござりますか?寝直されるのでしたら、隣の座敷に新しい夜具を用意しておりますゆえ、そちらをどうぞ」
と、たすき掛けで たち働く撫子から声を掛けられた十兵衛が、のっそりと真紅の夜具から身体を抜き出すと、夜具は物干しに掛けられ、上からいろんな布をつなぎあわせたパッチワークのような広い布が、退色を防ぐ為にかぶせられた。
十兵衛がその様子を、広縁から煙草をくゆらせながら眺めていると、次は畳に箒がかけられ、あれよあれよと言う間に全てが片付いてしまったのだった。
一仕事終えた撫子と洗顔・歯磨きを終えた十兵衛は、板の間の囲炉裏で朝餉をとっていた。
今日からは夫婦水入らずなのである。
「十兵衛様、朝餉をとられたらお話がしたいと、父と母が申しておりました」
「そうか。おれはまた、何ぞ叱られるような事をしたかのう…?」
と、十兵衛は冗談めかして首をひねりながら隻眼を笑わせた。
「まあ」
クスクスと笑っている撫子を見て、十兵衛は昨夜の事を思いだし、
―撫子といると心が解れる。この娘となら次の世も、そのまた次の世までも共にしたい―
そう思うのであった。
「父上様、母上様、十兵衛と撫子が参りましてござる」
「お入りなさい」
市朗は二人を座敷に招き入れた。
すずも控えている。
「まあ、楽にされよ。呼び立ててすまないが、大事な事なのでなあ…」
十兵衛は何の遠慮もなく安座して煙管を取り出した。
「十兵衛どのは、これからどうなされるおつもりか?柳生庄に戻られますかな?もしそのお積もりなら、撫子はここに置いて妻訪 いをしていただきたく…」
「お父様!?」
撫子が驚いて声をあげる。
「私は、十兵衛様が行かれるところについて参ります。もう、置いていかれるのはイヤ…」
目に涙を溜めて十兵衛を見つめる撫子に、市朗は諭すように言った。
「そうは言うても、お前は柳生邸や江戸屋敷に、どういう身分でついて行こうというのだ?今のお前は良くて十兵衛どのの妾ぞ?ついて行って辛い思いをするのはお前だし、柳生家にお仕えしている石長 の叔父や従兄が恥をかき、河原の爺様の顔にも泥を塗る事となる」
「その事なのだが…」
十兵衛が口を開いた。
「おれは当分の間、柳生庄にも江戸にも戻るつもりはござらんよ。父上様と母上様にお許しいただけるのであれば、このまま離れで所帯を持ちたいのでござるが…」
「十兵衛どの、それはまことにございますか?」
すずがホッとしたような面持ちでたずねる。
「まことにござる。ただ、家賃は少しまけていただけると助かりもうすが」
えくぼを彫って笑う十兵衛に、市朗もまた笑顔で返した。
「それは、入婿していただけるということで、よろしいのですかな?それならば、家賃どころか掛かりは全てこちら持ちにて。すず、良かったな?跡取りが出来たぞ」
「ええ、ようございました。これで安心にございます。さっそく隠居家に知らせを立てませねば。では、失礼して」
すずは そそくさと座敷を出ていった。
撫子は幼子のように、十兵衛の安座した膝に入り込んで胸に顔を埋め、十兵衛はそれを抱いて頭をなでてやる。
「あー…、入婿という事になるのか。ん?しかし、跡取りとは?長七郎夫婦がござろう。あちらには孫もおるし」
十兵衛は狐につままれたような顔をしたが、市朗は言下に、
「あの夫婦に継がせるつもりは元よりござらん。全て無うなってしまいますでなあ」
と、バッサリやって続けた。
「孫はまだ生まれたばかりで、海の者とも山の者とも…。山の爺様婆様は、撫子でなければ養子を取れと言われておいでだ。そのように歳よりも幼げな娘なれど、商売の事は爺様が見込んで仕込まれたゆえ。よろしゅうござったのう?撫子が一生あなた様に不自由はさせませぬよ」
河原家は脇本陣だけが商売ではない。
むしろ脇本陣が一番採算の悪い商いで、これは他の商いの為の顔つなぎや接待の場で、名誉職のようなものである。
ここが宿場町になる前は、全て河原家が営む温泉宿と湯治場と旅籠があったのみで、泉質の良さを慕って集まる客を目当てに店が集まり、町が出来た。
そういういきさつがあり、ここの温泉利権は河原家の独占で、他に宿場内では不動産業に両替商、呉服屋に小間物屋を、宿場外では材木商に養蚕をしており、京、大阪、江戸にも店を持っている。
先に出てきた『京の叔父の店』も、河原家の京店の一つである。
その全てを将来的に撫子が采配するようになるのだ。
「父上様」
十兵衛は少し重い声で言う。
「今はまだ詳しい話は出来ませぬが…。いづれ、おれは何もかもを捨てて、ただの十兵衛になりもうす。柳生の家の事、弟達の事、おれの正室だという女人の事、亡き父・但馬守と上様と交わした約束、全て時が来れば片付きますゆえ、今しばらくはこのままでいることを、お許し下され」
「そうだのう。過日に秋篠和泉守様の娘御と但馬守様の話を聞いた時から、何かあるのだろうとは思うておったよ。十兵衛どのに、嗣子がおらぬにもかかわらず、側室をとらぬままになっていた訳も…。時が来れば、話してくれるのだな?」
「はい、全て」
市朗は少し思案するような顔をしたが、すぐに膝を打って、
「あいわかった。わしらはそれで構わぬが、それ、十兵衛どのの膝内の女童 は、話して聞かせられぬのであれば、不安にさせぬよう しかと可愛がっておやりなされ」
と言うと、ニヤリと笑った。
「十兵衛どのには、このわしが入婿の先達として、おいおい、その心得と跡取り娘の支えかたを伝授いたそうぞ。ま、おいおいな。当分はたまに会所や問屋場に顔を出したり、宿場内をぶらついてくれればよい。話は終わりだ。下がってよいぞ」
「父上様には教えられてばかりで、この十兵衛、一生頭が上がりませぬな。では、失礼して嫁を可愛がるといたしましょう」
そう言うと十兵衛は、膝の撫子をそのまま両手で抱き上げると、市朗に白い歯を見せて母屋の座敷を出た。
離れに戻った十兵衛と撫子は、広縁で寄り添って寝転び、庭を眺めている。
「十兵衛様、次の世でも、その次の世でも、何度生まれ変わっても、ずぅっと お側に置いてくださりませ」
「うむ。何度生まれ変わろうとも、ずっと おれの側におってくれ」
庭には共に秋の花である、柳生家の本紋に描かれた吾亦紅と大和撫子が寄り添うように秋風に揺られていた。
媾合の後のせいか、少し気だるげな声で撫子が言う。
「そうか、今宵が五日目の夜だのう」
「幼き頃より、この夜具を持参して十兵衛様の元に嫁ぐのを夢見ておりました私には、夢のような五日でござりました」
十兵衛は腕枕した撫子を優しく見つめ、頷いた。
「大きくなってから、この夜具は両親の物で、自分が嫁ぐ時には新しい物を用意してもらう ものだとわかり、少しがっかり致しましたが…不思議な巡り合わせにござります」
「この夜具は、この後また蔵にしまわれるのだろうが、そうしてどうなるのだ?」
「両親と私達、この夜具で初枕を交わした者が、最期、荼毘にふされるのを待つ間寝かされるのでござります。そして、年の順なら私の時に一緒に火に…」
「そういうものなのか。ならばその時、もう一度この夜具で、おれと共寝してくれるか?」
「はい、十兵衛様との最期の夜伽をつとめさせていただきまする」
「それまで、末長くよろしくのう。女房どの」
「いやでござります」
撫子の返事に、十兵衛は隻眼を目玉が落ちるのではないかと思えるほど見開き、撫子を見る。
「私は死ぬまで、いえ、死んでも十兵衛様の妻にござりますゆえ、『それまで』だなどと…」
はっ、と十兵衛は息を吐いた。
「そうであった。夫婦は二世の契り、生まれ変わってもよろしく頼むぞ」
「次の世までも、末長く お側に置いてくださりませ」
幸せに涙ぐむ撫子を抱きしめた十兵衛は、再び優しく愛撫しながら、その口を吸う。
そうして、二人のハネムーン最後の夜は更けていった。
十兵衛は、複数の人の気配と物音で目を覚ました。
起き上がると、河原家の家人が皆でこの離れの書院に持ち込まれていた祝言に関わる調度を運び出している最中である。
「十兵衛様、お目覚めにござりますか?寝直されるのでしたら、隣の座敷に新しい夜具を用意しておりますゆえ、そちらをどうぞ」
と、たすき掛けで たち働く撫子から声を掛けられた十兵衛が、のっそりと真紅の夜具から身体を抜き出すと、夜具は物干しに掛けられ、上からいろんな布をつなぎあわせたパッチワークのような広い布が、退色を防ぐ為にかぶせられた。
十兵衛がその様子を、広縁から煙草をくゆらせながら眺めていると、次は畳に箒がかけられ、あれよあれよと言う間に全てが片付いてしまったのだった。
一仕事終えた撫子と洗顔・歯磨きを終えた十兵衛は、板の間の囲炉裏で朝餉をとっていた。
今日からは夫婦水入らずなのである。
「十兵衛様、朝餉をとられたらお話がしたいと、父と母が申しておりました」
「そうか。おれはまた、何ぞ叱られるような事をしたかのう…?」
と、十兵衛は冗談めかして首をひねりながら隻眼を笑わせた。
「まあ」
クスクスと笑っている撫子を見て、十兵衛は昨夜の事を思いだし、
―撫子といると心が解れる。この娘となら次の世も、そのまた次の世までも共にしたい―
そう思うのであった。
「父上様、母上様、十兵衛と撫子が参りましてござる」
「お入りなさい」
市朗は二人を座敷に招き入れた。
すずも控えている。
「まあ、楽にされよ。呼び立ててすまないが、大事な事なのでなあ…」
十兵衛は何の遠慮もなく安座して煙管を取り出した。
「十兵衛どのは、これからどうなされるおつもりか?柳生庄に戻られますかな?もしそのお積もりなら、撫子はここに置いて
「お父様!?」
撫子が驚いて声をあげる。
「私は、十兵衛様が行かれるところについて参ります。もう、置いていかれるのはイヤ…」
目に涙を溜めて十兵衛を見つめる撫子に、市朗は諭すように言った。
「そうは言うても、お前は柳生邸や江戸屋敷に、どういう身分でついて行こうというのだ?今のお前は良くて十兵衛どのの妾ぞ?ついて行って辛い思いをするのはお前だし、柳生家にお仕えしている
「その事なのだが…」
十兵衛が口を開いた。
「おれは当分の間、柳生庄にも江戸にも戻るつもりはござらんよ。父上様と母上様にお許しいただけるのであれば、このまま離れで所帯を持ちたいのでござるが…」
「十兵衛どの、それはまことにございますか?」
すずがホッとしたような面持ちでたずねる。
「まことにござる。ただ、家賃は少しまけていただけると助かりもうすが」
えくぼを彫って笑う十兵衛に、市朗もまた笑顔で返した。
「それは、入婿していただけるということで、よろしいのですかな?それならば、家賃どころか掛かりは全てこちら持ちにて。すず、良かったな?跡取りが出来たぞ」
「ええ、ようございました。これで安心にございます。さっそく隠居家に知らせを立てませねば。では、失礼して」
すずは そそくさと座敷を出ていった。
撫子は幼子のように、十兵衛の安座した膝に入り込んで胸に顔を埋め、十兵衛はそれを抱いて頭をなでてやる。
「あー…、入婿という事になるのか。ん?しかし、跡取りとは?長七郎夫婦がござろう。あちらには孫もおるし」
十兵衛は狐につままれたような顔をしたが、市朗は言下に、
「あの夫婦に継がせるつもりは元よりござらん。全て無うなってしまいますでなあ」
と、バッサリやって続けた。
「孫はまだ生まれたばかりで、海の者とも山の者とも…。山の爺様婆様は、撫子でなければ養子を取れと言われておいでだ。そのように歳よりも幼げな娘なれど、商売の事は爺様が見込んで仕込まれたゆえ。よろしゅうござったのう?撫子が一生あなた様に不自由はさせませぬよ」
河原家は脇本陣だけが商売ではない。
むしろ脇本陣が一番採算の悪い商いで、これは他の商いの為の顔つなぎや接待の場で、名誉職のようなものである。
ここが宿場町になる前は、全て河原家が営む温泉宿と湯治場と旅籠があったのみで、泉質の良さを慕って集まる客を目当てに店が集まり、町が出来た。
そういういきさつがあり、ここの温泉利権は河原家の独占で、他に宿場内では不動産業に両替商、呉服屋に小間物屋を、宿場外では材木商に養蚕をしており、京、大阪、江戸にも店を持っている。
先に出てきた『京の叔父の店』も、河原家の京店の一つである。
その全てを将来的に撫子が采配するようになるのだ。
「父上様」
十兵衛は少し重い声で言う。
「今はまだ詳しい話は出来ませぬが…。いづれ、おれは何もかもを捨てて、ただの十兵衛になりもうす。柳生の家の事、弟達の事、おれの正室だという女人の事、亡き父・但馬守と上様と交わした約束、全て時が来れば片付きますゆえ、今しばらくはこのままでいることを、お許し下され」
「そうだのう。過日に秋篠和泉守様の娘御と但馬守様の話を聞いた時から、何かあるのだろうとは思うておったよ。十兵衛どのに、嗣子がおらぬにもかかわらず、側室をとらぬままになっていた訳も…。時が来れば、話してくれるのだな?」
「はい、全て」
市朗は少し思案するような顔をしたが、すぐに膝を打って、
「あいわかった。わしらはそれで構わぬが、それ、十兵衛どのの膝内の
と言うと、ニヤリと笑った。
「十兵衛どのには、このわしが入婿の先達として、おいおい、その心得と跡取り娘の支えかたを伝授いたそうぞ。ま、おいおいな。当分はたまに会所や問屋場に顔を出したり、宿場内をぶらついてくれればよい。話は終わりだ。下がってよいぞ」
「父上様には教えられてばかりで、この十兵衛、一生頭が上がりませぬな。では、失礼して嫁を可愛がるといたしましょう」
そう言うと十兵衛は、膝の撫子をそのまま両手で抱き上げると、市朗に白い歯を見せて母屋の座敷を出た。
離れに戻った十兵衛と撫子は、広縁で寄り添って寝転び、庭を眺めている。
「十兵衛様、次の世でも、その次の世でも、何度生まれ変わっても、ずぅっと お側に置いてくださりませ」
「うむ。何度生まれ変わろうとも、ずっと おれの側におってくれ」
庭には共に秋の花である、柳生家の本紋に描かれた吾亦紅と大和撫子が寄り添うように秋風に揺られていた。