第11話 後朝―きぬぎぬ―

文字数 2,926文字

 初枕の夜が明け、晴れて夫婦となった十兵衛と撫子は、ばあや と女中頭の登美に世話をされ朝餉を摂っていた。
「十兵衛様、お嬢様。この五日間は、ばあや と登美で全てお世話を致します。お二人はしっかり睦みあって、お早く ややこ をお授かりになられませ」
撫子は頬を染めて十兵衛を見ると、恥ずかしげに下を向いた。
「うむ。ややこ も、そうだな…。早く欲しいのう、撫子?」
「はい」
「ええ、ええ。子守は、ばあや にお任せ下さいませ」
朝餉が済むと、ばあや と登美は寝乱れた書院も片付けて、下がって行った。

「十兵衛様、髪を お結い致しましょう」
「そうだな。頼む」
広縁に出て、撫子は十兵衛の髪を(くし)(けず)り始めた。
昨日の洗髪後にも使った、橘の実を煮出した物を髪に馴染ませてまとめていく。
「なぜ(びん)つけ油を使わんのだ?」
と、十兵衛が聞くと、撫子は意味ありげに笑い、
「どうしてでござりましょうね」
とだけ答えた。
「ふふっ、後でじっくり聞くとしよう。ところで、おまえは、髪を結わんのか?若い娘の間では結う方が流行りであろう?」
「どうしてでござりましょうね」
と、撫子がまた、フ、フ、と意味ありげに笑ったのをみて、十兵衛も隻眼を笑わせた。
「まあ、おれは 結わぬ方が、おまえに似合うておると思うがな」
「お上手ですこと」
撫子は少しきつめに十兵衛の髷の元結を締め、平紐を巻いていく。
「出来ましてござります。ますます、男ぶりが上がられました」
「そうか?」
十兵衛が振り返ると、撫子は紅を差したように赤くなっていた。
これには十兵衛も、つられて赤くなる。
―「もう夫婦だというのに。あのような痴態を見せてくれても尚、このように初々しく はじらってくれようとは…。おれは果報な男よの」―
首の後ろの盆の窪が こそばゆいような気がして、十兵衛は首をなでた。
「父上様と母上様に、ご挨拶に行くかえ?」
「はい」
と答えたものの、昨夜の事を見守られていたのを思うと、撫子は少し気まずい感を覚えていた。
 
母屋の座敷に行くと、撫子の両親は待ちかねた様子であった。
「十兵衛どの、撫子、このたびは、お目出度うござるな」
「ほんに、ようございました。撫子、体は痛くありませぬか?」
「はい、お母様。大丈夫にござります」
母も通った道であるゆえの気遣いではあるが、今の撫子は、その話には触れてほしくなかった。
そこに十兵衛が手を仕え、
「父上様、母上様、昨夜は あのように ご用意を調えていただき、この十兵衛、心より御礼を申し上げます」
撫子も十兵衛の後ろで、あわてて手を仕えるが、
「あー、もうよろしい。尻がムズムズしますわい」
市朗がそれを止めた。
「某も同じでござる」
と、十兵衛は白い歯を見せてイタズラそうに笑う。
「まずは、この五日間はただただ、仲良う お過ごしなさい。母は早く孫が見とうございます」
「そうだな。睦まじゅうしてくれるのが一番だ」
そう、そう、と思い出したように市朗が すずに何やら証文のような物を取ってこさせた。
「これを持ってな、おまえたち二人で茶店のお蔦のところへ行ってきておくれ。どうせ昨日の礼も言わねばなるまいし、ついでにな」
その証文についての説明を受け、二人は両親の座敷を下がった。
 
「旦那様、十兵衛様に撫子が嫁すとは…何やら不思議な気持ちがいたします」
「そうだな。二人はどちらもワシらが育てた、兄妹のようなものだからのう。しかし、縁とはそういうものであろう?」
「そうでございますね…」

市朗と すずは、しばし思い出話に花を咲かせつつ、新しく夫婦になった二人の未来に想いを馳せた。

  お蔦のいる茶店に向かう道すがら、十兵衛は妙な事にきがついた。
「撫子よ、足でも痛いのか?」
いつも隣を歩く撫子が、なぜか遅れて後ろをついて来るのだ。
「いえ、そういう訳では…」
「ならば隣に来ぬか。いつものように手をつないだり腕を組んではくれぬのか?」
「あ…」
撫子は、恥ずかしげに下を向いて、上目遣いに、
「旦那様と、並んで歩いたりしては、いけませぬのでしょう?」
と、答えた。
その、あまりに可憐な様子に十兵衛は背中がぞくりとする。
昨日まで、まだ子供っぽさの残る少女であったのに、一夜にして若妻の慎みを見せるのだから、女とは恐ろしい。
「何をばかな事を。隣を歩かぬのなら、子供のように抱いて連れてゆくぞ」
撫子は花のほころぶような笑顔を見せ、十兵衛の左腕にとびついた。
「よいか撫子、おまえはそのまま、おれの撫子のままでおってくれれば良いのだ」
「はい、十兵衛様」
撫子は、眩しそうに十兵衛の顔を見上げた。

「お蔦ちゃん、いる?」
茶店の奥に向かって撫子が声を掛けると、パタパタと奥からお蔦が走り出て来る。
「撫子ちゃん!無事で良かったよー」
と、撫子を抱き締めた。
「お蔦ちゃんが十兵衛様に知らせてくれたおかげだよ」
「おれからも、改めて礼を言うぞ」
お蔦はそこで初めて十兵衛もいっしょだと気付き、返事をしようとしたが、二人を見て黙ってしまった。
「……え…、もしかして?そうだよね?」
お蔦は何かを察したようである。
「やんだー、もう!めでたいねえ。今度、十兵衛様のいないとこで、ゆっくりノロケを聞かせなさいよ」
「な、どうして分かるの!?」
撫子は茹で上がったように真っ赤になって あたふたとし、十兵衛は気まずそうな顔して無精ヒゲをなでた。
「あー、ところで お蔦、ちと話があってのう。河原の父上からだ」
「撫子ちゃんの おじさんから?」
「そうだ。おぬし近々、煙草屋の三太と所帯を持つとか」
「へえ、そうですよう。ウフフ」
―話はこうである。
今の煙草屋は通りに面した表店のみで、住まいは別で通いになっていて、店賃は安いが不便である上に嫁げば一日中義理の親と一緒である。
そこで、河原家の持つ住まい付きの空き物件があるので、そこに移らないかという話であった。
「あのね、今の三太ん家の煙草屋さんよりもウチに近いのよ」
「三太の親と別住まいなら、すぐ ややこ も出来ちまうよう。でも、店賃が…」
「それなのだが、所帯を持つ祝いと、撫子の危急を救ってくれた礼を兼ねて、店賃は今の店と据え置きとする。という証文を預かってきておる。三太と、あちらの親御と相談して返事をくれるか?」
若妻二人が きゃあきゃあ はしゃぐ姿を、十兵衛は煙管をくゆらせながら眺めていた。

  帰りの道で、十兵衛は飾り職の店に目を留めた。
「撫子よ、おれはまだ、おまえに櫛も簪も贈っておらなんだな。何か欲しい物はないのか?」
「まあ、お忘れだなんて。簪なら、九年も前にいただいております。ほら」
撫子は一つに結んだ髪の結び目に差した簪を、十兵衛に見せた。
銀細工の平簪は、撫子の花を かたどったものだった。
「それは…、」
十兵衛は思い出した。
九年前の夏稽古に江戸に一時帰った折り、大和へ戻る時に何か撫子へ土産をと求めた物。
「もっと良いものを贈らせてくれ。細工の込んだ物でも、玉や珊瑚の付いた物でも…」
「いいえ。私にとって、これが求婚の贈り物でござります。他に欲しい物などござりません」
撫子は潤んだ目のまわりを紅く染め、十兵衛を見つめた。
「そう、か…」
十兵衛はあらてめて、しみじみと自分は果報な男だという思いを噛みしめた。
 
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

柳生十兵衛三巌

主人公

剣豪として知られる柳生家当主で少し助平なイケおじ


河原 撫子

ヒロイン

美人で爆乳で淫らな十兵衛の嫁

柳生但馬守宗矩

故人

主人公・十兵衛の父

助平ジジイ

河原 市朗

ヒロイン・撫子の父

幼少の頃の十兵衛の傅役だった

イケオジィ

河原 すず

ヒロイン・撫子の母

若い頃、十兵衛の母・おりんの方様の侍女だった

ばあや

撫子のばあや

撫子が生まれる前は、すずの侍女だった

徳川家光

三代将軍


お藤

宗矩の側室

六丸の母

柳生 六丸

十兵衛の末弟

宗矩と お藤の子


お蔦

茶店の娘

撫子の幼なじみ


ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み