第40話 女難 其の十八

文字数 2,622文字

「見ておられたのなら、手伝って下さればよろしいのに」
桜色の頬を膨らませて ぶつぶつ言う撫子を、市朗がニヤニヤしながら見ている。
「そうは言うても、あやつらの邪魔をすると わしの草履(ぞうり)(くそ)をしたり隠したりするでのう」
長閑な様子で言う父を撫子はキッと一睨みしてから厳重な包みを解く。ひとつは木箱、ひとつは(ふみ)であった。
「おじじ様からに ござりますね」
昨日(さくじつ)の内にな、じじ様に今おきておる事をお知らせする(ふみ)追風(おいて)に持たせたのよ。その返事だな」
「これは……!」
木箱を開けると、中には丁寧に布にくるまれて、蟇目鏑(ひきめかぶら)雁股(かりまた)が入っていた。
「文には、何と?」
「はい。矢への取り付け方。それに、邪気を払う蟇目鏑と雁股で悪鬼を退けよ、と」
「ほほう。じじ様らしい お言葉だ」
「あと、野分(のわき)を貸して下さるそうにござります。街育ちの追風(おいて)を付けて、狩りを学ばせよとも」
「大猪や熊をも退ける野分がおれば、心強いな」
「ええ。あの子は狐狩りも得手(えて)にござりますれば」
父娘がそのような話をしていると、ぱたぱたと可愛いらしい足音が響き、唐紙が開く。
「撫子、結んできたぞ。二頭とも良い()じゃな。今宵は一緒に寝たいのじゃ」
ウキウキとご機嫌な たらちねと、続いて十兵衛が入って来る。
「小屋に置いてもらえるそうだ。ちゃんと大人しくしておるぞ」
山犬母娘は撫子が用意した綺麗な布で作られた紐を、たらちねによって前足を回し背で蝶に結ばれて飼い犬の証しとしてもらい、十兵衛が与次兵衛に頼んで林家の物置小屋に泊めてもらえる事となった。
「それは良うござりました。ところで、十兵衛さま、お父様、例の『内三部経派』とはどのような教えなのでござりますか?金銀に輝く髑髏とはいったい……」
膝に乗ってきた たらちねの髪へ二頭と揃いの紐を結ぶ撫子の問いに、十兵衛と市朗は困ったような表情で顔を見合わせる。
(せん)に婿どのが浄土井邸で見てきた話も、あまり気分の良いものではなかっただろうが……、だからと言うて話さぬ訳にもゆかぬか」
「確かに、致し方ありませんな」
話がまとまり、二人は撫子の方へと向き直り、
「正直な話、おれどころか義父上(ちちうえ)様、いや、おじじ様でも内三部経派の事は それほど お詳しくはないだろう。如何(いかに)せん、朝廷が南朝方・北朝方に(わか)たれて争っておった頃の話なのだ」
十兵衛は煙管に火を移しながら話し始め、市朗はうんうんと頷く。
「世が乱れると怪しげな教えが流行るのは、今も昔も同じ。内三部経派は在野(ざいや)の真言密教の衆で、荼枳尼天を祀って髑髏本尊を作り、その髑髏本尊にいかがわしき儀式を捧げて通力を得るというのが流儀でな」
「では、その髑髏本尊なるものが……」
「そう。輝く髑髏だ。問題はその材料となる髑髏と作り方よ」
材料となる髑髏と作り方、それを聞いて何か想像したものか、あからさまに(いと)わしげな顔をして見せた撫子に、十兵衛は苦笑いする。
「はは。まあ、されこうべ になるまでのところは置いておくとしてだな。何でもそうだが、良き物を作ろうと思えば材料を吟味する必要があろう。使う髑髏は一に智者、二に行者、三に国王、四に将軍、五に大臣、六に長者、七に父、八に母、九に千頂、十に法界髏の順に良いとされる。因みに千頂とは千の髑髏の頭頂のみを集めた粉を練って作った物。法界髏とは重陽の節句の日に墓場で集めた髑髏を山積みにして荼枳尼真言を唱えた時に、白い輝きを放った髑髏なのだそうだ。要は生前に徳が高かったり、貴かったりした者のがより良かったようだな」
「何も持たぬ骨になってまで貴賤を云々されるとは、なんと因果なものか」
皮肉げに言いながら、市朗は煙管で灰吹きを叩き灰を落とした。
「その選りすぐった髑髏を用いて、子丑の刻に反魂香(はんごんこう)を焚き反魂真言を千遍唱えながら、練った胡粉など塗り付け、更に漆塗りしたら、交合(まぐわ)う男女の子種と淫蜜が混ざった和合水(わごうすい)を塗っては金箔銀箔を貼るを繰り返すこと百度あまり。こうして出来上がった髑髏本尊に山海の珍味を供えて反魂香を焚き、日毎(ひごと)夜毎(よごと)、荼枳尼真言を唱える行者(ぎょうじゃ)と連れ合いの女人が交合いながら祀るのだ」
「はあ、何と手が掛かりますものか……。気の遠くなるような お話に ござります」
撫子は呆れたように口にしながら、膝の上の たらちね の髪を整えてやる。
「しかしな、婿どのが聞いてきた『明明後日が満願』なら、その供養を続けて七年目も終わりに差し掛かっておるという事だのう」
「左様にございましょうな。七年の供養が終わり八年目に入ると、その髑髏本尊は如何(いか)に成就したかによって霊験(れいげん)(あらわ)すのだそうだ。下品(げぼん)に成就した者にさえ、ありとあらゆる望みが叶えられ、中品(ちゅうぼん)では夢のお告げが与えられ、上品(じょうぼん)では何と、目の前で髑髏本尊が言葉を発し三世のことを語るという」

「馬鹿馬鹿しいのう。神たる身である わしや善女殿でさえ、願いが(ほしいまま)になどならぬというのに」

それまで黙していた たらちねが不意に洩らした一言に、皆が目を瞠り息を呑む。
「まあぁ……。いつも皆の願いを叶えて下される たらちね様の願いとは、如何にござりまするか?撫子に出来る事は?」
膝の上の たらちねの顔を覗き込むようにして撫子がたずねると、モジモジと撫子の胸に頭を埋めて甘えるように答えた。
「蓮と菱の実に、たっぷりの砂糖を入れた あんで作った饅頭が、食べたいのじゃ」
「そのような物で よろしいのでござりますか?」
「そのような物とはなんじゃ!砂糖じゃぞ?甘蔓(あまずら)や蜂蜜ではないのだぞ!?」
「もちろんにござります。ここは(みやこ)、何でもござりますゆえ河原宿(かわはらのしゅく)に帰る前に市へ求めに参りましょう。足りなければ、大阪・江戸、讃岐に薩摩、どこからでも取り寄せまする」
「何と!わしは良き氏子に恵まれておるな」
いつものように撫子と たらちねが仲良くイチャイチャする様を眺めながら、十兵衛は
「神たる身の願い、か……」
と、独り言ちた。
「のう、婿どの。浄土井邸の髑髏本尊だが、元になっておるのは、やはり?」
「おそらくは、義父上(ちちうえ)様の考えて おられるとおりかと」
「とすれば、面倒な事になるのう。『父』で『貴人』しかも、関わっておるのが ただの行者もどきではなく通力を使う羅刹女ときては、髑髏本尊の出来も それなりなのではないかえ?」
市朗は苦りきった顔をしてこぼすが、十兵衛はどこか遠くを見るように隻眼を細め、
「それについては、それがしに ちと考えがござる。なに、そう心配なされるには及びませぬよ」
煙管の煙を輪に吹くと、白い歯を見せて笑った。
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登場人物紹介

柳生十兵衛三巌

主人公

剣豪として知られる柳生家当主で少し助平なイケおじ


河原 撫子

ヒロイン

美人で爆乳で淫らな十兵衛の嫁

柳生但馬守宗矩

故人

主人公・十兵衛の父

助平ジジイ

河原 市朗

ヒロイン・撫子の父

幼少の頃の十兵衛の傅役だった

イケオジィ

河原 すず

ヒロイン・撫子の母

若い頃、十兵衛の母・おりんの方様の侍女だった

ばあや

撫子のばあや

撫子が生まれる前は、すずの侍女だった

徳川家光

三代将軍


お藤

宗矩の側室

六丸の母

柳生 六丸

十兵衛の末弟

宗矩と お藤の子


お蔦

茶店の娘

撫子の幼なじみ


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