第32話 女難 其の十

文字数 1,220文字

「それは(まこと)か!?」
驚きに隻眼を こぼれ落ちんばかりに(みは)った十兵衛に、与次兵衛は弱りきった顔を見せる。
「へえ、左様(さい)ですわ」
「しかし、それでは話の合わぬところがあるが……。ともあれ、太夫は先代の浄土井公卿の流行り病で死んだ事になっている娘で、当代の実の妹だというのだな」
「それは間違いあれしまへん」
「当の太夫はどうなのだ?己の出自を知っているのか?」
「それはどうですやろうな……。珠子は六つの年に林家(うち)に来ましたんやが、わてが見とる限りでは憶えておるような素振りは一切してませんのや。そやし あれを預かる時の約束で、年季が明けて 林家(うち)を出る時にしか こちらからは明かされへんのどす」
「ふむ……」
十兵衛は灰吹きに煙管を当てて灰を落とすと、新しい煙草を詰めて火を点けた。ゆるゆると立ち登る煙を見るとはなしに眺めながら頭の中を整理していく。

ー『そもそも太夫を林家(ここ)に連れてきたのは当代の浄土井公卿なのか。先代の目から太夫を隠す為だと。ならば先代が亡くなった今なら、大手を振って兄妹の名乗りをすれば良かろうに、何故(なにゆえ)あのような。それに、あの不吉な噂はいったい何を意味しているものか……』ー

「十兵衛様」
与次兵衛に呼び掛けられハッとする。どれ程そうしていたものか煙草の火は消えていた。
「ああ、すまぬ」
「珠子の生まれは、()うなった徳子とわてしか知りまへん。新左衛門にも話しとりまへんのや。どうか、この事は十兵衛様と奥様のお心の内に留めとっておくれやす」
相分(あいわ)かった。後で撫子にも そう言い聞かせよう」

二階の座敷に十兵衛が戻ると、撫子は縫い物をしていた。十兵衛の為に見立てた生地を新年に合わせておろす為に仕立てているのだ。
「撫子よ、ちと手を止めて聞いてくれるか?」
「はい、何でござりましょう?」
十兵衛は撫子のすぐ目の前に安座すると、声をひそめて与次兵衛に聞いた吉野太夫・珠子の出自を語って聞かせた。
「はたして太夫本人はその事を知っておるのか……。確かめたくとも、下手に切り出せば知らぬかったものを知られてしまうやも わからぬでのう」
「ご心配には及びませぬ、太夫はご存知にござります」
「なに!?」
「先ほど太夫と庭で お会いして、お話しするうちに そのように。ですが、何故(なにゆえ)か存じておられる事を知られたくないご様子で、その訳までは お話し下さりませぬでした。お心の深くに触れるやもしれませぬ(よし)、十兵衛さまからは お尋ねなさいませぬ方がよろしいかと……」
「そうか。では知らぬふりをしておこう。それにしても、そのような事を聞き出して来るとは、さすが おれの女房殿だ」
隻眼を細めて(いとお)しげに撫子の頭をなでた十兵衛が、自らの膝をポンポンと叩くと花のほころぶような表情(かお)を見せて恋女房が膝内に入り、その首に(たお)やかな腕を巻き付ける。
-「義父(ちち)(うえ)様に(すけ)太刀(だち)を願わねばな」-
抱き寄せた撫子の髪に顔を埋めながら、思っていたよりも事態が複雑な様相を呈してきた事を煩わしくも悩ましく思うのだった。
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登場人物紹介

柳生十兵衛三巌

主人公

剣豪として知られる柳生家当主で少し助平なイケおじ


河原 撫子

ヒロイン

美人で爆乳で淫らな十兵衛の嫁

柳生但馬守宗矩

故人

主人公・十兵衛の父

助平ジジイ

河原 市朗

ヒロイン・撫子の父

幼少の頃の十兵衛の傅役だった

イケオジィ

河原 すず

ヒロイン・撫子の母

若い頃、十兵衛の母・おりんの方様の侍女だった

ばあや

撫子のばあや

撫子が生まれる前は、すずの侍女だった

徳川家光

三代将軍


お藤

宗矩の側室

六丸の母

柳生 六丸

十兵衛の末弟

宗矩と お藤の子


お蔦

茶店の娘

撫子の幼なじみ


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