第24話 女難 其の二  R-18

文字数 5,233文字

十兵衛と撫子は ひとまず林家に客分として逗留することとなった。
「こちらを使(つこ)うとくれやす」
新左衛門に案内されて通されたのは、かつての徳子の部屋であった。
「お懐かしいですやろ?徳子お姉はんは ほとんどの 調度を置いて行かはったから、この お部屋はあの頃とあんまり変わっとおへんねん。お隣が吉野太夫の珠子お姉はんのお部屋やさかい都合がよろしおっせ」
撫子は自分の記憶と照らし合わせるように室内を見回すと、この二階の奥の部屋で、窓辺にもたれた徳子が微笑む幻さえ見たような気がして涙がにじんでくる。
「あ…、」
「どうした?撫子」
「これは」
壁に飾られた弓に撫子は目を止めた。
「それは魔除けとして さる公卿はんが徳子お姉はんに贈りゃはったものどっせ。ああっ、奥方様の細腕で引けるようなものや、えっ!」
その弓を手に取ると、撫子は難なく スイと引いてみせる。
「その弓は相当な剛弓なんどっせ。力自慢の大の男でも難儀しゃはんのに」
目を丸くして驚く新左衛門に、
「これは もう弦を張り換えねばなりませんね」
と、撫子は曖昧に笑う。
「撫子の爺様は弓の名手でな。その爺様から手ほどきを受けた撫子も、かなりの腕だぞ。機嫌を損ねると射掛けられるから気を付けろよ」
「まあ、そのような」
からかうように言う十兵衛の言いぐさに、撫子は紅い唇をとがらせてそっぽを向いて見せた。

午後も遅い時間になってから林家に撫子の伯父の店、河原屋からの荷車が着いた。
まさかここにそのまま逗留する事になろうとは思わずに出てきた為、河原屋に使いをやって別宅から十兵衛の夜具や二人の衣類を運ばせ、片付けや戸締まりをさせたのだ。
「お嬢様、荷をまとめとおった時に十兵衛様を訪ねて来ゃはった方がありましたえ」
人相風体を聞くに昨日十兵衛を襲った男と思われ、また、吉野太夫を拐かそうとした連中の中にもそれらしい男がいたと聞き、十兵衛は撫子を連れてきた事を心から幸いと胸をなで下ろしたが、荷車を尾けられた事は間違いなく、これではますます太夫の身請け話の誤解が深まるばかりだろうとうんざりもした。
荷車を帰すと、撫子はさっそく弓の弦の張り替えにかかる。
撫子の伯父も爺様の子なので弓に親しんでおり、弦を分けてくれるよう使いに頼んであったのだ。
「撫子よ、この弓と矢はどうするのだ?」
「それは、こちらの弓の馴らしに三日ほどかかりますゆえ、その間の用心に伯父から貸していただきました」
「おまえはまさか…」
「はい。撫子も十兵衛様のお役にたてればと思いましてござります。あいにく剣は不得手でござりまするが、弓なら何とか」
運ばせた荷の中に弓と矢を見つけた十兵衛は、撫子が自分の妻として どれほどの覚悟を決めているのかを思い知らされた。
「人を射る事になるやもしれんぞ。おまえは そのような事をせずとも、おれが守る」
「十兵衛様は私に、後ろをついて来るのではなく隣を歩けと言われたではござりませぬか。ならば、そうさせてくださりませ」
十兵衛の隻眼を真っ直ぐに見つめて微笑む撫子の言葉は、穏やかでありながらも その心を決して曲げないのであろう強さを感じさせ、説得は無駄だと悟らせられる。
嬉しくもあり、困った事でもあり、いろいろ混ざりあった笑いをフッと吐き出した十兵衛は、
「わかった。だが、無理はならんぞ」
そう言って撫子の頬を優しくなでた。
そうこうしているうちにも撫子の手は休む事なく作業を続け、あっという間に中掛けも付け終えてしまった。
「もう終わりか?さすがと言おうか、おまえは手が早いな」
「爺様がいつも『もたもたしておると命が無くなる』と言って、弦の掛け替えは手早く正しく出来るようになるまで千度もやらされましてござります」
戦国の世を弓で駆け抜けた爺様らしい物言いに十兵衛は隻眼を笑わせ、
「おれも爺様から弓を教えて貰うたが、一度も誉められた事は無いな。力で引こうとする癖が直らず、弓が痛むから もうやめよと叱られたぞ」
と、懐かしげに爺様との思い出を語るのを撫子がクスクスと笑いながら聞いていると新左衛門が、声を掛けにきた。
「十兵衛様、奥方様、夕餉のお膳のお仕度が整いましたよって、座敷においでておくれやす」

座敷には主人の与次兵衛と、今日は休みをとったという吉野太夫・珠子の姿もあり、十兵衛と撫子そして新左衛門が着座すると、非常時ながらも伏見の酒に仕出し屋から取り寄せた料理が並び、美女二人が華を添える宴が始まった。
荷車を帰して以降 林家に人の出入りは無く、賊も中の様子が分からぬ為今夜の動きは無いだろうと踏んだ十兵衛は愛刀・三池典太を左側に置きながらも くつろいだ様子を見せ、上機嫌で盃を重ねていく。
「さ、十兵衛様」
さすがと言おうか、珠子は艶やかな笑みを浮かべ所作も美しく銚子を傾け酌をする。
思い出話などを肴に酒を酌み交わすうちに時も進み、宴も終わりに差し掛かろうかという頃、撫子が与次兵衛と新左衛門を交互に見て、
「こちらには娘さんがおられませぬでしたか?私より少し年上のとても可愛ゆらしく優しいお姉様で、一緒に遊んでもらいました」
と、問うと撫子以外の全員がくっくっと笑いだす。
撫子が不思議そうに一同を見回すと、新左衛門が口を開いた。
「それは わてどす。無事に育つように七つまで()の子の格好をさせられておいやした」
「まあ!そうでござりましたか。ご立派になられて、あまり面影が…」
「ややわぁ。ちゃんと()の子やと言うて将来お嫁に来とおくれやすとお願いもしましたに、すっかりお忘れやなんて相変わらず つれないお方やなあ」
「え、あ、そ、そのようなお話、致しましたでしょうか…」
撫子が頬を赤らめて恥ずかしげに答えるのに、十兵衛は昨日と同じように心がザラリとするのをおぼえた。
「わてでは役不足やったようで、すっぱり お断りされましてんけどな」
新左衛門は今でも少し女性的に見える整った顔で撫子に笑いかけると、皆は幼い新左衛門の失恋話に大笑いし、ますますもって紅葉のように赤くなりうつむく撫子の様子に十兵衛が、
「女房どのは酔いが回られたようだ。わしらは部屋へ下がらせてもらうとしよう」
と言うと、撫子を抱きかかえて座敷をあとにした。
珠子は険のある表情でそれを見送り、自分の禿に もっと酒を持って来るように言いつけてゴロリと寝転がると煙管をくわえて煙草をくゆらせる。
「わては なんや眠うなってきたわ。吾子、太夫にあんま深酒ささんようにし」
与次兵衛もそう言うと自室に戻り、座敷には新左衛門と太夫の二人だけになった。
「吾子っ、酌しい」
「珠子お姉はん、呑み過ぎは体に毒どっせ」
「呑まんとやっとれへんにゃ。あの小娘、忌々しいわあ。餓鬼の時分から十兵衛様にべったりやってんけど、今もやなんて…」
「あれは十兵衛様の方がお離しになれへんのやろ。どう見てもベタ惚れですやんか」
新左衛門は幼い頃の撫子への求婚を断られた時の事を思い出していた。
―『撫子は十兵衛様の嫁なのです』三つかそこらの時にはもう自分で自分の嫁ぐ相手を決めて、十九の年にそのとおりに嫁いだのだ。十兵衛の方とて、それがどれだけ男冥利に尽きるか。―
「ええから早よ注ぎ」
先ほどまでの艶やかな媚態が消えた珠子は新左衛門が諫めるのも聞かず、銚子を空にしていくのだった。

「十兵衛様、自分で歩けますから降ろして下さりませ…」
二人にあてがわれた二階の奥の間へ、広い林家の廊下を撫子を抱いて歩く十兵衛は何も答えない。
「十兵衛様…」
所々に置かれた足元を照らす為の行灯の灯りでは十兵衛の顔も見えず、撫子は少し不安になり十兵衛の肩にギュっと掴まり厚い胸板に頬を擦り寄せる。
部屋につくと すでに夜具が延べられてあり、十兵衛は撫子をその上におろすと枕元の行灯の覆いを上げて室内を明るくし、撫子をじっと見つめた。
宴席の座敷を出てからここまで十兵衛は一言も発しておらず、その顔に浮かぶ表情は哀しみとも苦しみとも喜びともつかぬもので撫子を戸惑わせる。
「十兵衛様、どうか お声を聞かせて下さりませ。撫子は何か粗相をいたしましたでしょうか?」
十兵衛はフッと困ったような顔で笑うと、撫子の耳元に口を寄せて、
「撫子…」
と囁くように呼ばわると、その耳たぶを甘噛みした。
「ひんっ」
撫子は小さく悲鳴を上げ、頬から目元、首筋から耳までさっと紅を掃いたように血がのぼる。
「美しいな」
赤くなった撫子の頬を両手で挟んだ十兵衛は、その額に自分の額を合わせてつぶやくと撫子を抱きしめて、
「おまえの頬を染めていいのは おれだけだ。他の男に、このような姿を見せぬでくれ」
「え…?私、そのようなことなど…」
「昨日も、さっきも、あの吾子の、新左衛門の言葉に赤くなっていたではないか」
絞り出すように吐き出した十兵衛に撫子はうろたえて、
「な、何という事を仰られます、あの方と十兵衛様とでは私が赤くなる理由(わけ)が違いまする…」
「わかっておる。わかっておるのだ。それでも、おまえが本心では おれのようなジジイではなくあのような若い優男(やさおとこ)に惹かれておるのではないかという疑いが消せぬ」
十兵衛が撫子を抱きしめる腕に力がこもる。
「十兵衛様もしや、妬いてくださって?」
「これが『悋気する』というものならば、そうなのだろうな。なんとも嫌な心地よ」
「嬉しい…。私の方だけだと思うておりました」
撫子は十兵衛の背に手を回して応えると、ウフフと笑った。
十兵衛は腕の中の撫子を そのまま夜具に横たえると指でその頬に優しく触れ、唇を重ねながら撫子の帯に手をかける。
「十兵衛様、いけませぬ。このような、他家(よそ)で…」
「しかし、ここにいるのは こちらの都合では無いからな。好きに振る舞わせてもらおうよ」
イタズラそうに白い歯を見せた十兵衛は、するすると撫子の帯を解くと前を開き(あらわ)になった胸乳(むなぢ)に舌を這わせながら、湯文字を解きにかかる。
されるがままの()さにハァ、と甘い吐息を吐いた撫子であったが、次の瞬間に我にかえった。
キシキシと廊下を足音が近付いて来たのだ。
話し声から察するに、珠子と禿だけでなく新左衛門も一緒で間違いない。
「戻られたようでござりますね。今宵はこれで…」
と、声をひそめて言いながら起き上がろうとした撫子であったが、十兵衛はそれを許さず そのまま撫子の ほとをまさぐる。
「じゅ、十兵衛様、何をなさいます?んっ!」
ビクッと身体を震わせながら抗おうとするが、十兵衛に押さえられては身動きが取れない。
とうとう隣室の唐紙が開く音が聞こえ、すぐそばで話し声がしはじめるも十兵衛は容赦なく撫子の泣き所を責め続ける。
唇をキュッと噛み声を殺して耐える撫子に耳元で、
「どうしたのだ?おまえの可愛ゆらしい声を聞かせてくれ」
舌を差し入れながら十兵衛がささやく。
「あやつらにも聞かせてやれよ。おまえが誰の女で、おれが誰の男なのか、知らしめてやればいいではないか」
撫子は涙のにじむ目をギュっとつぶってイヤイヤをするように(かぶり)を振るが、十兵衛の指が その小さな さねに触れると、思わず、
「ああっ!」
と声が漏れ、そこからは堰が切れたように もう抑える事は出来なかった。

「ああっ!ん、ん、やぁ…十兵衛様、あ、いいっ」
珠子と新左衛門は隣室から漏れ聞こえてきた甘い声に顔を見合わせ、そして唐紙の向こう側が透けて見えないかとでも思っているかのように じっと凝視するその間も、声は高く低く途切れること無く続く。
「何やの、あんな声あげて ようやるわ。恥ずかしないのやろか」
珠子が美しい顔を歪めて悪態をつくと、
「まだ夫婦になりゃはったばっかりやと聞いておりまっせ。睦まじい時期ですやろ」
新左衛門は落ち着いた物言いとは裏腹に、端座した体を落ち着かなそうにモジモジと揺らしながら答える。
ニヤリと厭な顔で笑った珠子は禿達に先に寝るように言って寝室へやると、自分の裾を開いて白い脚を新左衛門の股へ伸ばした。
「ちょ、珠子お姉はん何しゃはんの!?」
珠子の足先が硬くなった新左衛門の物を探り当てると、そのままぐりぐりと弄り始める。
「珠子お姉はん、あきまへん…」
口では駄目だと言いながら恍惚の表情を見せる新左衛門に珠子が淫蕩な笑みを浮かべて、
「吾子、おいで」
と言いながら裾を捲り上げて促すと、抗うこともなく新左衛門は珠子の ほとに顔を埋めた。

互いに気を遣った十兵衛と撫子は隣室の事など頭の隅にも無くなった様子で、なおも唇を重ねて舌を絡めあいながら、再び火が点いた衝動に身をまかせるままに求めあっていく。
こうして丑の刻頃まで撫子の嬌声は響き続けたのであった。
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登場人物紹介

柳生十兵衛三巌

主人公

剣豪として知られる柳生家当主で少し助平なイケおじ


河原 撫子

ヒロイン

美人で爆乳で淫らな十兵衛の嫁

柳生但馬守宗矩

故人

主人公・十兵衛の父

助平ジジイ

河原 市朗

ヒロイン・撫子の父

幼少の頃の十兵衛の傅役だった

イケオジィ

河原 すず

ヒロイン・撫子の母

若い頃、十兵衛の母・おりんの方様の侍女だった

ばあや

撫子のばあや

撫子が生まれる前は、すずの侍女だった

徳川家光

三代将軍


お藤

宗矩の側室

六丸の母

柳生 六丸

十兵衛の末弟

宗矩と お藤の子


お蔦

茶店の娘

撫子の幼なじみ


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