第35話 女難 其の十三

文字数 3,240文字

「いづれの帝の御代であったか。大内裏(だいだいり)のほど近く、堀川沿いに(やしき)を構えた殿上人(てんじょうびと)がおった。庭の泉水(せんすい)の為に井戸を掘ると それはそれは美しく澄んだ水が湧き出で、そこに龍神を祀ろうという事になり神泉苑より私を勧請し井戸の中に(やしろ)を建てた。邸には帝も(おと)ない、井戸の水を『浄土より湧き出ずるようだ』と褒め、井戸を浄土井と名付けた。それ以来、あの家は浄土井を名乗るようになったのだ」
金色の蛇・善女龍王は自らと浄土井家の関わりを語り始めた。
「あの井戸にはそのような……。道理で この寒さの中でも ほの温かくさえ思われた訳だ。なるほど、善女様の ご霊験(れいげん)だったのでござるな」
得心した様子で言う十兵衛に、善女龍王はフと寂しげな顔で(うつむ)く。
「浄土井家の者達は長い長い間、(ひでり)にも()れぬ井戸と邸の守り神として朝な夕なに私の(やしろ)に手を合わせ供え物を捧げ(しと)うてくれ、私も あの家を武家の世に至っても没落させる事無く守ってきた。しかし……」
「しかし?」
「お父様、神様であらせられましても、女人の お話を そのように急かしてはなりませぬ。話し難い事とてありましょう」
「撫子の言うとおりじゃ。せっかちな男はモテぬぞ」
「そ、それは とんだ御無礼を……」
言葉を切らせた善女龍王を促した市朗が、撫子と たらちねに たしなめられて恐縮するのを見てクスリと笑い、何かしら吹っ切れたように続ける。
「市朗よ、気にせずともよい。続けよう。先代の当主 隆明(たかはる)と妻の栄子(ひさこ)は睦まじい夫婦であったが、二十年ほど前に栄子は亡くなってしまった。隆明の嘆きようは哀れであったが、人の生き死には天命。私にはどうしてやる事も出来なかった。しかし隆明が三日三晩、寝食も忘れて栄子の亡骸(なきがら)を前に泣き続けておると、栄子が生き返ったのだ」
「「「「!!!!」」」」
一同は大きく驚いた。死者が三日三晩経って生き返ったというのだから、さもあろう。
「生き返った……ので、ござるか?」
十兵衛が絞り出すように声を出す。
「生き返った、というのは間違(まちご)うておるかもしれん。起き上がった栄子は別人であったのだから」
「別人?とは?」
「体は確かに栄子の物であった。しかし、中身が亡くなる前の優しく貞淑な栄子とは全く違っておった。栄子の魂が抜けた亡骸に、入り込んだものがおるのだ」
「まさか、それが……」
「さよう。荼枳尼(だきに)を名乗った、あれだ」
「では中身は まことに荼枳尼天なので?」
「そうではない。あれは羅刹女(らせつめ)と言って、天竺から荼枳尼天について来た侍女なのだが、荼枳尼天のもとを逃げ出して さ迷っておるところに栄子の亡骸を見つけ入り込んだのだ」
「旦那様は、三日三晩寝食も忘れて嘆き続けるほど想うておられた奥方様の異変に、お気付きにはならなかったのでござりますか?」
「気付かぬはずは無い。しかし隆明は、栄子が生き返った喜びだけを受け入れ、他の全てに目を瞑ったのだ。あれを偽物と断じれば、再び栄子を喪う。心の弱っていた隆明に、そのような事は耐えられなかった」
「そのような……。でも、分かるような気もいたしまする。が、何と(むな)しき事にござりましょう」
眉をひそめた撫子が、小さく溜め息をついた。
「私も気付き手を打とうとしたが、向こうの動きのほうが早かった。羅刹女は、隆明に即わが(やしろ)を壊すように命じ、社を奪われ弱った私は、残された(わず)かな力を振り絞って浄土井が涸れたかのように見せかけて隠し、あの場に潜んでおったのだ」
野暮(やぼ)を承知で お伺い致しますが、すでに社も無くなって久しいのに善女様が神泉苑にお戻りあそばさんのは何か訳がおありなのでしょうな?」
水を向けた市朗に、善女龍王は困ったように微笑んだ。
「私を勧請した通隆(みちたか)の願いが、『浄土井家を(すえ)(だい)まで見守って欲しい』であった。もう何も出来はせぬが、せめて私が消えてしまうまで見守るだけなら、と」
「お待ちくださりませ。今、消えてしまうと(おっしゃ)りましたか!?」
「祀られなくなったのだ。このまま時が経てば、いずれはそうなる。神泉苑に戻ったとて、大元(おおもと)に取り込まれて今こうして話をしている『私』は消えてしまう。どのみち消えてしまうのなら、通隆の願いに沿うてやろうと思った。可笑(おか)しいだろう?神の身でありながら長く人間(ひと)と共にあったせいか、私は少し人間(ひと)(ちか)し過ぎるようだ」
「そんな……」
撫子が差し出した手に、金の蛇が頬ずりをした。
「十兵衛さま……」
黒目がちな その目に涙を溜めて見つめてくる。十兵衛は撫子のこの表情(かお)にとても弱いのだ。本心では、もう当初の太夫 (かどわ)かし未遂などという話より はるかに大きく深い物になっており、面倒になって手を引こうかと思っていた。が、つい可愛い妻に良いところを見せたくなってしまう。
「うむ。何やら妙な話になってきたが、乗りかかった船だ。出来る限りの力を尽くそう」
そう答えてやると、みるみる頬を染めて
「善女様、たらちね様、わたくしの旦那様は素晴らしき男振りでいらっしゃりますでしょう?」
と、誇らしげにのろけた。
「ところで、先ほど たらちね様が十兵衛さまに『操の危機を』と申されましたが、何かござりましたか?十兵衛さまはそのような お話はなさりませぬでしたが」
「あっ……!」
思い出したように撫子がたずね、十兵衛があわててごまかそうとするも
「あの荼枳尼(だきに)いや、羅刹女(らせつめ)か。あやつ、動けなくした十兵衛を手籠(てご)めにしようとしたのだぞ。それをわしが救ってやったのよ」
と、たらちねが簡単にバラしてしまう。十兵衛としては悋気(りんき)のきつい撫子が知れば嫌な思いをするのではないかという気遣(きづか)いであったのだが。
「まあぁ、そのような事が。たらちね様、重ねて ありがとう存じまする」
膝の たらちねを抱きしめて頭をなでる撫子に不穏な様子は見られず安心するも(つか)()
「撫子の弓で その女狐を狩って毛皮を奉納いたしまするゆえ、お楽しみになされませ」
と、満面の笑みで続けたのを見てしまった十兵衛が苦笑いするのを眺めていた市朗が話を締めた。
「さて、一通りの話は済みましたようですな。今日は婿(むこ)どのも お疲れであろうし、(やす)むといたしましょうか?」
「私は帰ろう。この水は浄土井と繋がっておる。用があれば、この水盤に呼び掛けるがよい」
そう言うと、善女龍王はスルスルと水に潜るようにして姿を消していった。

炬燵(こたつ)の炭を火鉢に移し やぐらを畳むと、夜具を敷きながら市朗がニヤニヤする。
「十兵衛どの、撫子、今宵は相部屋ですまぬな。明日は与次兵衛(よじべえ)に部屋を用意させるゆえ、(こら)えてくれよ」
「お父様ったら、そのような言い方をなさりますな……」
思わず赤くなった撫子に、たらちねが飛び付き胸に顔を押し当てて言う。
「撫子、夜伽(よとぎ)をせよ」
「なっ!」
十兵衛が隻眼を(みは)ると、目配(めくば)せをして市朗が引き取った。
「夜伽なら それがしが致しましょう。江戸の話はいかがですかな?」
「江戸!聞かせよ。わしは江戸には行った事が無い」
「左様で?では、江戸の店に たらちね様をお祀りするよう言いおきましょう。ささ、こちらへ」
ホッとした面持ちで十兵衛はいつものように撫子を腕枕して夜着を掛けたが、しばらく経っても、なかなかに寝付けない。
市朗と たらちねはすでに静かになっていた。
「十兵衛さま、いかがなさりましたか?」
十兵衛がソワソワした様子なので、撫子も眠れずにいたのだった。すると十兵衛は夜着に潜り、撫子の寝間着の胸をくつろげると(あらわ)になった乳の谷間に顔を(うず)め大きく息を吸い込んだ。
「じゅ、十兵衛さま……?」
「撫子は美しうて()い匂いがするな。今日は(いや)な物を見たせいか落ち着かぬ。こうしておってもよいか?」
「どうぞ ご存分に」
「このように心弱き男では、百年の恋も冷めてしまうな」
「いいえ、甘えてくださって嬉しゅうござります。撫子がこうしておりますゆえ、心安(こころやす)くお(やす)みくださりませ」
撫子がキュッと頭を抱き優しく背をさすってやると、十兵衛はすぐに安らかな寝息をたてはじめた。それを確かめると、
「ふふ。お可愛いらしい方。撫子が、ずーっとお側におりますよ」
と、愛おしげにささやいた。
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登場人物紹介

柳生十兵衛三巌

主人公

剣豪として知られる柳生家当主で少し助平なイケおじ


河原 撫子

ヒロイン

美人で爆乳で淫らな十兵衛の嫁

柳生但馬守宗矩

故人

主人公・十兵衛の父

助平ジジイ

河原 市朗

ヒロイン・撫子の父

幼少の頃の十兵衛の傅役だった

イケオジィ

河原 すず

ヒロイン・撫子の母

若い頃、十兵衛の母・おりんの方様の侍女だった

ばあや

撫子のばあや

撫子が生まれる前は、すずの侍女だった

徳川家光

三代将軍


お藤

宗矩の側室

六丸の母

柳生 六丸

十兵衛の末弟

宗矩と お藤の子


お蔦

茶店の娘

撫子の幼なじみ


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