第37話 女難 其の十五
文字数 3,747文字
十兵衛を待っていたのは、先 に林家を襲った瀬川小十郎であった。
「また会ったのう」
瀬川は緊張が ありありと窺える顔で黙って一礼する。
「そのように緊張せずとも捕って食うたりはせんぞ」
片えくぼを彫ってニヤリと笑う十兵衛と対照的に、瀬川の顔色は青醒めて かすかに震えてさえいるようだ。
「何か、おれに用があるから来たのであろうが……。これでは 話にならんな。ついて参れ」
歩き出した十兵衛の後を、瀬川は項垂 れてついて行った。
今宮神社の参道にある飯屋の小上がりで、十兵衛と瀬川は向かい合っている。
「おまちどうさんどす」
燗酒 とつまみに頼んだ豆腐田楽が運ばれてくると、十兵衛は瀬川に ちろりを差し出した。
「まあ、飲め」
なみなみと注がれた猪口 の水面 を見つめ、己 の不安を写しているかのように波立つそれを覚悟を決めたようにグイっと一息にあおると、
「なにゆえ、このような……ひと思いに斬って捨てられよ」
と、絞り出すように言う。
「うぬは おれに斬られに来たのか?よせよせ。そんな面倒事 などごめんだ」
ヒラヒラと手を振りながら十兵衛は白い歯を見せ、自分の猪口に手酌した。
「しかし……、」
「うぬは勘違いしておるようだが、おれは当代の吉野太夫とは何の関わりも無いぞ。縁があったのは先代の吉野で、その禿 であったとしか覚えておらん。林家には先代との事もあり世話になったで、うぬと太夫のせいで請われて断れずに食客しておるだけだ。そういう訳でな、おれにはうぬを斬る必要が無いし、いい迷惑だ」
「では、身請けの話は」
「あやつの口から出まかせだ。とっさについた嘘よ」
ガックリと肩を落とす瀬川に更に酌をして酒を勧めると、十兵衛は
「では、話を聞かせてもらおうか。うぬは浄土井家の青侍で、昨夜おれが忍び込んだ事は知っておるな?林家の一件から今日までの間に、おれに斬られたくなるような何があったのだ?」
と、隻眼にギラリとした光を灯して問うた。
「……それがしは、浄土井家の青侍ではござらんのです。が、昨夜の事といい、こちらの内情について ある程度の調べはついておられるのでしょうな。当然、太夫の出自も」
「現・浄土井公卿隆継 様の実の妹御だと林家からは聞いておる。先代と北の方の間には御子が無かった為、外に女人を囲って持たせた御子達であるとか」
「左様にて相違無く。それがしは、その御子達の母上様の家人なのでございます」
「ほう。では、そちらの お家 が絶えてのち御子息に付いて浄土井家へ入ったのか」
瀬川は頷いて猪口を干し、何かを覚悟したように切り出した。
「それがしの、つまらぬ身の上話を お聞かせしても よろしゅうございますか?」
「つまらぬかどうかは おれが決める。話せ」
そんな決心など意に介した風も無く十兵衛は飄々と促し、瀬川がポツリポツリと話し出す。
「それがしは さる藩の江戸定府の藩士の子で、元服と時を同じくして主家が改易となり、母は弟妹を連れて離縁し父と二人新たな仕官先を求め浪々の身となったのでござる」
「なるほど、京言葉が出ぬのはそのせいか」
得心がいったように言う十兵衛に、瀬川は黙って頷き続ける。
「しかしながら同じ境遇の者が巷に溢れる江戸で仕官先は見つからず、京まで流れて来た時に たまたま街で男達に絡まれて難儀していた姫、後の太夫の御母上様を お助けした縁で、父子ともども そちらに お仕えする事となり申した。その時にはすでに先代の浄土井公卿が姫の元に通っており、翌年に隆継様が、その二年後に珠子様が お生まれになられ、父上様母上様と姫の御三方だけだった家内は それはそれは賑 やかしくなり……」
話が途切れ、瀬川は何かに耐えるように眉根を寄せ目を閉じた。烏丸公卿 が娘・まえ の話によると、この後一家を悲劇が襲うのだ。二十年近くの時が流れてなお、いまだに自らを姫の青侍だと言う身には何かこみ上げるものがあるのだろう。それを知る十兵衛は、ただ黙って見守る。
「ご無礼を。続けましょうぞ」
気を取り直して瀬川は再び話し始めた。
「隆継様がお生まれの後より、たびたび浄土井邸へ居を移してはどうかと公卿が言うて来られるようになるも、姫は御子の無い北の方様に ご遠慮なされておられました由 。しかし、元々お体の弱かった北の方様が亡くなられ、喪が明けたら浄土井邸へ移るよう知らせが参ったのも束の間、喪が明ける前に姫と御両親が お倒れになられたのです」
ー『瀬川、うちは バチが当たったんえ……。そやし、あの子らに罪はあれへん。どうか、あの子らを……』ー
美しかった姫は窶 れ、血を吐き涙ながらに瀬川の手を握って懇願 する姿が脳裡 によみがえる。それが、生きた姫の最期の姿であった。
「どうした?」
十兵衛に声を掛けられ、瀬川はハッとして顔を上げる。
「御三方 が亡くなられたのは存じておる。辛かろうから話さずともよいぞ。それより、残された兄妹であるが 兄の方は おれが聞いていたよりも太夫と歳が近い。林家では兄が太夫を連れて来たと言うておったが、それでは話が合わん。ひょっとして……?」
ちろりを差し出しながら十兵衛が水を向けると、猪口で受けながら瀬川が頷いた。
「ご推察のとおり、それがしにござる。浄土井公卿は、珠子様を目の中に入れても痛くないほどに可愛がっておられた。それなのに、姫が亡くなられた途端に掌 を返して、隆継様だけを引き取り珠子様はどこぞに捨て置いてこいと言われ、珠子様は姫と共に亡くなられたのだと おふれになりました。父も亡くなり、それがし一人で珠子様を隠して お育てする事などとても。ましてや言われたとおりに捨て置くなど……。どうすべきか考えあぐねた末、姫が生前に同じ日乾上人様に帰依していたご縁を思い出して、先代の吉野太夫・徳子様のおられる林家へ隆継様を騙 り、お生まれになった時に浄土井公卿より渡された書き付けや家紋入りの品々と共に、珠子様をお預けした次第」
「やはり、うぬであったか。では何故 あのように乱暴な手段を用いて太夫を取り戻さんとした?」
「柳生様は、昨夜あの女と見 えられましたな?」
「荼枳尼を名乗った女の事なら、そうであるな」
「あの女に、珠子様が生きておられる事が知れてしもうたのです。隆継様が招かれた茶会で偶然に居合わせ、面影から妹御であると気付かれたようで。断られたとはいえ、身請けを申し入れたと知った時は心の臓が止まりそうな程にございました……」
「では、身請けの話と拐 かしは別の件なのか!?」
驚いた十兵衛は思わず隻眼を瞠 る。
「それがしは何としても珠子様をお守りせねばと。あの女は化け物でございます。信じていただけぬかもしれませぬが、二十年余り前より全く姿形 が変わりませんのです。あの女は、あの女は、珠子様を……」
再び青ざめて震えだした瀬川を見て、昨夜、善女龍王より聞いた おぞましき話を十兵衛は思い出していた。
「太夫を殺 めて、その体に乗り移ろうとしておるのであろう」
「なぜそれを!?」
飛び上がらんばかりに驚く瀬川を見据え、続ける。
「さる高貴な お方から聞いたのよ。して、余り時が残っておらぬから うぬは荒事を厭 わず、あのような真似をしたのだな?」
「仰 るとおりにございます。あの広間の髑髏 の儀式の満願である明明後日の夜が刻限。あやつらは どのような策を使ってでも、珠子様を手に入れようとするに違いありません。あのような化け物が相手では、それがしにはもう何の手立ても……。しかしながら、昨夜の事で柳生様が 浄土井家の内情について存じられた上で珠子様を身請けされるのだと思い、それがしは柳生様に斬られて お役目を降りようと罷 り越 したのでございます」
十兵衛は一息に猪口を干し、片えくぼを彫って苦笑いする。
「それは残念だったのう。身請けはせぬし、うぬも斬らぬ。だが、おれの可愛い恋女房が、先ほど話した さる高貴な お方の『浄土井家から化け物を退治てほしい』という願いを叶えてやってくれと ねだるのでな」
「そ、それでは……」
すがるような顔で見る瀬川を手で制し、その猪口に酌をしてやった。
「太夫の事はホンのついでよ。先代の吉野太夫・徳子は、おれの姉のような方であった。まだ幼かった女房も妹ように可愛がってくれたが、何の恩も返さぬ前に死んでしもうたでな」
「まこと、かたじけ、なく……」
瀬川の声は震えていた。見れば猪口を握りしめ、十兵衛の前であるのも憚 らず落涙 している。
「ああ、姫!……ひ、め……」
「まあ飲め」
十兵衛は その姿を見守りながら、瀬川の中に今もなお姫に対する主従を超えた心情があるのを感じ取っていた。
「おっ、戻って来たぞ」
土産物屋の店先を冷やかしていた たらちねが十兵衛に気付き撫子に告げると、撫子が駆け寄って行く。
「何事もありませぬようで、何よりにござります。十兵衛様は御酒を召されましたか?」
「ホンの少しだぞ」
酒の匂いに気付いた撫子に、十兵衛は親指と人差し指の指先を小さく広げ、ニヤリと笑って答える。
「飲んで来たおかげで分かった事があったよ。林家へ戻り、義父上 様と善女様を交えて話をしようではないか」
「うむ、そうするぞ」
十兵衛の体を よじ登り勝手に肩車されると、たらちねが馬上の大将のごとく手を挙げて答える様に、十兵衛と撫子は顔を見合わせて微笑み合ったのだった。
「また会ったのう」
瀬川は緊張が ありありと窺える顔で黙って一礼する。
「そのように緊張せずとも捕って食うたりはせんぞ」
片えくぼを彫ってニヤリと笑う十兵衛と対照的に、瀬川の顔色は青醒めて かすかに震えてさえいるようだ。
「何か、おれに用があるから来たのであろうが……。これでは 話にならんな。ついて参れ」
歩き出した十兵衛の後を、瀬川は
今宮神社の参道にある飯屋の小上がりで、十兵衛と瀬川は向かい合っている。
「おまちどうさんどす」
「まあ、飲め」
なみなみと注がれた
「なにゆえ、このような……ひと思いに斬って捨てられよ」
と、絞り出すように言う。
「うぬは おれに斬られに来たのか?よせよせ。そんな
ヒラヒラと手を振りながら十兵衛は白い歯を見せ、自分の猪口に手酌した。
「しかし……、」
「うぬは勘違いしておるようだが、おれは当代の吉野太夫とは何の関わりも無いぞ。縁があったのは先代の吉野で、その
「では、身請けの話は」
「あやつの口から出まかせだ。とっさについた嘘よ」
ガックリと肩を落とす瀬川に更に酌をして酒を勧めると、十兵衛は
「では、話を聞かせてもらおうか。うぬは浄土井家の青侍で、昨夜おれが忍び込んだ事は知っておるな?林家の一件から今日までの間に、おれに斬られたくなるような何があったのだ?」
と、隻眼にギラリとした光を灯して問うた。
「……それがしは、浄土井家の青侍ではござらんのです。が、昨夜の事といい、こちらの内情について ある程度の調べはついておられるのでしょうな。当然、太夫の出自も」
「現・浄土井公卿
「左様にて相違無く。それがしは、その御子達の母上様の家人なのでございます」
「ほう。では、そちらの お
瀬川は頷いて猪口を干し、何かを覚悟したように切り出した。
「それがしの、つまらぬ身の上話を お聞かせしても よろしゅうございますか?」
「つまらぬかどうかは おれが決める。話せ」
そんな決心など意に介した風も無く十兵衛は飄々と促し、瀬川がポツリポツリと話し出す。
「それがしは さる藩の江戸定府の藩士の子で、元服と時を同じくして主家が改易となり、母は弟妹を連れて離縁し父と二人新たな仕官先を求め浪々の身となったのでござる」
「なるほど、京言葉が出ぬのはそのせいか」
得心がいったように言う十兵衛に、瀬川は黙って頷き続ける。
「しかしながら同じ境遇の者が巷に溢れる江戸で仕官先は見つからず、京まで流れて来た時に たまたま街で男達に絡まれて難儀していた姫、後の太夫の御母上様を お助けした縁で、父子ともども そちらに お仕えする事となり申した。その時にはすでに先代の浄土井公卿が姫の元に通っており、翌年に隆継様が、その二年後に珠子様が お生まれになられ、父上様母上様と姫の御三方だけだった家内は それはそれは
話が途切れ、瀬川は何かに耐えるように眉根を寄せ目を閉じた。
「ご無礼を。続けましょうぞ」
気を取り直して瀬川は再び話し始めた。
「隆継様がお生まれの後より、たびたび浄土井邸へ居を移してはどうかと公卿が言うて来られるようになるも、姫は御子の無い北の方様に ご遠慮なされておられました
ー『瀬川、うちは バチが当たったんえ……。そやし、あの子らに罪はあれへん。どうか、あの子らを……』ー
美しかった姫は
「どうした?」
十兵衛に声を掛けられ、瀬川はハッとして顔を上げる。
「
ちろりを差し出しながら十兵衛が水を向けると、猪口で受けながら瀬川が頷いた。
「ご推察のとおり、それがしにござる。浄土井公卿は、珠子様を目の中に入れても痛くないほどに可愛がっておられた。それなのに、姫が亡くなられた途端に
「やはり、うぬであったか。では
「柳生様は、昨夜あの女と
「荼枳尼を名乗った女の事なら、そうであるな」
「あの女に、珠子様が生きておられる事が知れてしもうたのです。隆継様が招かれた茶会で偶然に居合わせ、面影から妹御であると気付かれたようで。断られたとはいえ、身請けを申し入れたと知った時は心の臓が止まりそうな程にございました……」
「では、身請けの話と
驚いた十兵衛は思わず隻眼を
「それがしは何としても珠子様をお守りせねばと。あの女は化け物でございます。信じていただけぬかもしれませぬが、二十年余り前より全く
再び青ざめて震えだした瀬川を見て、昨夜、善女龍王より聞いた おぞましき話を十兵衛は思い出していた。
「太夫を
「なぜそれを!?」
飛び上がらんばかりに驚く瀬川を見据え、続ける。
「さる高貴な お方から聞いたのよ。して、余り時が残っておらぬから うぬは荒事を
「
十兵衛は一息に猪口を干し、片えくぼを彫って苦笑いする。
「それは残念だったのう。身請けはせぬし、うぬも斬らぬ。だが、おれの可愛い恋女房が、先ほど話した さる高貴な お方の『浄土井家から化け物を退治てほしい』という願いを叶えてやってくれと ねだるのでな」
「そ、それでは……」
すがるような顔で見る瀬川を手で制し、その猪口に酌をしてやった。
「太夫の事はホンのついでよ。先代の吉野太夫・徳子は、おれの姉のような方であった。まだ幼かった女房も妹ように可愛がってくれたが、何の恩も返さぬ前に死んでしもうたでな」
「まこと、かたじけ、なく……」
瀬川の声は震えていた。見れば猪口を握りしめ、十兵衛の前であるのも
「ああ、姫!……ひ、め……」
「まあ飲め」
十兵衛は その姿を見守りながら、瀬川の中に今もなお姫に対する主従を超えた心情があるのを感じ取っていた。
「おっ、戻って来たぞ」
土産物屋の店先を冷やかしていた たらちねが十兵衛に気付き撫子に告げると、撫子が駆け寄って行く。
「何事もありませぬようで、何よりにござります。十兵衛様は御酒を召されましたか?」
「ホンの少しだぞ」
酒の匂いに気付いた撫子に、十兵衛は親指と人差し指の指先を小さく広げ、ニヤリと笑って答える。
「飲んで来たおかげで分かった事があったよ。林家へ戻り、
「うむ、そうするぞ」
十兵衛の体を よじ登り勝手に肩車されると、たらちねが馬上の大将のごとく手を挙げて答える様に、十兵衛と撫子は顔を見合わせて微笑み合ったのだった。