第15話 秋麗
文字数 3,011文字
前日の激しい雨が嘘のように、秋晴れの空が広がる朝である。
撫子は離れの広縁の板戸を開けて、日の光を入れた。
「十兵衛様、お目覚め下さりませ。雨が上がって、良い日和にござりますよ」
心地よい声が、十兵衛の耳朶をくすぐる。
「今朝は ばかに早いではないか。どうした?」
「今、お藤様と六丸どのが朝餉を召されておられます。お済みになられたらご出立されますゆえ、十兵衛様もお見送りなされますでしょう?」
「おお、そうか。では起きねばな」
身仕度を済ませた十兵衛が囲炉裏端で撫子と茶をすすっていると、登美に連れられてお藤と六丸が挨拶に来た。
「十兵衛様、撫子様、何から何まで お世話になりまして、まことに有り難く存じます」
「おねいさま、握り飯と新しい草鞋もありがとう」
十兵衛は煙管をくわえると、撫子に目配せした。
撫子は登美に何やら耳打ちすると、いったん下がった登美が、旅姿の、年の頃は三十半ば程の男を連れて戻った。
「この者は当家の男衆で源造と申します。京まで供をさせますので、荷物持ちに お使い下さりませ」
撫子が言うと、お藤は心底おどろいた顔を見せる。
「な、撫子様、そのような事までしていただく訳には…」
「ご遠慮は無用にて。六丸どのは十兵衛様の弟御。義姉の私が心を尽くすのは当たり前の事でござります。京に着きましたらば、源造が京の叔父の店へご案内致します。手紙を書いておきましたゆえ、そちらで何日でも ごゆるりと京見物などして、出家前の親子最後の時を過ごされませ」
お藤は昨日のやり取りの事もあるのか、少々気まずそうな顔をして手をつかえた。
「かたじけのうございます」
十兵衛は煙管の灰を落とすと、隻眼を細めて撫子の頬をなで、
「おまえは よく出来た女房どのだのう。おれは果報な男よ」
と言うと、撫子は頬を染め、
「もう、人前でそのような…」
と、恥じらいながら とがめるように言った。
そこに源造が、
「おそれいりますが、そろそろ発ちませんと、日のある内に奈良に着けませんぞ」
と言ったので、皆で河原家の門の前で見送りをした。
六丸は、おねいさま、おねいさまと、名残惜しそうであったが、
「きっと、京に会いに来てね」
と言って旅立っていった。
朝餉を済ませると、撫子は洗髪に使う ふのりを煮始め、十兵衛は広縁で寝そべり煙草をくゆらせていた。
「撫子よ、そろそろ柿を採らねばな。確かあれは渋柿であったろう?」
庭の柿の木に目をとめた十兵衛が言う。
今年は なり年で、木は重そうに枝をしならせ、実は朱に色づいている。
「はい。さようにござります。では十兵衛様、お手伝い致しますゆえ…」
撫子は鍋を火からおろして庭に出ると、広縁の下から竹竿を取り出して、
「さ、十兵衛様もお早く庭へ出て下さりませ」
と、促した。
庭に降りた十兵衛は、撫子から竿をうけとると、器用に竿の先に入れられた割り込みに枝を差し込み、ひねると簡単に柿が採れた。
「お変わりなく、お上手ですこと」
十兵衛が差し出した竿の先から撫子が柿を外す。
「懐かしいのう。昔もこうやって、二人で柿を採ったな」
思い出をさぐるように、十兵衛が遠くを見る目になる。
撫子はフフッと嬉しげに笑って答えた。
次々に収穫をすすめ、残りが十ほどになったところで、撫子が十兵衛を止めた。
「あとはこのまま置いておきましょう。二つは木守りに、あとは十兵衛様のお好きな熟柿にして召し上がられませ」
「おお、いいな」
十兵衛が相好を崩した。
柿は全部で二百ほどあり、五十個をこのまま離れで剥いて干し柿を作る事にし、あとは撫子が家の者に声をかけて取りに来させ、干し柿と料理に使う柿酢を作らせるようにした。
広縁で撫子が柿をむき始めると、十兵衛も包丁を手に となりに座った。
「手伝うぞ」
と言った十兵衛に撫子は驚いて手が止まる。
「ふふっ。撫子よ、おれに使える刃物が人切り包丁だけだと思うておったら、大間違いだぞ」
十兵衛はスルスルと皮をむき始めた。
途切れることなく、きれいな渦を巻いてむき終えた皮をみせて、十兵衛は得意げな顔をする。
「私より、お上手でござりまする…」
「ま、何事もひととおりはのう。師匠が良かったおかげでな」
十兵衛は柿をむきながら、自分が生まれる前に太閤検地で隠田が発覚し、柳生家は一度所領を失った事や、自分が覚えている子供の頃の暮らし向きが、貧しくはなかったものの、けっして余裕のあるものではなかった事、そして、亡き婆様春桃御前は、何があっても命さえあればと、幼き十兵衛に里山の暮らしのなかで、一人でも生きていけるように、さまざまな知恵や技術を授けてくれたのだと語った。
「さようにござりましたか…」
「うむ。婆様亡き後は、おまえの お父上と お母上が師匠であったのう」
話すうちには全てむき終え、柿は吊るし、皮は干しザルにあけて一仕事終え、十兵衛はまた広縁に寝そべって煙草をくゆらせはじめた。
広縁で撫子が十兵衛に膝枕で耳垢取りをしていると、登美の案内で お蔦と三太がやって来た。 先日の店の引っ越しの件の返事に来たのだと言う。
「十兵衛様、撫子ちゃん、この間のお話、有り難くお受けしますって、おじさんとおばさんにお返事して、証文も書いてきたよぅ」
と、お蔦が言うと、三太は その横でコクコクとうなづいた。
「そうなんだ!良かった。これでご近所さんだね」
と、撫子は お蔦の手をとってはしゃぐと、三太に向かって、
「お蔦ちゃんを泣かしたら、この撫子が承知しないんだからね!ちゃんと肝に命じておきなよ」
と、厳しく言いおいた。
撫子・お蔦・三太は幼馴染みで、三太は子供の頃から気の強い娘二人に振り回されてきたのだ。
しかし、三太本人はそういう性癖なのであろうか、美少女二人の下僕のような役回りを楽しんでいたきらいもあり、このたび めでたく、お蔦と所帯を持つ事になったのだった。
実際、今もこの撫子の言葉に嬉しそうに頭をなでている。
「これ、撫子よ。よその旦那様にそんな ぞんざいな口をきいてはいかんぞ。三太、妻の躾が行き届かぬで、すまぬな」
十兵衛が撫子の膝から身を起こして言ったが、本当は、大人になった撫子が、今も子供の頃と同じに三太に親しげな口をきくのに、ちょっとばかり妬けたのだ。
撫子は不満そうに唇を尖らせて、
「だって、三太のくせに、お蔦ちゃんの亭主だなんて…三太のくせに」
と言いつのった。
するとお蔦が、
「十兵衛様?あたしだって、十兵衛様が撫子ちゃんを泣かせたら容赦しませんよぅ。あたし達は姉妹盃を交わした姉妹なんですからね」
と言ったのに三太がアワアワして、
「お蔦ちゃん、十兵衛様にそんな口きいちゃ…」
と言うのを見て、十兵衛は思わず吹き出してしまった。
く、く、く、と笑いながら、
「おまえ達は三人とも変わらんな。まあ、なんだ、住まいも近くなる事であるし、仲良うしてくれ。撫子は泣かさぬよう、心掛けるでの」
と言って、煙草の煙を輪に吹いた。
新妻二人が、飽きることなく あれやこれやとお喋りに興じる姿を、亭主二人は煙草をくゆらせながら見守る。
「のう、三太。おれたちは良い嫁御をもろうたな。あの二人が姉妹なら、おれたちは兄弟じゃ。よろしくのう、弟よ」
と、十兵衛は白い歯を見せた。
撫子は離れの広縁の板戸を開けて、日の光を入れた。
「十兵衛様、お目覚め下さりませ。雨が上がって、良い日和にござりますよ」
心地よい声が、十兵衛の耳朶をくすぐる。
「今朝は ばかに早いではないか。どうした?」
「今、お藤様と六丸どのが朝餉を召されておられます。お済みになられたらご出立されますゆえ、十兵衛様もお見送りなされますでしょう?」
「おお、そうか。では起きねばな」
身仕度を済ませた十兵衛が囲炉裏端で撫子と茶をすすっていると、登美に連れられてお藤と六丸が挨拶に来た。
「十兵衛様、撫子様、何から何まで お世話になりまして、まことに有り難く存じます」
「おねいさま、握り飯と新しい草鞋もありがとう」
十兵衛は煙管をくわえると、撫子に目配せした。
撫子は登美に何やら耳打ちすると、いったん下がった登美が、旅姿の、年の頃は三十半ば程の男を連れて戻った。
「この者は当家の男衆で源造と申します。京まで供をさせますので、荷物持ちに お使い下さりませ」
撫子が言うと、お藤は心底おどろいた顔を見せる。
「な、撫子様、そのような事までしていただく訳には…」
「ご遠慮は無用にて。六丸どのは十兵衛様の弟御。義姉の私が心を尽くすのは当たり前の事でござります。京に着きましたらば、源造が京の叔父の店へご案内致します。手紙を書いておきましたゆえ、そちらで何日でも ごゆるりと京見物などして、出家前の親子最後の時を過ごされませ」
お藤は昨日のやり取りの事もあるのか、少々気まずそうな顔をして手をつかえた。
「かたじけのうございます」
十兵衛は煙管の灰を落とすと、隻眼を細めて撫子の頬をなで、
「おまえは よく出来た女房どのだのう。おれは果報な男よ」
と言うと、撫子は頬を染め、
「もう、人前でそのような…」
と、恥じらいながら とがめるように言った。
そこに源造が、
「おそれいりますが、そろそろ発ちませんと、日のある内に奈良に着けませんぞ」
と言ったので、皆で河原家の門の前で見送りをした。
六丸は、おねいさま、おねいさまと、名残惜しそうであったが、
「きっと、京に会いに来てね」
と言って旅立っていった。
朝餉を済ませると、撫子は洗髪に使う ふのりを煮始め、十兵衛は広縁で寝そべり煙草をくゆらせていた。
「撫子よ、そろそろ柿を採らねばな。確かあれは渋柿であったろう?」
庭の柿の木に目をとめた十兵衛が言う。
今年は なり年で、木は重そうに枝をしならせ、実は朱に色づいている。
「はい。さようにござります。では十兵衛様、お手伝い致しますゆえ…」
撫子は鍋を火からおろして庭に出ると、広縁の下から竹竿を取り出して、
「さ、十兵衛様もお早く庭へ出て下さりませ」
と、促した。
庭に降りた十兵衛は、撫子から竿をうけとると、器用に竿の先に入れられた割り込みに枝を差し込み、ひねると簡単に柿が採れた。
「お変わりなく、お上手ですこと」
十兵衛が差し出した竿の先から撫子が柿を外す。
「懐かしいのう。昔もこうやって、二人で柿を採ったな」
思い出をさぐるように、十兵衛が遠くを見る目になる。
撫子はフフッと嬉しげに笑って答えた。
次々に収穫をすすめ、残りが十ほどになったところで、撫子が十兵衛を止めた。
「あとはこのまま置いておきましょう。二つは木守りに、あとは十兵衛様のお好きな熟柿にして召し上がられませ」
「おお、いいな」
十兵衛が相好を崩した。
柿は全部で二百ほどあり、五十個をこのまま離れで剥いて干し柿を作る事にし、あとは撫子が家の者に声をかけて取りに来させ、干し柿と料理に使う柿酢を作らせるようにした。
広縁で撫子が柿をむき始めると、十兵衛も包丁を手に となりに座った。
「手伝うぞ」
と言った十兵衛に撫子は驚いて手が止まる。
「ふふっ。撫子よ、おれに使える刃物が人切り包丁だけだと思うておったら、大間違いだぞ」
十兵衛はスルスルと皮をむき始めた。
途切れることなく、きれいな渦を巻いてむき終えた皮をみせて、十兵衛は得意げな顔をする。
「私より、お上手でござりまする…」
「ま、何事もひととおりはのう。師匠が良かったおかげでな」
十兵衛は柿をむきながら、自分が生まれる前に太閤検地で隠田が発覚し、柳生家は一度所領を失った事や、自分が覚えている子供の頃の暮らし向きが、貧しくはなかったものの、けっして余裕のあるものではなかった事、そして、亡き婆様春桃御前は、何があっても命さえあればと、幼き十兵衛に里山の暮らしのなかで、一人でも生きていけるように、さまざまな知恵や技術を授けてくれたのだと語った。
「さようにござりましたか…」
「うむ。婆様亡き後は、おまえの お父上と お母上が師匠であったのう」
話すうちには全てむき終え、柿は吊るし、皮は干しザルにあけて一仕事終え、十兵衛はまた広縁に寝そべって煙草をくゆらせはじめた。
広縁で撫子が十兵衛に膝枕で耳垢取りをしていると、登美の案内で お蔦と三太がやって来た。 先日の店の引っ越しの件の返事に来たのだと言う。
「十兵衛様、撫子ちゃん、この間のお話、有り難くお受けしますって、おじさんとおばさんにお返事して、証文も書いてきたよぅ」
と、お蔦が言うと、三太は その横でコクコクとうなづいた。
「そうなんだ!良かった。これでご近所さんだね」
と、撫子は お蔦の手をとってはしゃぐと、三太に向かって、
「お蔦ちゃんを泣かしたら、この撫子が承知しないんだからね!ちゃんと肝に命じておきなよ」
と、厳しく言いおいた。
撫子・お蔦・三太は幼馴染みで、三太は子供の頃から気の強い娘二人に振り回されてきたのだ。
しかし、三太本人はそういう性癖なのであろうか、美少女二人の下僕のような役回りを楽しんでいたきらいもあり、このたび めでたく、お蔦と所帯を持つ事になったのだった。
実際、今もこの撫子の言葉に嬉しそうに頭をなでている。
「これ、撫子よ。よその旦那様にそんな ぞんざいな口をきいてはいかんぞ。三太、妻の躾が行き届かぬで、すまぬな」
十兵衛が撫子の膝から身を起こして言ったが、本当は、大人になった撫子が、今も子供の頃と同じに三太に親しげな口をきくのに、ちょっとばかり妬けたのだ。
撫子は不満そうに唇を尖らせて、
「だって、三太のくせに、お蔦ちゃんの亭主だなんて…三太のくせに」
と言いつのった。
するとお蔦が、
「十兵衛様?あたしだって、十兵衛様が撫子ちゃんを泣かせたら容赦しませんよぅ。あたし達は姉妹盃を交わした姉妹なんですからね」
と言ったのに三太がアワアワして、
「お蔦ちゃん、十兵衛様にそんな口きいちゃ…」
と言うのを見て、十兵衛は思わず吹き出してしまった。
く、く、く、と笑いながら、
「おまえ達は三人とも変わらんな。まあ、なんだ、住まいも近くなる事であるし、仲良うしてくれ。撫子は泣かさぬよう、心掛けるでの」
と言って、煙草の煙を輪に吹いた。
新妻二人が、飽きることなく あれやこれやとお喋りに興じる姿を、亭主二人は煙草をくゆらせながら見守る。
「のう、三太。おれたちは良い嫁御をもろうたな。あの二人が姉妹なら、おれたちは兄弟じゃ。よろしくのう、弟よ」
と、十兵衛は白い歯を見せた。