第29話 女難 其の七
文字数 1,939文字
知らせは思わぬ所より訪れた。
「浄土井 公卿 様……とな?」
「はい、間違いありません。それがし、以前あの男が浄土井様の御駕篭 に従 いている姿を何度か見ております」
林家の座敷で十兵衛と撫子は突然訪ねて来た烏丸 公卿 の娘で十兵衛の亡き異母弟 ・左門の母まえ とそれに仕える戸沢に対面している。
「なるほど、きゃつは青侍 か。どうりでのう……」
十兵衛は懐手 で あごの無精髭を撫でながら、やっと腑に落ちたといった顔を見せた。
二人が持ち込んだ情報は、吉野太夫・珠子の拐 かし未遂に端を発する一連の事件の中心にいると思われる瀬川小十郎の身元であった。
大徳寺の帰り道に襲撃を受けた折りに感じた、武家家中の者とは思えぬが牢人者とも違うという印象は、公家に仕える武士である青侍であったゆえだったのだ。
「本来ならば すぐにでも お知らせせねばならぬところでしょうが、まえ様が……」
三日前、戸沢は まえの使いで河原家の別宅を訪ねると、使用人と思われる者達が荷を大八車に積んでいる最中であった。声を掛けようとしたが、様子を窺っている瀬川に気付き、何事かと隠れて見ていると、大八車を尾 けて行くではないか。只事とも思えず自分もその後を追うと、この林家に車が入るのを確かめてから瀬川は去って行った。
何とも言えず異様なものを感じた戸沢が急ぎ戻り、この事を まえに報せると、
『浄土井公卿様の青侍……。十兵衛どのにお知らせするんは少うし待ちなはれ。何や厭な気色がしますえ』
と、そのまま考え込み、使いを遣ったり人を呼んだりして この二日を過ごし、今日の訪問になったという。
「して、まえ様。その浄土井公卿様とは、どういった御方なのでござるか?厭な気色とは一体……」
「十兵衛どの、これはあくまでも噂として聞いとおくれやす。先代と当代の浄土井様は、魔に魅入られておいでだと以前より評判どした」
「魔に……?まあ、怖ろしい」
撫子が眉をひそめる。
「そうえ。そやし、浄土井様とこの家人 やて聞いて うちが心配したんは撫子はんの事なんえ」
「わたくしで、ござりますか?」
「先代の浄土井様の頃から、あちらにご奉公に上がった若く美しい娘は戻らへんいうお話がちらほら聞こえとおしたんどす。何でも魔物に贄 として捧げられるんやて」
「美女を魔物の贄 にとは、いやはや物騒な話でござるな」
十兵衛は苦笑いする。
「だとしたら、そこまでして その浄土井公卿様は何を成そうとしておいでなのか」
「うちも噂は知っとおっても、何でそんな噂が流れてるのか知らへんかったのどす。そやし、その お話を いろんな方に聞いて参りましたんえ」
まえの話はこうだ。
先代の浄土井公卿は子の無いまま早くに北 の方 を亡くし、さる美しい姫の元へ通われていた。
その姫との間に一男一女に恵まれ、姫と姫の両親 と子供達を邸 へ迎え入れる用意を整えていた矢先に、流行り病で男の子一人を残して皆 亡くなってしまう。
男の子を浄土井家の跡継ぎとして引き取ったものの公卿は深く悲しみ、喪が明けても邸に籠 りがちになり、いつの間にやら祈祷師や呪 い師、非官の陰陽師といった怪しげな者達を引き入れるようになった。
それからというもの、方々に伝手を頼んで『見目の良い若い娘の使用人を探している』との求めを出し、最初の内は若い子息の為の女房かと世話をする向きもあったようだが、一人、また一人とやれ「出奔した」やれ「出入りの商人の男と駆け落ちした」のと、ほどなくして娘達は全ていなくなってしまい、再び『見目の良い若い娘ー』とくれば誰もが訝しく思うのも当然の成り行きで、曰 く
「浄土井公卿様は最愛の姫を亡くされ、悲しみのあまりに魔に魅入られて怪しき妖術使いの唆すままに、見目の良い若い娘を贄に捧げて黄泉より姫を呼び戻そうとされている」
と言われるようになったという。
「その公卿様も先だって泉下 へと お発 ちになりゃはって、代が替わって噂も収まるかと思うたら、相変わらず怪しげな者達を出入りさしたはって最近は家人 が町で美しい娘はんに声を掛けてはるらしいのどっせ。十兵衛どのがいてはるし、心配せいでもよろしいんは重々承知しとおりますけど……」
一通り話終えたところで、まえはハタと気づいた。
「ところで、お二人は何ゆえ三筋町にいてはるのどす?」
「実は、まえ様のご心配は大変に有り難く、今のお話で分かった事がいくつもござったのですが、狙われておるのは我 が妻 ではなく ここの吉野太夫でしてな。それがし共は巻き込まれただけでござる」
「よっ、吉野太夫どすか!?公卿様ともあろう方が、殿上人であらしゃる太夫をどすか?いくら京 一の美女や言うたかて……」
標的の大きさに、まえは絶句する。
ちょうどそこへ茶を替えに来た女中に、十兵衛は林家父子と吉野太夫・珠子を呼ぶように言った。
「
「はい、間違いありません。それがし、以前あの男が浄土井様の
林家の座敷で十兵衛と撫子は突然訪ねて来た
「なるほど、きゃつは
十兵衛は
二人が持ち込んだ情報は、吉野太夫・珠子の
大徳寺の帰り道に襲撃を受けた折りに感じた、武家家中の者とは思えぬが牢人者とも違うという印象は、公家に仕える武士である青侍であったゆえだったのだ。
「本来ならば すぐにでも お知らせせねばならぬところでしょうが、まえ様が……」
三日前、戸沢は まえの使いで河原家の別宅を訪ねると、使用人と思われる者達が荷を大八車に積んでいる最中であった。声を掛けようとしたが、様子を窺っている瀬川に気付き、何事かと隠れて見ていると、大八車を
何とも言えず異様なものを感じた戸沢が急ぎ戻り、この事を まえに報せると、
『浄土井公卿様の青侍……。十兵衛どのにお知らせするんは少うし待ちなはれ。何や厭な気色がしますえ』
と、そのまま考え込み、使いを遣ったり人を呼んだりして この二日を過ごし、今日の訪問になったという。
「して、まえ様。その浄土井公卿様とは、どういった御方なのでござるか?厭な気色とは一体……」
「十兵衛どの、これはあくまでも噂として聞いとおくれやす。先代と当代の浄土井様は、魔に魅入られておいでだと以前より評判どした」
「魔に……?まあ、怖ろしい」
撫子が眉をひそめる。
「そうえ。そやし、浄土井様とこの
「わたくしで、ござりますか?」
「先代の浄土井様の頃から、あちらにご奉公に上がった若く美しい娘は戻らへんいうお話がちらほら聞こえとおしたんどす。何でも魔物に
「美女を魔物の
十兵衛は苦笑いする。
「だとしたら、そこまでして その浄土井公卿様は何を成そうとしておいでなのか」
「うちも噂は知っとおっても、何でそんな噂が流れてるのか知らへんかったのどす。そやし、その お話を いろんな方に聞いて参りましたんえ」
まえの話はこうだ。
先代の浄土井公卿は子の無いまま早くに
その姫との間に一男一女に恵まれ、姫と姫の
男の子を浄土井家の跡継ぎとして引き取ったものの公卿は深く悲しみ、喪が明けても邸に
それからというもの、方々に伝手を頼んで『見目の良い若い娘の使用人を探している』との求めを出し、最初の内は若い子息の為の女房かと世話をする向きもあったようだが、一人、また一人とやれ「出奔した」やれ「出入りの商人の男と駆け落ちした」のと、ほどなくして娘達は全ていなくなってしまい、再び『見目の良い若い娘ー』とくれば誰もが訝しく思うのも当然の成り行きで、
「浄土井公卿様は最愛の姫を亡くされ、悲しみのあまりに魔に魅入られて怪しき妖術使いの唆すままに、見目の良い若い娘を贄に捧げて黄泉より姫を呼び戻そうとされている」
と言われるようになったという。
「その公卿様も先だって
一通り話終えたところで、まえはハタと気づいた。
「ところで、お二人は何ゆえ三筋町にいてはるのどす?」
「実は、まえ様のご心配は大変に有り難く、今のお話で分かった事がいくつもござったのですが、狙われておるのは
「よっ、吉野太夫どすか!?公卿様ともあろう方が、殿上人であらしゃる太夫をどすか?いくら
標的の大きさに、まえは絶句する。
ちょうどそこへ茶を替えに来た女中に、十兵衛は林家父子と吉野太夫・珠子を呼ぶように言った。