第16話 桃夭

文字数 2,865文字

 三太は見世に戻らなければ、と言って、お蔦を残して先に帰って行った。
お蔦はというと、まだ三太の家に入ったわけでは無いので、今はまだ気楽な身分だ。
撫子は お蔦と ゆっくり遊べると喜んで、離れの台所で一緒に餅菓子を作ったり、端切れで小物を縫ったりしながら、途切れる事なく おしゃべりをしていた。
  ―「よくもまあ、そんなに話す事があるのう」―
十兵衛は寝そべって煙草をくゆらせながら、若妻二人の その様子を眺めながら、感心しきりである。
手仕事が一段落したところで、撫子が、
「お蔦ちゃん、お湯つかっていったら?ふのりも煮たから髪も洗ってくといいわよ。久しぶりに一緒に入ろうよ」
と誘った。
「いいのかい?じゃ、甘えていっちまおうかねぇ。洗いっこしようよぅ。あ、毛抜きも貸して…」
「ここのお風呂、毛切り石置いてないから、お線香使う?あ、湯文字はさらのがあるから、着てってね。返さなくていいよ」
と、女同士特有のものであろうか、キャッキャとしたざっくばらんな会話がはずむ。
「良いなあ。おれも仲間に入れてくれよ」
十兵衛がニヤニヤと隻眼を糸のように細めて言うと、撫子が ため息をついて、
「お蔦ちゃん、ごめんね。うちの人、助平じじい みたいな事言って…」
と言うと、
「あーねー、十兵衛様ぐらいの年の男は皆あんなもんよぅ。気にしないわ」
お蔦が答える。
「冗談であろうが」
と、十兵衛が苦笑いで言うと、
「覗いちゃいけませんよ」
女二人は、声を揃えて風呂場へ入って行った。

「撫子ちゃん、やっぱり はえなかったのかい?」
「そうなのよ…捨てるぐらいなら、お蔦ちゃんのを分けて貰いたいぐらいだわ」
撫子は、お蔦の ほと周りの毛を線香で短く焼き切ってやりながらぼやいた。
「十兵衛様は何って?気にされてる様子なのかい?」
「可愛ゆらしい、って言ってくださってるけど…」
「なら、気にしなくてもいいじゃないよ。もしかしたら、そういう趣向がお好きなのかも」
「それはちょっとイヤだわ…」
二人きりになった幼なじみの女同士は、何の遠慮も恥ずかしげも無く、おシモの話をする。
互いの髪と体を洗いっこしがら、やれ乳の大きさがだの尻の形がだのと、大騒ぎである。
一通り終わって湯壺に入った二人は、今度は互いの亭主の話をし始めた。
「ねえ、お蔦ちゃん、三太って家でもあのまんまなの?」
「そうだねぇ。でも、アッチは亭主ヅラして頑張るのよぅ」
と、お蔦がニヤニヤする。
「そうなの?意外…どんな感じで?」
ムッツリ淫らな娘、撫子が食いつく。
「盛ってる犬みたいにアタシを押さえつけて腰をつかったり、口取りしてやるって言ってないのにアレを口に突っ込んできたり、アッチのときだけは偉っそうにしてんのよぅ」
「三太のくせに!?」
「そ。でも、いつもと違うから、アタシもまんざら悪くないわ。十兵衛様はどうなのさ?」
「どうって…私が気をやるのを見るのが、お好きみたいよ」
「へぇ、うらやましいねぇ。いっつもイかされてるんだぁ。昔っからだけど、今でも撫子ちゃんが可愛くてしょうがないんだろうね。ねえ、十兵衛様は体格いいけど、アレも大っきいの?どのくらい?」
今度は助平な お蔦が食いついてくる。
「六寸ちょっとあると思うのよね…」
と、撫子が両手のひらを広げて見せると、お蔦が目を見張った。
「ちょっと、撫子ちゃん、入るのかい…?その体つきで?」
「うん、大丈夫よ。ちゃんと根元まで…こつぼ口に当たって、それで気をやっちゃうの」
撫子が恥ずかしげに言うと、お蔦はハアと感心したように息を吐く。
「ぴったり合ってるんだねぇ。うらやましい。三太のは三寸あるかなしかでさぁ。アタシにはチョッともの足んないんだよぅ」
 
  ―「あやつら、なんて話を…亭主の摩羅の寸法まで…女同士とは、誰も彼も このように明け透けなのかのう」―
若妻二人の話を、十兵衛は風呂場の隣の板の間で聞きながら、思わず赤面した。
好奇心から、若い娘たちの話を盗み聞きするような真似をしたのを後悔し、聞かなかった事にして、広縁で煙草をくゆらすのだった。

風呂から上がると、お蔦は三太としゅうと親への土産に餅菓子を持って、
「十兵衛様、お邪魔しました。撫子ちゃん、また一緒にお風呂しようねぇ」
と言って、上機嫌で帰って行った。


 その夜の媾合の後、書院の夜具の中で、撫子は十兵衛に腕枕され、幼い子供のように背中をトン、トンと叩かれながら、十兵衛が何か吟じているのを夢うつつに聴いていた。
はっきり聴こえているのに全く意味が取れないのは、どこかのお国言葉だからなのだろうか?どこかで聴いたような気もある、などと、ぼんやり考えていた。
「すまぬ、起こしてしもうたか」
撫子が起きている事に気づいた十兵衛が声を掛けると、撫子は首を振って十兵衛の胸に顔を寄せた。
「十兵衛様、いま吟じて おられたのは…」
「漢詩だ。詩経の中の『桃夭』だよ。まさに昼間の おまえと お蔦だ」
「とうよう…」
「うむ。嫁に行く若い娘を桃の木に例え、その幸せを願う詩だ。おまえが まだ幼き頃に、素読をさせたように思うが…」
「もう一度、聴きとうござります」
「そうか?」


  桃之夭夭 灼灼其華 之子于帰 宜其室家
  桃の夭夭たる 灼灼たり其の華 之の子 于に帰ぐ 其の室家に宜しからん

  桃之夭夭 有蕡其実 之子于帰 宜其家室
  桃の夭夭たる 蕡たり其の実 之の子 于に帰ぐ 其の家室に宜しからん

  桃之夭夭 其葉蓁蓁 之子于帰 宜其家人
  桃の夭夭たる 其の葉蓁蓁たり 之の子 于に帰ぐ 其の家人に宜しからん


低く静かな、それでいて よく通る声で吟じる十兵衛を、撫子はうっとりと見つめる。
十兵衛は撫子を抱き寄せると、頭を優しくなでながら、フ、フ、と笑った。
「どうかなさいましたか?」
「なに、思い出したのよ。おまえが幼き頃、これを素読させながら、いつか おまえが嫁ぐ時には、御守りとして この詩を書にしたため、掛軸にでもして贈ろうと思うておったのをな」
「御守り、でござりますか?」
「うむ。彼の国ではな、桃には邪悪な物を退け福を呼ぶ、不思議な力があるとされる。この詩は『桃』の字を繰り返し使う事で、嫁ぐ娘が幸せになれるよう まじないを掛けておるのだ」
撫子は得心した顔で聞いている。
「よもや あの頃は、おまえが おれのような男の元に嫁ぐなどと、考えもつかぬかったぞ」
苦笑いする十兵衛に、撫子は、
「わたくしは、十兵衛様以外の方など、いるとも思うておりませぬでした。まじないなど無くとも、十兵衛様が御守りくださりますでしょう?撫子は幸せにござります」
と、言った。
それを聞いて十兵衛は、自分の心の臓がキュッとなり、背中の熱くなるのがわかった。
  ―「守られているのも、幸せなのも、おれの方だ」―
十兵衛は、にじむ泪を手でぬぐい、瑞々しい桃のような妻を抱き締めた。
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登場人物紹介

柳生十兵衛三巌

主人公

剣豪として知られる柳生家当主で少し助平なイケおじ


河原 撫子

ヒロイン

美人で爆乳で淫らな十兵衛の嫁

柳生但馬守宗矩

故人

主人公・十兵衛の父

助平ジジイ

河原 市朗

ヒロイン・撫子の父

幼少の頃の十兵衛の傅役だった

イケオジィ

河原 すず

ヒロイン・撫子の母

若い頃、十兵衛の母・おりんの方様の侍女だった

ばあや

撫子のばあや

撫子が生まれる前は、すずの侍女だった

徳川家光

三代将軍


お藤

宗矩の側室

六丸の母

柳生 六丸

十兵衛の末弟

宗矩と お藤の子


お蔦

茶店の娘

撫子の幼なじみ


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