9月12日 科学技術立国台湾とディープ・タイワン
文字数 3,756文字
台湾というのは、不思議な国です。
科学技術立国であり、例えば台湾を代表する大企業「台湾積体電路製造有限公司(略して台積電、TSMC)」は、なんと全世界の半導体チップの50%以上を製造する世界最大のファウンドリです。
台湾がコロナ禍の波に見舞われ、ワクチン不足の問題が起こった時、ワクチンを提供してくれた国は、主に日本とアメリカだったのですが、アメリカが積極的に台湾に救援の手を差し伸べた背景には、もし台湾が沈没してしまったら、世界の情報通信業は大打撃を受け、アップルなどが大変なことになるという現実的な理由があるからなのです。
もちろん、国同士の人的交流が大きいのは言うまでもないことですが、もし「一つの中国」政策を掲げる中国が台湾に武力侵攻し、半導体チップを押さえてしまったら、今の世界のパワーバランスが大きく崩れる結果になるのは疑いの余地がありません。
実際、蔡英文総統も、談話の中でよく、「台湾の戦略的地位の向上」という言葉を使います。国際社会における台湾の重要性を高めることが、総人口僅か2300万の小国の安全と平和を維持するための最も有効な方法だ、という意味ですね。医学の分野でも、同じことが言えます。今回のコロナ禍を通して、台湾の医療衛生レベルの高さは国際的にも有名になりました。中国の妨害によって、ワクチンの購入が遅れた問題はありましたが、台湾は既に自国コロナワクチンである「高端 」の開発に成功し、その接種も始まっていますし、毎日の感染者数も、ゼロではないものの、僅か数人というところまで抑え込んでいます。
LGBTQの意識も高く、台湾はアジアで最初に同性婚を法的に認めた国であり、日本でも有名になったオードリー・タン氏のように、トランスジェンダーの方が政府閣僚として人々の敬愛を集める国でもあります。
でも、面白いのは――
台湾というのは、上記のような非常に先進的な部分と、前回皆さんにご紹介した「鬼月」の禁忌のように、非常に古い、伝統的なものが同居している国なのです。
前置きがちょっと長くなってしまったのですが、今回はディープ・タイワンと題して、科学立国とはやや趣きの異なる台湾の一面を紹介したいと思います。
先日、台湾の友人と話していて、こんな会話になりました。話題は、友人がいつも行っている美容院の美容師が独立することになったので、自分もその美容師について、新しいお店に移ったということだったのですが、その新しいお店というのが、元のお店のかなり近くにあると言うのです。
「え? そういうの、大丈夫なの?」とわたし。
「ね。わたしもそう思った」と友人。「職業道徳 的に、ちょっとまずいんじゃないって。まあ、でも、一緒に移っちゃったけど。だって彼女、腕がいいし」
「でも、やっぱり職業道徳の問題になるわけでしょ? 営業妨害されたりとかしないのかな?」
「例えば、找小弟砸店 とか?」
「そうそう。找小弟砸店 って、ニュースとかでは時々見るけど、実際にそういうの見たことある?」
「実際に見たことはないな。噂では聞くけど」
「前から聞きたかったんだけど、もし仮によ、そういうことをしたいと思ったら、どこでその小弟 を探せばいいの?」
「SNSとか?」
「開玩笑 よね?」
「うん、ごめん。そうね……。そう言われてみれば、どこで探せばいいんだろう」考え込む友人。
暫くして――
「あっ、わかった! たぶん廟 よ」
「廟?!」目が「@@」になる私。「確かに台湾の廟って、黑道 (ヤクザ)とつながりがあるって聞いたことあるけど……」
今度はわたしが考え込む番。
「じゃあ、何? 例えば、誰かが廟に行ったとするじゃない? で、廟の人に『安太歲 ですか』とか訊かれて、『いや、実は小弟を探してるんですが……』『ああ、そうですか。それなら、こちらです』って別室に案内されると、そこに真っ黒なTシャツ着た人とかが出てくるわけ?」
「哈哈哈 」友人爆笑。「それ、ウケる」
「いや、ウケ狙ってないし。実際、どうなのよ」
「さあ……。あ、ところで」
わからないのが台湾人の身として恥ずかしかったのか、いきなり話題を変える友人。「わたしの友達で、〈視える〉人がいるのよ」
「〈視える〉って、好兄弟 ※1がってこと?」
「そう、それ」
「どんな仕事してる人?」
「葬儀関係」
「ある意味、天職ね」
「ある意味、そうね。彼女、学生の時から佛學社 (仏学サークル)に入ってたし、法號 (法名)も持ってるし」
「本格的なんだ」
「託夢 ってわかるでしょ?」
「うん、死者の霊がその人の夢をかりて、何らかのメッセージを伝えるってやつよね」
「そう。その友人、それで警察に協力したりしてるのよ」
再び眼が「@@」になる南ノ。「ちょっと待って! ちょっとお待ちになって! ほんとう? ドラマとかの話じゃなくて?」
「違う。本当の話。その世界では、有名な人なのよ、彼女。無名屍 (身元不明の死体)の霊に託夢されて、『わたしはどこそこで死にました』とか告げられるそうよ。それを警察に伝えて、警察が探してみると、本当に死体が……」
「す、すごい」
「本職の方でもね、『父がもう意識が混濁していて、今日か明日かという状態です』っていう人が葬儀のことで相談にきた日の夜なんかに、彼女、よく鬼壓床 (金縛り)になるらしいのね。見たこともない老人が現れて、後事を託してくるんだって。で、それから一日、二日して、病院から死亡の連絡を受けて出向いて行くと、本当に夢でみた人が横たわっているの」
「うわあ」
「でもね、鬼壓床があまり立て続けに起こると、『今日はもう疲れてるからやめて』って言いたくなるそうよ」
「もういい! わたしこういう話苦手だし、しかもその台詞、何か違う意味みたいに聴こえるし」
「だってあなた、ネットに何か書いてるんでしょ? わたし日本語読めないから何書いてるのか知らないけど、面白いネタになるかと思って教えてあげてるのよ」
「いや、面白いと言うよりすごすぎて、誰も信じてくれないよ。絶対、わたしが話作ってるとか、盛ってるとか思われる」
「ふーん、そういうもの?」
「そういうもの」
「でも、せっかく話しかけたから最後まで話すけどさ、彼女のフェイスブックの友達がね……」
「フェイスブックあるんだ」
「彼女のフェイスブックの友達の中に、あっち系の人がけっこういるらしいのね。だから、もし万一彼女の友達から〈友達リクエスト〉されても、応じないでねって注意された。されてないけど」
「ちょっと待って。わたし混乱してきた。今の〈あっち系〉って、どっち系? 〈視える系〉? それとも〈黑道 系〉?」
「黒い系の方」
「あー」
「葬儀社の同僚で、元は小弟 だったって人、少なくないんだって」
「葬儀が廟と関係あるから?」
「それもあるかもしれないけど、さっき話に出た無名屍 ね、葬儀社ってボランティアでそういう死体を引き取ってあげるのよ。積陰德 (陰徳を積む)ってことね」
「そうか、誰かが引き取らなければならないもんね」
「そう。でも、無名屍って謀殺案 (殺人事件)だったりするわけじゃない? だからその死体は身体の一部が欠けてたりとか、原形をとどめていなかったりとか……」
「あー(二回目)」
「普通の人じゃ、そういう死体を引き受けられないでしょう。その点、以前切った張ったの世界に生きていた人なら、まあ、見慣れてるって言うか……」
「見慣れてるんだ」
「あと、贖罪のためとか」
「贖、罪?!」(なんだか話が重くなってきたぞ、と思う南ノ)
「まあ、とにかく、そういう人ならあまり怖がらずにそういう死体を引き受けられるわけよね。でもね、かわいそうなのは、彼女よ。鬼壓床 されて、託夢 されるのよ、そういう死体の霊に。彼女だって好きで視えるわけじゃないのに。正直、すごく怖いって」
「わたしなら、たぶん頭おかしくなると思う」
「わたしも。死んでも視たくない。死んでもっておかしいか……。あっ、それともう一つ」
「まだあるの? わたし、もうそろそろお腹いっぱいなんだけど」
「あなたの家の近所のクリーニング屋のおじさん」
「ああ、あのおじさん」
「あの人、以前、黒い系だったって知ってる?」
「ええっ、うそ! 親切な、面白いおじさんだよ」
「今はすっかり、改邪歸正 (足を洗って更生した)みたいだけど」
「へ、へえ……」
「だからさ、もしあなた、何か必要があって小弟探したい時がきたら、あのおじさんに相談してみたら?」
「一周回って話が戻った?!」
「そういうこと」
今日の台湾は、台風休みです。
台湾って、「台風休み」があるんですよ。まあ、今日は日曜なんで、台風休みのありがたみは、ほぼゼロに近いですが。
まだ風雨はそんなにひどくないので、さっきお昼ご飯を買いに出たのですが、「台風休み」ということで、休んでいる店が多かったです。でも、例のクリーニング屋さんは開いていました。
「台風休みだっていうのに、あんまり台風らしくないですよね」
と言ったら、
「まあ、その方がいいよ」
と短く刈り込んだ頭のおじさんは、笑っていました。
もちろん、それだけです。
わたしは家に帰って、お昼を食べて、「台灣懶惰日記」を書き始めた――というわけなのでした。
※1 「好兄弟」の意味がおわかりにならない方は、前話をお読み下さいませ。
科学技術立国であり、例えば台湾を代表する大企業「台湾積体電路製造有限公司(略して台積電、TSMC)」は、なんと全世界の半導体チップの50%以上を製造する世界最大のファウンドリです。
台湾がコロナ禍の波に見舞われ、ワクチン不足の問題が起こった時、ワクチンを提供してくれた国は、主に日本とアメリカだったのですが、アメリカが積極的に台湾に救援の手を差し伸べた背景には、もし台湾が沈没してしまったら、世界の情報通信業は大打撃を受け、アップルなどが大変なことになるという現実的な理由があるからなのです。
もちろん、国同士の人的交流が大きいのは言うまでもないことですが、もし「一つの中国」政策を掲げる中国が台湾に武力侵攻し、半導体チップを押さえてしまったら、今の世界のパワーバランスが大きく崩れる結果になるのは疑いの余地がありません。
実際、蔡英文総統も、談話の中でよく、「台湾の戦略的地位の向上」という言葉を使います。国際社会における台湾の重要性を高めることが、総人口僅か2300万の小国の安全と平和を維持するための最も有効な方法だ、という意味ですね。医学の分野でも、同じことが言えます。今回のコロナ禍を通して、台湾の医療衛生レベルの高さは国際的にも有名になりました。中国の妨害によって、ワクチンの購入が遅れた問題はありましたが、台湾は既に自国コロナワクチンである「
LGBTQの意識も高く、台湾はアジアで最初に同性婚を法的に認めた国であり、日本でも有名になったオードリー・タン氏のように、トランスジェンダーの方が政府閣僚として人々の敬愛を集める国でもあります。
でも、面白いのは――
台湾というのは、上記のような非常に先進的な部分と、前回皆さんにご紹介した「鬼月」の禁忌のように、非常に古い、伝統的なものが同居している国なのです。
前置きがちょっと長くなってしまったのですが、今回はディープ・タイワンと題して、科学立国とはやや趣きの異なる台湾の一面を紹介したいと思います。
先日、台湾の友人と話していて、こんな会話になりました。話題は、友人がいつも行っている美容院の美容師が独立することになったので、自分もその美容師について、新しいお店に移ったということだったのですが、その新しいお店というのが、元のお店のかなり近くにあると言うのです。
「え? そういうの、大丈夫なの?」とわたし。
「ね。わたしもそう思った」と友人。「
「でも、やっぱり職業道徳の問題になるわけでしょ? 営業妨害されたりとかしないのかな?」
「例えば、
「そうそう。
「実際に見たことはないな。噂では聞くけど」
「前から聞きたかったんだけど、もし仮によ、そういうことをしたいと思ったら、どこでその
「SNSとか?」
「
「うん、ごめん。そうね……。そう言われてみれば、どこで探せばいいんだろう」考え込む友人。
暫くして――
「あっ、わかった! たぶん
「廟?!」目が「@@」になる私。「確かに台湾の廟って、
今度はわたしが考え込む番。
「じゃあ、何? 例えば、誰かが廟に行ったとするじゃない? で、廟の人に『
「
「いや、ウケ狙ってないし。実際、どうなのよ」
「さあ……。あ、ところで」
わからないのが台湾人の身として恥ずかしかったのか、いきなり話題を変える友人。「わたしの友達で、〈視える〉人がいるのよ」
「〈視える〉って、
「そう、それ」
「どんな仕事してる人?」
「葬儀関係」
「ある意味、天職ね」
「ある意味、そうね。彼女、学生の時から
「本格的なんだ」
「
「うん、死者の霊がその人の夢をかりて、何らかのメッセージを伝えるってやつよね」
「そう。その友人、それで警察に協力したりしてるのよ」
再び眼が「@@」になる南ノ。「ちょっと待って! ちょっとお待ちになって! ほんとう? ドラマとかの話じゃなくて?」
「違う。本当の話。その世界では、有名な人なのよ、彼女。
「す、すごい」
「本職の方でもね、『父がもう意識が混濁していて、今日か明日かという状態です』っていう人が葬儀のことで相談にきた日の夜なんかに、彼女、よく
「うわあ」
「でもね、鬼壓床があまり立て続けに起こると、『今日はもう疲れてるからやめて』って言いたくなるそうよ」
「もういい! わたしこういう話苦手だし、しかもその台詞、何か違う意味みたいに聴こえるし」
「だってあなた、ネットに何か書いてるんでしょ? わたし日本語読めないから何書いてるのか知らないけど、面白いネタになるかと思って教えてあげてるのよ」
「いや、面白いと言うよりすごすぎて、誰も信じてくれないよ。絶対、わたしが話作ってるとか、盛ってるとか思われる」
「ふーん、そういうもの?」
「そういうもの」
「でも、せっかく話しかけたから最後まで話すけどさ、彼女のフェイスブックの友達がね……」
「フェイスブックあるんだ」
「彼女のフェイスブックの友達の中に、あっち系の人がけっこういるらしいのね。だから、もし万一彼女の友達から〈友達リクエスト〉されても、応じないでねって注意された。されてないけど」
「ちょっと待って。わたし混乱してきた。今の〈あっち系〉って、どっち系? 〈視える系〉? それとも〈
「黒い系の方」
「あー」
「葬儀社の同僚で、元は
「葬儀が廟と関係あるから?」
「それもあるかもしれないけど、さっき話に出た
「そうか、誰かが引き取らなければならないもんね」
「そう。でも、無名屍って
「あー(二回目)」
「普通の人じゃ、そういう死体を引き受けられないでしょう。その点、以前切った張ったの世界に生きていた人なら、まあ、見慣れてるって言うか……」
「見慣れてるんだ」
「あと、贖罪のためとか」
「贖、罪?!」(なんだか話が重くなってきたぞ、と思う南ノ)
「まあ、とにかく、そういう人ならあまり怖がらずにそういう死体を引き受けられるわけよね。でもね、かわいそうなのは、彼女よ。
「わたしなら、たぶん頭おかしくなると思う」
「わたしも。死んでも視たくない。死んでもっておかしいか……。あっ、それともう一つ」
「まだあるの? わたし、もうそろそろお腹いっぱいなんだけど」
「あなたの家の近所のクリーニング屋のおじさん」
「ああ、あのおじさん」
「あの人、以前、黒い系だったって知ってる?」
「ええっ、うそ! 親切な、面白いおじさんだよ」
「今はすっかり、
「へ、へえ……」
「だからさ、もしあなた、何か必要があって小弟探したい時がきたら、あのおじさんに相談してみたら?」
「一周回って話が戻った?!」
「そういうこと」
今日の台湾は、台風休みです。
台湾って、「台風休み」があるんですよ。まあ、今日は日曜なんで、台風休みのありがたみは、ほぼゼロに近いですが。
まだ風雨はそんなにひどくないので、さっきお昼ご飯を買いに出たのですが、「台風休み」ということで、休んでいる店が多かったです。でも、例のクリーニング屋さんは開いていました。
「台風休みだっていうのに、あんまり台風らしくないですよね」
と言ったら、
「まあ、その方がいいよ」
と短く刈り込んだ頭のおじさんは、笑っていました。
もちろん、それだけです。
わたしは家に帰って、お昼を食べて、「台灣懶惰日記」を書き始めた――というわけなのでした。
※1 「好兄弟」の意味がおわかりにならない方は、前話をお読み下さいませ。