10月31日 周五郎派と周平派 ※今回は台湾と関係ありません

文字数 2,937文字

 皆さん、まず次の一節を読んでみて下さい。ある時代小説からの引用です。

 傘をさして玄関を出ると、門のほうへ曲ってゆく萩の植込のところで、脇からまわって来た美代と出会った。かれはやあと云った。娘は傘を傾げてしずかにかれのそばをすれ違いながら、「ただいま父の申上げたことを、お気になさらないで下さいまし。母がそう申しておりました」「なに大丈夫です」三之丞はにこりと笑った。※1

 もしこれを今、時代小説の「新人賞」に応募したとしたら、賭けてもいいですが、たぶん1次選考も通らないと思います。いや、「新人賞」どころか、小説教室みたいなところに出しても、おそらくケチョンケチョンにけなされることでしょう。
「時代考証がなってない! 侍が『やあ』とか『なに大丈夫です』なんて言葉遣いをするはずがないだろう。もっと基本を勉強しなさい!」
 って。

 まあ、現代の時代小説は時代考証にかなりうるさいのですが、古き良き時代の時代小説(洒落ではありません)でも、「彼」とか「彼女」って代名詞はあまり使わないんですよね。「新之助は……」とか直接名前で書くでしょう、普通は。

 時代小説の常識をまるっきり無視したようなこの作品ですが、作者は誰だと思います? なんと、今や文豪のひとりにも数えられる山本周五郎です。作品タイトルは『愚鈍物語』(1943)。現在は新潮文庫の『花匂う』※1という短篇集に収録されています。

 時代小説の世界には、山本周五郎派と藤沢周平派というのがあるのをご存知ですか。昔のどくとるマンボウ派と狐狸庵派※3みたいな感じです。
 わたしはけっこうどちらも読む派なんですが、藤沢周平派の中には、「周五郎は説教臭いから嫌い」という人がけっこう多いのだそうです。

 山本周五郎の戦前の代表作には、『小説 日本婦道記』なんてのがあって、以前宮部みゆきさんと杉本章子さんの対談の中でかなり辛辣にツッコミを入れられてたりしましたけれど、わたしもさすがに、「フ、フドーキ?!」と、思わず目を白黒させてしまうほどインパクトのあるタイトルではあります、確かに。
 こういう偉いオジサマには、あまり近づかない方が無難かなあと思ってしまうのも、ある意味やむを得ないというか……。

 山本周五郎と言えば、「泣かせる作品」が有名で、実際のところ、「説教的」な作品もけっこうあったりするのですが、上記からもわかるように、実は非常に自由な発想で小説を書いた作家でもあるんです。
 わたしが山本周五郎作品で好きなのは、しっとりした人情ものよりも、むしろ自由奔放なユーモア小説です。例えば、長篇の『彦左衛門外記』なんて今読んでもかなり前衛的な、平たく言えば相当ぶっとんだ作品なので、未読な方はぜひ読んでみて下さい。周五郎のイメージがかなり変わると思います。

 山本周五郎のユーモア作品の中で、わたしの一番のお気に入りは、「平安朝もの」と呼ばれる一連の短篇です。どれも粒よりの傑作なのですが、その中でも一篇と言われれば、『大納言狐』を挙げます。ちょっと冒頭の部分を引用してみましょう。所謂「山本節」とはやや趣きが異なりますが、こちらも紛れもなく、周五郎の名文のひとつだと思います。

 狐の話ではない、恋の話なんだ。狐のことも無関係ではないが、いや、相当に深い因果関係はあるんだが、だからといって、どちらも化かしあいという意味ですか、などという者があったら、私はそんな人間はイヌの胎仔(はらご)であり、くそだわけであり、屁こき猿であると云いたい。云えばもっといくらでもあるのだが、これらの悪態も私はこの恋の出来事のなかで覚えたのである。

 この「語り手」は平安青年貴族なんです。それが、「恋の話なんだ」って……。しかも、その後の悪態の数々に至っては、漱石の『坊っちゃん』の主人公も真っ青という感じですよね(それにしても、「屁こき猿」ってどんな猿なのかしら?)。

 語り手がぽんぽんと、鼓を打つようなテンポのいい悪態を並べているところへ、「なにがし左少将の姫」が訪ねてきます。この姫が、もう惚れ惚れするほどの自由さ! 以下、引用してみます。

「お願いよお願いよ」と姫は云った、「すぐにあの人を追っかけてちょうだい」
 供もつれず、しかも走って来たらしい、遣戸の外に立ったまま彼女はせいせいと肩で息をしていた。

 やんごとなき平安の姫君がひとりで走って他人の家に来るのもすごいですが、もっとすごいのは、この後に続く姫と語り手の青年の会話です。

「なにを寝ぼけてるの」と姫は叫んだ、「起きてよ、起きるんだったら、そしてすぐに追っかけてってよ、聞えないの、なまけ者」
「追っかけるって、なにを追っかけるんだ」
「起きなさい」彼女は足ぶみをした、「ゆうべまたどこかで***たんだろ、このなまけ者の不良青年」
 彼女は卑猥なことを云った。こういうあけすけな表現は左少将の姫くらいにならないとうまく出ないものだ。その点はのちに登場する摂津の山の、それがし阿闍梨(あざり)などといい勝負かもしれない。

 わたしには、この「***たんだろ」の伏字部分(原文ママ)の意味はさっぱりわかりませんが、平安朝を舞台にした、こんな自由な作品がかつてあったでしょうか。しかも、この『大納言狐』、現在は新潮文庫の『つゆのひぬま』※2に収録されていますが、初出は1954年(昭和二十九年)の作品で、山本周五郎がその畢生の代表作『樅ノ木は残った』を書いていた時期なのです。

『樅ノ木は残った』が、純文学の評論家・奥野健男に「純文学作品より文学的」と絶賛されたことがきっかけとなって、山本周五郎は現代文学の重要作家の一人とみなされるようになっていくのですが、それとほぼ同じ時期に、こんなユーモア作品をしれっと書いていたふり幅の大きさは驚異的だと思います。藤沢周平の作品にも、そこはかとなくユーモアが漂う作品もありますが、山本周五郎のように実験的なまでに振り切れた、破壊的なユーモア小説はないような気がします。

 最近、必要があって周五郎作品を読み直し、改めてその魅力を再認識しました。自分の作品の更新がちょっと滞っていたこともあり、夜中だというのに、つい衝動的にこのエッセイを書いてしまった次第です。 

 藤沢周平の作品も、『蝉しぐれ』とか『用心棒日月抄』とか、好きな作品はいくつもあるのですが、どちらかと言えば、わたしはやっぱり周五郎派のようです。そして、それはわたしが本当の意味で時代小説ファンではない、ということなのかもしれません。

 山本周五郎は、読者を存分に面白がらせるエンタメの技術を、叩き上げの職人のように持っていた作家でしたが、その本質はむしろ純文学作家だったのではないかと思います。

 でも、そんなわたしも、『小説 日本婦道記』だけは、さすがにちょっと手を伸ばしかねているんですけれど……笑

※1 山本周五郎『花匂う』、新潮社、1983年。
※2 かつて北杜夫のユーモアエッセイ「どくとるマンボウ」シリーズと、遠藤周作のユーモアエッセイ「狐狸庵」シリーズが人気を二分し、洛陽の紙価を高めた時代がありました。ちなみにわたしは、断然「どくとるマンボウ」派でした。
※3 山本周五郎『つゆのひぬま』、新潮社、1972年。
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