9月7日 鬼門と禁忌
文字数 2,664文字
お久しぶりです。南ノです。
前回、この日記を更新したのが7月27日なので、約40日のご無沙汰でした。
いくらわたしが「懶惰」を売りにしていると言っても、かりにもタイトルに「日記」の二文字をつけている以上、40日も間隔が空いてしまうって、さすがにまずいですよね。
もはや、これ、日記とは呼べないんじゃないでしょうか。
じゃあ、何?
まあ、いいや。難しいことを考えるのはやめましょう。
実は――と言っても、どなたも気づいておられなかったでしょうが、ここ二週間ほどNOVELDAYSにあまりアクセスできなかったんです。別に病気だったとかいうわけではないのですが、ちょっとバタバタしていて、気分的にもそういう余裕がなかったんです。これを中国語で表すと(前も書いたような気がしますが)、「人在江湖,身不由己(浮世に在る身はままならぬ)」ですね。
でも、そのこととは別に、ここ暫くあまり調子がよくなかったのも事実でした。具体的に言えば、夜よく眠れないとか(これはふだんからそうなんですが)、ちょっとしたことでいらいらし易いとか、なんだかわからない変なこと(あるいは予想していなかったこと)が起こるとか……。
でも、この時期、「よくわからないけど、なんとなくおかしい」と感じる人って、わたしだけじゃないみたいなんです。台湾の友達と話してみると、皆けっこう同じようなことを言うんです。結論は、これです。
「まあ、鬼月だからしょうがないよね」
「鬼月 」というのは、旧暦の7月1日から7月30日までの一月間で、この時期、「鬼門」が開き、彼岸(黄泉)の人たちが此岸(この世)に帰ってくると言われています。ご先祖様たちもお帰りになるので、お供え物をしたりします。これは細部(何をお供えするかとか)は違っても、基本的に日本人の「お彼岸」の考え方と同じ――と言うか、日本が中国の影響を受けているわけです。
ただ、日本では鬼門と言うと、陰陽学の影響から「方角」的なものとして捉えられることが多いですよね。日本の陰陽学では、鬼門は「丑寅 」(北東)の方角ということになっていて、だから日本の「鬼 」は、頭に丑(牛)の角が生え、口には寅(虎)の牙が伸び、履いているのはやっぱり虎皮のパンツというイメージになったわけですが、こういう「鬼」のイメージは中華世界にはなくて、日本のオリジナルです。
中国語の「鬼 」は、死者の霊魂の意味です。ただ、注意しなければいけないのは、こうしたものを表す言葉としては「鬼」で間違いないのですが、ふだんの会話――鬼月の間は特に――では、「鬼」という語をできるだけ使わないようにするんです。一種の禁忌 なんですね。
代わりに使われるのは、「好兄弟 」という言葉です。「いいきょうだい」と、やわらかく、ぼかして表現するわけです。『論語』の「敬而遠之」(敬して之を遠ざく)の思想と根っこは同じだと考えていいと思います。
台湾の旧暦の7月は、他にも「好兄弟」関係の禁忌がいろいろあります。夜に洗濯物を干してはいけない、家の中で傘を開いてはいけない、川など水辺で遊んではいけない(できれば近づかないこと)等等。
基本的に、「好兄弟」は暗くて湿った場所を好むらしいんですね。だから、夜ベランダとかに洗濯物が干してあると、洗濯物にくっついてしまう。それを知らずにそのまま取り込んで……とまあ、そういうことになるんだそうですよ。聞いた話ですけど。
あと、鬼月に家の中で傘を開くと、なぜか「好兄弟」が入ってきてしまうそうです。だから、かれらと相合傘になりたくない人は、家の中で傘を開かない方がいいよ、ということでした。聞いた話ですけどね!
それから、川などの水辺に近づくな、ってよく言われます。
こういう場所には「水鬼 」がいるそうです。これは元々、入水自殺したり、溺れ死んだりした人の霊魂なんですが、不自然な死に方をしたために「投胎」(輪廻思想における生まれ変わり)できずにいるんです。日本的には「成仏できないでいる」と言った方がわかり易いかもしれませんね。
わたしもよくは知らないのですが、こういう場所に縛られている霊は定員が決まっているようで、自分が「投胎」するには、代わりの人を探さなければいけないんだそうです。で、川に来た人を水中に引っ張り込んで……。ちなみに、この不幸な交替要員を「替死鬼 」と呼びます。
この時期、特に小さいお子さんがいる家などでは、「絶対水辺に近づかないように」と厳しく注意するそうです。
身近に
――という感じなのですが、どうでしょうか。ちょっとゾクゾクしてきましたか?
では、ここで中国語講座です。こういう話を聞いて、「ゾクゾクしちゃった」と言う時には、「毛毛 」という言葉を使います。「感覺有點毛毛的 」みたいに使います。
この言葉は、「身の毛がよだつ」という意味の「毛骨悚然 」から来ているのだと思います。
台湾は、こういう系の話の宝庫みたいなところがあり、怪談が好きな人――例えばラッセみたいな人(ラッセって誰?という人は、私のブックレビュー『ヘタな大人小説より世界名作児童文学』の「やかまし村の子どもたち」篇をお読み下さい←ちゃっかり宣伝)にとっては、舌なめずりしたくなるような国だと思うのですが、わたしのこの日記では、あまりそういうネタは紹介できません。
理由は――
単にわたしが苦手だから!
こうした存在を信じるか信じないかは別として、『論語』にある「敬而遠之」(敬して之を遠ざく)という態度はとても大事だと、わたしは思っています。
怖がったり嫌ったりして攻撃的になるのではなく、もしその相手(あるいはそういう存在)と関わりを持ちたくないなら、「敬いつつ距離を取る」、あるいは「相手を尊重しつつ、距離を置く」。
これって、人間関係にも応用できるのではないでしょうか。
あ、それからですね、今日は旧暦の8月1日です。「鬼門」は既に閉まりました。よかったあ! 今朝なんとなく身体の調子がいいのは、もしかしてそのおかげかも。
え? そんなのただの気のせいだろうって?
はいはい、どうせそうですよ。チキンで悪かったですね。へーんだ!
とにかく、わたしはこれからも、「敬而遠之」の態度を堅持したいと思っております。
前回、この日記を更新したのが7月27日なので、約40日のご無沙汰でした。
いくらわたしが「懶惰」を売りにしていると言っても、かりにもタイトルに「日記」の二文字をつけている以上、40日も間隔が空いてしまうって、さすがにまずいですよね。
もはや、これ、日記とは呼べないんじゃないでしょうか。
じゃあ、何?
まあ、いいや。難しいことを考えるのはやめましょう。
実は――と言っても、どなたも気づいておられなかったでしょうが、ここ二週間ほどNOVELDAYSにあまりアクセスできなかったんです。別に病気だったとかいうわけではないのですが、ちょっとバタバタしていて、気分的にもそういう余裕がなかったんです。これを中国語で表すと(前も書いたような気がしますが)、「人在江湖,身不由己(浮世に在る身はままならぬ)」ですね。
でも、そのこととは別に、ここ暫くあまり調子がよくなかったのも事実でした。具体的に言えば、夜よく眠れないとか(これはふだんからそうなんですが)、ちょっとしたことでいらいらし易いとか、なんだかわからない変なこと(あるいは予想していなかったこと)が起こるとか……。
でも、この時期、「よくわからないけど、なんとなくおかしい」と感じる人って、わたしだけじゃないみたいなんです。台湾の友達と話してみると、皆けっこう同じようなことを言うんです。結論は、これです。
「まあ、鬼月だからしょうがないよね」
「
ただ、日本では鬼門と言うと、陰陽学の影響から「方角」的なものとして捉えられることが多いですよね。日本の陰陽学では、鬼門は「
中国語の「
代わりに使われるのは、「
台湾の旧暦の7月は、他にも「好兄弟」関係の禁忌がいろいろあります。夜に洗濯物を干してはいけない、家の中で傘を開いてはいけない、川など水辺で遊んではいけない(できれば近づかないこと)等等。
基本的に、「好兄弟」は暗くて湿った場所を好むらしいんですね。だから、夜ベランダとかに洗濯物が干してあると、洗濯物にくっついてしまう。それを知らずにそのまま取り込んで……とまあ、そういうことになるんだそうですよ。聞いた話ですけど。
あと、鬼月に家の中で傘を開くと、なぜか「好兄弟」が入ってきてしまうそうです。だから、かれらと相合傘になりたくない人は、家の中で傘を開かない方がいいよ、ということでした。聞いた話ですけどね!
それから、川などの水辺に近づくな、ってよく言われます。
こういう場所には「
わたしもよくは知らないのですが、こういう場所に縛られている霊は定員が決まっているようで、自分が「投胎」するには、代わりの人を探さなければいけないんだそうです。で、川に来た人を水中に引っ張り込んで……。ちなみに、この不幸な交替要員を「
この時期、特に小さいお子さんがいる家などでは、「絶対水辺に近づかないように」と厳しく注意するそうです。
身近に
こういう方たち
がいらっしゃれば、日常生活において、多少「よくわからないけど、なんとなくおかしい」ことが起きても仕方がないんじゃないかって言うのが、前のところに書いた「まあ、鬼月だからしょうがないよね」の意味なんです。――という感じなのですが、どうでしょうか。ちょっとゾクゾクしてきましたか?
では、ここで中国語講座です。こういう話を聞いて、「ゾクゾクしちゃった」と言う時には、「
この言葉は、「身の毛がよだつ」という意味の「
台湾は、こういう系の話の宝庫みたいなところがあり、怪談が好きな人――例えばラッセみたいな人(ラッセって誰?という人は、私のブックレビュー『ヘタな大人小説より世界名作児童文学』の「やかまし村の子どもたち」篇をお読み下さい←ちゃっかり宣伝)にとっては、舌なめずりしたくなるような国だと思うのですが、わたしのこの日記では、あまりそういうネタは紹介できません。
理由は――
単にわたしが苦手だから!
こうした存在を信じるか信じないかは別として、『論語』にある「敬而遠之」(敬して之を遠ざく)という態度はとても大事だと、わたしは思っています。
怖がったり嫌ったりして攻撃的になるのではなく、もしその相手(あるいはそういう存在)と関わりを持ちたくないなら、「敬いつつ距離を取る」、あるいは「相手を尊重しつつ、距離を置く」。
これって、人間関係にも応用できるのではないでしょうか。
あ、それからですね、今日は旧暦の8月1日です。「鬼門」は既に閉まりました。よかったあ! 今朝なんとなく身体の調子がいいのは、もしかしてそのおかげかも。
え? そんなのただの気のせいだろうって?
はいはい、どうせそうですよ。チキンで悪かったですね。へーんだ!
とにかく、わたしはこれからも、「敬而遠之」の態度を堅持したいと思っております。