3月7日 利益を得るのは誰か? 日経の台湾報道問題

文字数 3,907文字

 日本経済新聞の台湾関係の報道が、台湾で波紋を呼んでいます。

 問題の記事は、「『それでも中国が好きだ』 台湾軍に潜む死角 台湾、知られざる素顔(1)」(『日本経済新聞』2月28日付)です。

「(1)」とあることからわかるように、同タイトルによるシリーズ記事となっています。

 この記事の内容を大まかに紹介すると、次の通りです。

 台湾の軍幹部の大部分が退役後に中国のスパイとなり、台湾軍の情報を中国側に流している。

「大部分」というのはどのくらいの割合なのでしょうか? 記事では関係者からの証言として、なんと「退役軍幹部の9割」という数字が挙げられているのです。

 9割?!

 事実なら、大スクープですよね。

 でも、ちょっと待って下さい。

 素人考えで恐縮ですが、もしこれが事実なら、台湾はとっくに中国に武力統一されているのでは……??

 記事の中では、台湾軍上層部の多くが、1945年以降、中国から渡ってきたいわゆる「外省人」の子孫である点も合わせて指摘しているそうです。

 この「台湾日記」でも何度も取り上げていることですが、台湾社会の分断の元凶と言われる「本省人vs.外省人」問題が、退役軍人スパイ疑惑の根っこにあると、日経の記事は暗示しているように見えます。

「外省人」たちは、実は中国との統一を望んでいる。だから退役軍人は喜んで中国のスパイになるのだ、という理屈です。

「それでも中国が好きだ」というタイトルの言葉は、あたかもそうした外省人の心の声を代弁している……かのような印象を与えます。

 ただ、わたし自身、「本省人vs.外省人」問題について説明する時に感じていることなのですが、この問題はそんなに簡単な図式ではありません

 外省人=国民党支持層
 本省人=民進党支持層

 大まかに言えば、確かにそうです。ただ、ここで忘れてはいけないのは「

」という点です。

 簡単に台湾の近・現代史を振り返ってみましょう。

 1945年、日本は太平洋戦争の敗戦により、1895年から1945年まで50年に渡って植民地統治してきた台湾から撤退します。

 その後に、中国から蔣介石率いる国民党がやってきて、日本に代わって台湾を統治しました。この人たちがいわゆる「外省人」です。

 つまり、「外省人」というのは、元々国民党の軍人とその家族が中心なのです。だから、「台湾軍上層部の多くが、外省人の子孫である」というのは、ある意味、当たり前のことなのです。

 

国民党が中国と親密な関係を築いているのは事実です。それに対し、民進党政権は中国ではなく、日本やアメリカと親密な関係を築こうとしています。

 蔡英文総統の公式ツイッターが、英語と日本語の両方でツイートをしているところに、民進党の政治的スタンスが端的に示されていると言えます。

 ただ、国民党の政治的スタンスが昔から一貫して親中だったわけではありません。

 これは単純な歴史的事実なのですが、国民党は、中国共産党に敗れて台湾に渡ってきた政党です。

 今ではかなり現実離れした言葉に聞こえてしまいますが、台湾に渡ってきて「中華民国」政府を樹立した国民党は、当時「反攻大陸」というスローガンを掲げていました。

 台湾に渡ったのは戦略的撤退に過ぎない、国民党は再び兵を整えて中国に攻め上り、「中華人民共和国」を滅ぼして「中華民国」政権を打ち建てるのだ! ――というのが、このスローガンの意味なのです。

 ところが、国際情勢は中国共産党の中華人民共和国に味方します。

 台湾が国連を脱退したのは、1971年10月25日。その時の有名な言葉があります。すなわち――

  漢賊不兩立(漢賊(かんぞく)(なら)び立たず)

 つまり、「漢」(中華民国)と「賊」(中華人民共和国)は並び立つことができないというわけなのです。

 日本も1972年に中華民国と国交を断絶し、中華人民共和国と国交を結び直しました。日本と台湾の間には、今に至るも正式な国交がないのは周知の通りです。

 ここでちょっとややこしい話になるのですが、一般的には「台湾」と呼ばれますが、元々の正式名称は「中華民国」です(現在は「中華民国台湾」という中庸(ちゅうよう)的な呼称が公の場でよく使われます)。

 さて、「反攻大陸」、「漢賊不兩立」と言っていた頃から考えると、国民党の政策は180度の大転換を見せたことになります。

 ただ、それはあくまで政党としての方向性の問題です。たとえ国民党支持層だとしても、個人の思想とはもっと多様なものであり、簡単に「右に倣え」というわけにはいきません。

 日経の記事は、外省系の軍人たちを十把(じっぱ)ひとからげに扱っているようですが、軍部の中には純粋な中華民国思想を持っている人もいます。そういう人にとっては、中華民国と中華人民共和国は依然として「並び立たない」関係なのです。

 また、「台湾軍上層部の多くが、外省人の子孫である」と言っても、それは両親の家系が共に外省人であることを意味するわけではありません。

 太平洋戦争が終結してから、既に80年近い時間が過ぎています。両親の一方は外省人でも、もう一方は本省人という家庭はむしろ普通ですし、たとえ両親とも外省人だったとしても、その子供の政治的立場が両親と同じとは限りません。

 現代の台湾では、外省系でありながら、政治的立場は民進党支持という人もざらにいますし、その逆の例もあります。

 更に教育の問題、社会情勢の変化の影響もあります。前回の地方統一選挙の時のように、経済的な問題が支持政党の選択に影響を与えることもあります。 

 これは声を大にして言っておきたいのですが――

 現代の台湾人の思想や政治的立場を単純に図式化してしまうのは

です。


 日経の記事が出たのが2月28日、それに対し、台湾の国防部(国防省)は3月1日、ホームページ上で以下のように反論、抗議しました。(全文は一番下にURLを貼っておきます)

 針對日本經濟新聞以不明消息來源,質疑國軍保家衛國忠誠度(日本経済新聞は情報ソースの明らかでない記事によって、国家防衛に関する我が国軍の忠誠心への疑念を示した。)

 相關報導憑空杜撰,未經查證即以聳動標題,汙衊國軍官兵氣節、分化部隊團結,徒令親痛仇快,無助臺海及印太區域和平與穩定。(報道は根拠のない杜撰(ずさん)なもので、裏付けのないまま、(あお)るようなタイトルを付して国軍の士官兵士たちの気骨を汚し、部隊の団結を分断した。(このような記事は)(いたずら)に味方を傷つけ、敵を喜ばすだけであり、台湾海峡及びインド太平洋地域の平和と安定には全く寄与しない。)

 御覧になってわかるように、非常に強い言葉で日経の記事に反論、抗議しています。

 ただ、腐っても日経です。ネットニュースサイトではあるまいし、報道の基本である「裏付け」を(おこた)ったまま記事にするはずはないでしょう。

 そこでわたしは、台湾国防部の反論、抗議に対し、日経がどんな回答をするか注目していたのです。

 今日(7日付)、日経の回答が同紙に掲載されたというニュースが、台湾のニュースサイト「三立新聞網」によって報道されました。※2

「三立新聞網」は、日経の当該記事の写真を載せています。それがこちら。

(「三立新聞網」3月7日付より)

 あれれ?

 これだと、裏付けの十分でない、報道の「公平性への配慮」に欠けた記事だったと日経自らが認めたように読めてしまうのですが……。

 台湾国防部も、中国側のエージェントが台湾の退役軍人に接触し、スパイになるよう持ちかける事実があるということ自体は否定していません。その点はちゃんと認めた上で、こうした売国行為への対策は既に講じていると述べています。

 以下はわたしの見解なのですが、今回の日経の記事の問題点は、たとえ「関係者によれば」という注釈があったとしても、「9割」といういくらなんでもあり得ない非常識な数字を書いてしまったことと、「それでも中国が好きだ」というタイトルの言葉にあると思います。

 新聞はその性質上、読者の全員が一字一句、隅から隅まで読むわけではありません。むしろ、タイトルとキーワードで大まかに記事内容を理解しようとする人の方が多いでしょう。

 今回の日経の「『それでも中国が好きだ』 台湾軍に潜む死角 台湾、知られざる素顔(1)」は、根拠不十分のまま、読者をある方向へ誘導する意図を持つ、いわゆる印象操作的記事ではないかと非難されてもやむを得ないのではないか、と正直思ってしまいます。 

 印象操作が行われたとすれば、そこには当然、操作された印象によって利益を得る人がいるはずです。

 それはいったい「」なのか、この「日記」ではこれ以上の追究はしませんが、台湾国防部の反論の中の「徒に味方を傷つけ、敵を喜ばすだけ」という言葉は、考えるに値する意味を含んでいる気がします。 

※1「國防部發布新聞稿,針對『日本經濟新聞以不明消息來源,質疑國軍保家衛國忠誠度』乙情澄清說明(112年3月1日)」URL:https://www.mnd.gov.tw/Publish.aspx?p=81111&title=%e5%9c%8b%e9%98%b2%e6%b6%88%e6%81%af&SelectStyle=%e5%8d%b3%e6%99%82%e6%96%b0%e8%81%9e%e6%be%84%e6%b8%85%e5%b0%88%e5%8d%80

※2「報導9成退將赴中當共諜!日經回應『是採訪台當事人』:遺憾造成了混亂」URL:https://www.setn.com/News.aspx?NewsID=1261367 
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