第50話 涙あふれて

文字数 601文字

「あなたがガンディアの王さまでなかったら、この船に乗って一緒に航海できるのにね」
 それは無理です、とリシャールが困ったように返答する。
「わたしは海のことは何も知らないし、第一、泳げません」
「そんなの、あたしが全部教えてあげるわよ!」
 梨華はリシャールの首に回す手に力をこめ、何度も眼を(しばたた)かせた。自分でも驚くほど涙があふれて止まらなかった。
 今頃になって気づいた。こんなにも彼を好きになっていたことに。
 最初は港でからまれていた。危なっかしくて放っておけなかった。それから薔薇の花束かかえて船にやって来た。求婚なんてされたのは生まれて初めてだった。
 リシャールは子供をあやすように、梨華の背中を優しくさする。
「今なら心変わりしても、まだ間に合いますよ」
 ううん、と梨華は泣きながら首を横に振る。
「あたしは海の民の娘だもの。生き方は変えられない。でも、今だけ泣かせて……」
「あなたのことは決して忘れません、梨華」
 よく笑って、時には怒って、まぶしいほど溌剌(はつらつ)とした少女。王宮の兵に追われ、窮地にいた自分に手を差し伸べてくれた。梨華と船の人々がいなかったら、無実は証明できなかっただろう。
「あなたに会えてよかった」
「……あたしもよ」
 潮の匂いのする夜風に吹かれながら。二人は互いのぬくもりを心に刻みつける。
「出港する時、祝砲を撃つわ。立派な王さまになってね。またいつかガンディアを訪れたら、必ず会いにいくから」




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登場人物紹介

梨華(りか)


強く美しい乙女に成長した、水軍の長の娘。十八歳。武術の才は母譲り。

母の跡を継いで、将来は水軍の長になるのが目標。

リシャール


ガンディア国の第1王子。梨華に一目惚れしてプロポーズする。

美形で紳士だが、ややヘタレ。

勇利(ゆうり)


梨華の双子の兄。理知的で穏やかな少年。勝気な妹に振り回されること多し。

梨奈(りな)


梨華と勇利の9つ下の愛らしい妹。家族に溺愛されている末っ子。

阿梨(あり)


梨華が敬愛する母。羅紗国の王女にして水軍の美しき長。

しなやかな知略と一歩も引かない剛毅さを合わせ持つ。

ジュリオ


リシャールの幼馴染で親友。リシャールが巻き込まれた事件の鍵を握る。

クリスティナ


ガンディア国の現王妃。リシャールの継母。

自分の息子アレンを王位につけるべく陰謀をめぐらせる。

エレナ


ジュリオの妹。ひそかにリシャールを慕う病弱な少女。

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