第33話 不敵な笑み

文字数 655文字

 長椅子から立ち上がリ、出て行こうとするリシャールの服の裾を、おずおずとつかんだ者がいた。梨奈だ。
「王子さま、行っちゃうの……?」
 大きな眼には涙が盛り上がり、今にもこぼれ落ちそうになっている。
 まだ九つの梨奈とて緊迫した状況は理解できる。このままリシャールを行かせたら、おそらくは二度と会えないことも。
 無邪気な笑顔で宮廷での孤独を癒してくれた少女──梨奈の肩に手を置き、リシャールは優しく語りかけた。
「ありがとう、梨奈。短い間でしたが、一緒に過ごせて楽しかったですよ」
 服をつかむ小さな手をそっと外し、歩み出そうとするリシャールを、阿梨が右手を伸ばして止める。
「待たれよ。もう一度訊くぞ。そなたは人を(あや)めてなどいないのだな?」
「もちろんです! 誓ってわたしは誰も殺しておりません」
 承知した、と阿梨は真摯な表情でうなずいた。
「ならばよい。では、外の連中を追い返してくるとするか」
「え?」
 リシャールは碧い眼を見開いた。
「いけません! わたしをかくまえば水軍に迷惑がかかります」
「心配せずともよい。連中は罪人を引き渡せと言っている。が、そなたは殺人などやっておらぬと言う。だからこの船には罪人などいない」
「理屈はそうですが、外にはガンディアの軍隊が……」
 なんの、と阿梨は不敵に笑ってみせた。
「わが羅紗水軍とて日頃は船乗りであり、商人だが、何か事あらば武人となる。心配なら、そなたは梨華たちと共に成り行きを見物しているといい」
 それに、とやんわり苦笑してみせる。
「この船では梨奈を泣かせるのが最大の禁忌(タブー)でな」




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登場人物紹介

梨華(りか)


強く美しい乙女に成長した、水軍の長の娘。十八歳。武術の才は母譲り。

母の跡を継いで、将来は水軍の長になるのが目標。

リシャール


ガンディア国の第1王子。梨華に一目惚れしてプロポーズする。

美形で紳士だが、ややヘタレ。

勇利(ゆうり)


梨華の双子の兄。理知的で穏やかな少年。勝気な妹に振り回されること多し。

梨奈(りな)


梨華と勇利の9つ下の愛らしい妹。家族に溺愛されている末っ子。

阿梨(あり)


梨華が敬愛する母。羅紗国の王女にして水軍の美しき長。

しなやかな知略と一歩も引かない剛毅さを合わせ持つ。

ジュリオ


リシャールの幼馴染で親友。リシャールが巻き込まれた事件の鍵を握る。

クリスティナ


ガンディア国の現王妃。リシャールの継母。

自分の息子アレンを王位につけるべく陰謀をめぐらせる。

エレナ


ジュリオの妹。ひそかにリシャールを慕う病弱な少女。

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