第53話 自らの道

文字数 649文字

 母は、父さまには内緒だぞ、と念を押してから耳打ちした。
「昔、倭国(わこく)との(いくさ)の時だ。初めて共に生きてみたいと思う相手に出会った。異国の者で、太陽のような笑顔をして、武力とは違う『力』を持っていた」
「その人とはどうなったの?」
「彼には待つ者がいたから、故国へ帰っていった。……かの人は海の民にはなり得なかった。父さまへの気持ちに気づいたのは、その後しばらくしてからだ」
「……知らなかった」
「今まで誰にも話したことはないからな。梨華が初めてだ」
 阿梨は眼を細め、面はゆい思いで梨華を見た。いつの間にか成長した娘とこんな話ができるようになっていたのだ。
 あとは黙って水平線を眺める二人に、ぱたぱたと足音がして屈託のない声がかかる。
「母さま、姉さま、お茶の仕度ができたわ。父さまたちが待ってる」
 二人は振り返り、呼びにきた梨奈に笑いかける。
「ありがと、梨奈。今、行くわ」
 梨奈と手をつなぎ、梨華は船室へと向かう。扉を開けて船内に入る前、最後にもう一度、ガンディアの方向に眼をやる。
 すでに王宮も港も見えない。緑に彩られた陸地がかすかに望めるだけである。
「姉さま、どうかしたの?」
 足を止めた姉を梨奈が不思議そうに仰ぎ見る。
「ううん、何でもないわ。さ、行きましょ」
 梨華はしゃんと背筋を伸ばし、妹と共に通路を歩いていく。
 何かを選ぶということは、別の何かを手放すということ。
 後悔はしない。自らが決めた道だ。
 蒼天の下、梨華たちを乗せた船の行く先には、遥かに広がる群青の海。
 次の航海は、もう始まっている。


  完




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

梨華(りか)


強く美しい乙女に成長した、水軍の長の娘。十八歳。武術の才は母譲り。

母の跡を継いで、将来は水軍の長になるのが目標。

リシャール


ガンディア国の第1王子。梨華に一目惚れしてプロポーズする。

美形で紳士だが、ややヘタレ。

勇利(ゆうり)


梨華の双子の兄。理知的で穏やかな少年。勝気な妹に振り回されること多し。

梨奈(りな)


梨華と勇利の9つ下の愛らしい妹。家族に溺愛されている末っ子。

阿梨(あり)


梨華が敬愛する母。羅紗国の王女にして水軍の美しき長。

しなやかな知略と一歩も引かない剛毅さを合わせ持つ。

ジュリオ


リシャールの幼馴染で親友。リシャールが巻き込まれた事件の鍵を握る。

クリスティナ


ガンディア国の現王妃。リシャールの継母。

自分の息子アレンを王位につけるべく陰謀をめぐらせる。

エレナ


ジュリオの妹。ひそかにリシャールを慕う病弱な少女。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み