第46話 琥珀色な瞳の豹との対面

文字数 2,111文字

「カーター!」
「よう」
 カーターは可笑しげに笑みを向けてきたが、その鋭い目はまったく笑っておらず、暗闇で琥珀色に光る瞳はまるで野生の豹のようだ。
 頬には切り傷とその周囲にオレンジ色がかった打撲痕があり、殴られて一か月程経ったような風貌だ。わたしにまじまじと顔を見られて、彼は居心地悪そうに足を動かし、身じろいだ。居心地悪いならばさっさと去るべきだ。自分から来たのだから、こちらは遠慮する必要などない。
「その足、どうしたの?」
「ちょっとね」
「ふーん、痛そう」
 いい気味だわ、と言うと、彼は鼻で笑った。
「ウルフには、おれじゃなく、イシを殴るべきだって言っとけよ」
「え?」
「おまえ、おとなしそうな顔して、たいした玉だよな。イシとウルフを両天秤にかけるなんて」
「なんのこと?」
 カーターはテーブルの上からわたしのタンブラーを取ってごくごくと数口飲んだ。
「ちょっと! わたしのものを勝手に飲まないでよ!」
「飲まないならもったいないから飲んでやってるんだよ。冷めてる」
「いったいどういう性格してるの? その足、誰にやられたか知らないけど、もっと重症だと良かったのに」
「これでもけっこう重症だったんだ。あばらもやられてたからな」カーターはそう言って片手で胸を押さえてから、もう一口ソイラテを飲む。タンブラーをテーブルに置いて、ウルフのクソ……と小さな声で毒づく。
 店内は高品質なスピーカーから流れる陽気なクリスマス・ジャズで満たされているのに、そのメロディが今では邪魔に思えた。いまのわたしたちには似合わない。カーターは常に重たい灰色の空気を纏っている。
「今日からやっと職場復帰したとこだ」
「そうなの?」
「こいつは、おまえの差し金だと思ったが、違うようだな」と言って、カーターが少し足をあげてからわたしを睨みつけてきた。
 ヨーロッパの香りが添加されたハーフの美男子として品よくふるまえるのに、一瞬、粗野なマフィアのように見えることもある。つかみどころがない男だ。まるで紳士の着ぐるみを来た悪魔が、わたしの目を探るように見る。
「なんのこと?」
「イシとは別れたって言ってたよな?」
「別れたって言ったでしょ。ほんとうよ。あなたの脅迫の効果じゃないから勘違いしないでほしいけど」
「それは良かった。で、次はウルフか」
「ウルフとは何の関わりもないわ」
「ウルフと付き合ってるんじゃないのか?」
「つ、付き合ってなんかないわよ! 学生のころに知り合いだったから、久しぶりに少し会っただけで、今はもう連絡すらとってないから!」
 必死にそう言うと、カーターは可笑しげに声をあげて笑った。「じゃあ、ウルフの独り相撲ってわけか。なるほどね」
 カーターはジャケットのポケットから紙ナプキンで包まれた丸いものを取り出してテーブルに置いた。そして、ナプキンを広げて取り出してかぶりつく。シナモンロールだ。
 シナモンロールを食べている姿もファッション誌のポスターになってもいいくらいイケている。さすがプロのモデル。
「なんだ? ほしいのか?」
「要らないわよ!」
「そう怒るなよ、おまえが怒るべきなのは、イシだろ。おれは忠告しただけの善人だ」
「なぜ、あなたがわざわざ忠告する必要があったわけ? あなたにどういうメリットがあるの? イシ君とはどういう関係?」
「さあね」
「ふざけないでよ!」
「ふざけてない。いたって真面目なビジネスだ。おまえ、イシともウルフとも付き合ってないのなら」
 カーターが優雅にシナモンロールを口に入れて、ゆっくりと咀嚼する。そして、もう一度わたしのタンブラーを手に取って、飲み干した。
「おれと付き合おうか」
「いい加減にして!」
 わたしはテーブルの上のタンブラーを取って彼に投げつけようと思ったが、彼の足に巻かれた白い包帯が目に入ってクールダウンした。まだ骨が完全にくっついていないのだろう。カーターはすでに十分報復を受けている。
「もう二度と現れないで!」
 そう言ってコートとバッグを手に取った。カーターはシナモンロールの包み紙を丸めて、可笑しげにわたしを見上げていた。
 ハイヒールの踵を床に打ち付けながらカフェから走り出た。

 カフェの外に出ると、丸の内の夜空には粉雪が舞っていた。ビルの明かりを反射して七色にキラキラと輝いている。
 コートを羽織り、地下鉄の駅にもぐると、ポケットの中のスマホがバイブしたから取り出してみる。
 サチからだ。
 メール文は『これ見て!』と一言だけ書かれて、画像ファイルが添付されている。
 ホームに入ってきた電車に慌てて飛び乗ってから、スマホの画面を指で拡大してみる。
 それは週刊誌の1ページのようだ。
 大きな顔写真が載っていた。
 それは、イシ君だった。笑顔の女性と肩を寄せ合っている。荒い画像でもわかる美しい顔立ちの女性は胸元の開いたドレスを身に着け、派手目のメイクを施している。
 そして、脇に大きな見出しが書かれていた。
 『日本一の石油会社の御曹司に10年来の愛人が!衝撃の証言!!』
 『愛人は元銀座クラブのホステス35歳!!隠し子(3歳)あり!!』
 『日本一の石油会社で熾烈な家督権闘争!!』という太字の見出しが躍っていた。
 

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登場人物紹介

ウルフ 

男。大学三年生。リリィがひと目ぼれした相手。

リリィ 

女。大学四年生。このお話の主人公。

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