第7話 恋されたければ電話は二分で切らなくてはいけません

文字数 5,094文字

 年末年始の無駄に華美な行事が慌ただしく過ぎ、新年が始まり、卒業式が近づいてきた。
 けれど、わたしの心の時計は止まったままだった。ウルフとの縁が切れたかもしれないならば、もう手帳も捨てちゃおうかなと思っていた。
 そんなある晩、ベッドの上でピラティスの鋤ポーズを取っていたわたしの隣でスマホがブルブルと振動した。
 そして、画面に表示されたのは……

『(-''-)』 

 ウルフだ。
 わたしはウルフの番号をウルフっぽい顔文字で登録していた。
 スマホのバイブレーションは二十秒間つづいてから切れた。
 かけ間違えなのよ、きっと、とわたしは思った。
 けれど、しばらくすると、またバイブレーションが始まった。
 わたしは高鳴る胸に手を当て、震える手でスマホを取り、画面をタップする。
「……はい」
「おれ」
「誰ですか?」
「おれだよ、おれ」
「おれおれ詐欺ですね。警察に告発します」
「面倒くさいやつだな」ウルフが喉の奥でくっと笑うから、わたしも笑った。
「なんのよう?」
「もらった電話代、六千円くらい余ったから返してやろうと思って」
「六千円? じゃあ、あれで四千円くらいだったの?」
「ああ。請求書みたら、そうだった。おまえ、金銭感覚ないのな。おつりとして、六千円分の話を聞いてやるよ」
 わたしはいままでの人生で電話代のことなんか考えたことがなかった。わたしと似た育ちの友人たちは皆同じだと思う。電話代というものは、わたしたちの知らないところから勝手に落ちていくものだった。食費も生活費もそうだ。値札をろくに見ないでカードで支払い、そのあと明細なんかにはまったく興味がない。
 だから、ウルフがわざわざ電話代の請求書をチェックしたというだけで、尊敬のまなざしで彼を(電話越しに)みてしてしまう。
「聞いてやるよって言われても……べつに話すことないから困るんだけど」
「なんだそれ。前は話したくてしょうがないっていう勢いだったじゃないか」
 前回の電話で自制心を失ってしまったせいで、正しい会話の仕方がわからない。
 わたしは慌てて枕元に転がっている手帳を手に取って、ふるえる指でページをめくった。たしか、ウルフからつぎにもし電話がかかってきた場合に備えて大事なルールを作って書いたはずなのだ。何て書いたんだったっけ?えっと、えっと…。
「おい、聞いてるか?」
「あ、うん、聞いてる聞いてる」
「こないだ学食でおまえと喋ってた男、どっかの御曹司だっけ? 」
「え? こないだっていつ?」
「先月」
「先月? 先月は去年じゃん。こないだじゃないでしょ。……先月学食で誰かと話したかな……。あ、ゴウ君のこと…?」
「ゴウっていうのか、あいつ。おまえの彼氏? 」
「ちがうちがう、ただのクラスメートよ。むかしゼミで一緒になったことがあっただけで」
 パンクしそうな頭を巡らせながら、手で手帳をめくりながら、わたしは適当に会話をつづけた。
 そして、見つけた。
 このルールだ!

『聞き役にならなくてはいけません。そして、2分で切ること!!』

 このルールを守ると決意したのだ。今度こそ、ルールを守って、ウルフの恋を育てなくっちゃ。
 なにがなんでも二分で切らなくては……!!
 ベッドサイドにあるWAKOの時計の針は11時10分を指していた。
 そして、聞き役になるためには……
「あー、えっとー……、そうだ。ウルフはあのあと、何やってたの? 今日もカフェのバイト?」
 聞き役になるために、無理やり質問をしてみた。
 なんだか変な感じだけど、好きじゃない人にはいつもやっている自然なことかもしれない。
「いや、今日はバイトが休みだったから、買い物に付き合った」
「へえ、彼女の? どこへ?」
「新宿。彼女じゃないけどな」
「彼女じゃないの? じゃあなに?」
「何って……ただ、服えらぶのを付き合ってくれって言われたから付き合ってやってただけだ」
「服ねぇ。どんな服?」
「さあ……。スカートとか、ワンピースだっけな。試着が長すぎて置いてきた」
「え? 置いてきた? 置いてきたって、彼女を? デパートに?」
「ああ。彼女じゃねぇって」
 わたしは枕元に置いてあるミッフィーのぬいぐるみを手にとって抱いた。
「ひどい男。最低。女の敵。噂どおりね」ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。
「ひどいのはあっちだ。おれは頼まれて行ったんだからな。相談料を貰いたいくらいだよ」
「でも、途中で帰ったんでしょ? 試着してるときに?」
「ああ。べつに、悪いことなんかしてない。帰っただけだ」
 そういえば夏頃に、有名モデルが主演のフランス映画にウルフを誘った女の子の話を噂で聞いたことがある。映画をみていたウルフは途中でいきなり帰ってしまって、彼女がひとりで置いてけぼりにされたという話だった。
 ほかにも、表参道のカフェでウルフに告白をし、煮え切らないウルフを説得しつづけた女性の噂話もある。ウルフはあまりにも積極的で説教じみた話をつづける彼女の話の最中に、クリームソーダのグラスを床に投げつけて割ったという話だ。
 短気で傲慢で我儘な男なのだと有名なのに、それなのに、わたしを含めた多くの女性がいまもなお彼に惹かれつづけるのはなぜだろう、とわたしは思う。
 研究に値する。
 おおいに、研究に値する。
「はん、おなじような服ばっかり何着も試着して見せられるおれのきもちにもなってくれよ。うんざりだっつうの」
「綺麗な自分をウルフにみてほしいじゃないの? かわいいじゃないの」
「そんなことはおれには関係ないね。おれは見たくない。それだけだ。それに、おれに服を選ばせる神経がわからんな」
「そうよね、ウルフってファッションに興味なさそう。そういえば、いつも同じ服着てるよね?」
「シャツなんて3枚あれば十分だ。着れればなんだっていいだろ、服なんてしょせん防寒具だ」
 そういえば、ウルフがブランド品を身に着けているところを見たことがない。
 いつもよれたシャツにくすんだ色のジーンズだが、それは有名ブランドメーカーの工場でわざわざ色を落としてカジュアル性を出したものではなくて、本当にウルフが着古しているのだろう。高級ブランド品でも真似できない本物のヴィンテージだ。
 たとえユニクロのシャツだって、ウルフが着ればアルマーニのモデルレベルにカッコよくみえるもの。
 それに、生活費をバイトでまかなっているのだとしたら、そもそもブランド品を買うこともできないだろう。
 わたしたちが一日の終わりにカフェで贅沢な時間を過ごして出費している間、ウルフは洗い場でお皿を洗って労働しているのだ。自分で働いたお金の価値をよくわかっているはずだ。
「……そうよね、服なんてしょせん、防寒具よね」
「お、めずらしいじゃねぇか?! お嬢のおまえがそんなことを言うなんてさ!」
 わたしはウルフが言ったことばを繰り返しただけなのだけど、ウルフは嬉しそうだ。いつも、誰に対しても引き気味のウルフがめずらしく前のめりになっている。
 手帳のページに刻まれた『聞き役にならなくてはいけません』という文字を指でなぞりながら、わたしは、『聞き役』になることの大切さを実感した。
「で、彼女を置いて帰ってからは、何してたの?」
「べつに、風呂入ったり、飯つくったり」
「え、料理? ウルフが? 」
「なんだよ、飯くらい作るだろ」
「作らないわよ、ふつうの男は。定食屋で食べたり、コンビニで買ったりするもんじゃない? 」
 わたしが今まで付き合った男は料理をしなかった。料理は女がするもんだって思っていた。
 そして、わたしも料理をしなかった。料理はお手伝いさんがするものだという環境で育ったから。
 ウルフはいろいろな点でわたしの想像を超えていることがわかってきて、胸の奥できゅんきゅんと鳴る音が大きくなっていく。
「おれは普通じゃないからな」
「そのようね……。ウルフが普通じゃないっていうのはみんな知ってるけど、料理ができるっていう噂は聞いたことがなかったわ。だって、普通の男は、とくにうちの大学の男子ってほんっとに、料理しないんだもん」
 高学歴で育ちが良さそうな男子はことごとく料理が苦手だった。きっと、お母様が専業主婦で料理がお上手だったり、それとも、わたしの実家みたいにお手伝いさんがいるか、どっちかだ。
「『普通の男は』っていう言い方は、いまの時代には問題あるんじゃね? 男女差別だぜ? 」
「あ、そっか。っていうか、ウルフってけっこう真面目なのね? いまの時代はオトコも料理をするべきだっていう考えをもってるなんて」
「いや、そういうんじゃない。料理なんて、作れるやつか作りたいやつが作ればいいだけの話だろ。どっちがやるべきだとか、責任を押しつけるような話じゃないってことだ」
「なるほどね」ちょっと感心してしまった。
 わたしは、ほお、とためいきを漏らしてから、もう一度、なるほどね、と言った。
 そして、人は心から感心すると、自然と聞き役になるものだと気づいた。
 そうだ。会話で自然と聞き役になれるのは、相手の会話に感心している場合または相手にまったく興味がないときに限られるような気がする。
「そういやあ、おまえは料理作れなさそうだな」
「え?……う、うん。よくわかるわね。料理は苦手」
 一人暮らしをするようになって三年以上が経つのに、スクランブル・エッグやハム・エッグ、ハンバーグくらいしか作れない。家柄が良くて成績も良くて外見も良いと言われるわたしの唯一の欠点は家事が苦手なことだ。幼いころからずっとそうなのだが、家事には興味がもてないことが原因だと思う。
「そろそろ料理学校にでも通ったほうがいいかも」
「ああ? 無駄なことすんな。料理よりも、ほかのことができるやつは、そっちに集中したほうがいいんだ」
「え? なんでよ」
「おまえみたいに脳が高性能なやつは、そうじゃないやつらの仕事を奪わないほうがいいってことだ。適材適所だ。社会のためにな」
「どういうこと? 」
「料理で生計を立ててる人たちの邪魔をするなってこと」
「なにそれ。社会のために、わたしは料理をしてはダメっていうの? 」
「ああ。料理しかできないやつらのためにな」
 自信たっぷりの言い方に、わたしは思わず笑ってしまった。なんて、傲慢で、嫌な男なんだろう。口が悪いだけじゃなくて、考え方も半端ない。
 だけど、一理あるかも、と思ってしまうのはわたしがウルフに恋しているからだろうか。胸に抱えているミッフィーを強く抱きしめる。
「それって、新しい説よね。社会的料理不可説。気に入ったわ」
 そう言うと、ウルフが満足げに喉の奥で笑った。
『社会的料理不可説』
 わたしはもう、すっかり、ウルフの虜だった。
 ああ。もう。
 ほんとに、ウルフのことが、好き。
 そう思って、天井を仰ぎみた拍子に、視界のすみにWAKOの時計が入った。
 時計の針は11時13分を指していた。
「あ……っ!!」
 しまった……!二分をオーバーしてしまった!また話し過ぎた……!
「なんだよ」
 何かを言おうとしたウルフを遮って、わたしは声をあげた。
「ちょ、ちょっと用事があるから、ま、また今度ね!」
「は? なんだよ急に、用事って」
「いろいろ、忙しいの。じゃあまたね」
「おう……」
 不満げなウルフの声。
 わたしは邪念を振り払うために目をぎゅっと閉じて、スマホの画面をタップした。
 電話を切った。

 通話時間は三分を超えてしまったけれど、ウルフがわたしにうんざりする前に会話を切ることができた。それに、今回のわたしはひとりで喋りまくったわけじゃなくて、ウルフの話の聞き役をしながら話したわけだから、ウルフも楽しそうだった。盛り上がってきたところで、突然切ったのもよかったような気がしてきた。ウルフも、もっと話したいと思ってくれたかしら?
 そんなふうに思えるのって、上出来よね?
 わたしはミッフィーにそう言ってから枕の隣に置き、手帳を手に取って、ピンク色のペンで大きな花丸を書いた。
『三分だったけど、大丈夫♡』
 そして、ごろん、と寝転がって、枕に頭を押し付けた。

 ウルフともっと話したかったという欲求不満から生まれる切なさと、ひさしぶりにウルフと話せたという嬉しさと、新たに知ったウルフの魅力にときめいた胸の興奮が体を駆け巡り、全身の細胞が生き生きと力をみなぎらせていくように感じる。
 目を閉じても眠気は訪れず、ごろんごろんと何度も寝返りを打ち、それでも寝つけなかったわたしはくしゃくしゃに乱れたシーツの上で朝をむかえた。
 一睡もできなかったのに、脳内はバラ色のお花畑に染まっていた。

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登場人物紹介

ウルフ 

男。大学三年生。リリィがひと目ぼれした相手。

リリィ 

女。大学四年生。このお話の主人公。

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