第13話 大切にされたければ彼を責めてはいけません/攻めてはいけません

文字数 2,650文字

 初めての本気の恋だった。
 心を全部ウルフに奪われてしまったような感覚。それをどうやって返してもらえばいいのか、彼はなにを考えているのかわからない。
 わたしはウルフに恋したことで生まれて初めて他人に興味をもったのかもしれない。
 それまでのわたしの関心事とえいば、かわいい物、ファッション、いい匂いのする香水、着飾ることなど、自分に関することばかりだった。休日は母や友人とウィンドーショッピングに行って洋服を何着も試着して、新色のメイク用品を買いそろえて、ブランドバッグの新商品を買って、オシャレなカフェでケーキを食べること。そういうことが人生の中心だった。彼氏がいるときも、興味のベクトルは自分に向いていた。
 けれど、ウルフと出会って、それらの楽しみがすっかりと色褪せてしまった。
 代わりに、脳内を占めるのはウルフに対する疑問だけになった。彼はなにを考えてるんだろう、どうしていつも不貞腐れたような表情をしているんだろう、どうしてわたしに電話してきたの? どうしてジャック・ロンドンを読もうと思ったの? どうしてわたしにキスしたの……? 

 解けないパズルを目の前にして朝から晩までそれと格闘しているような気分だった。
 ベッドで寝そべったまま横をみると、ガラス棚の中で光るゴールド色の背表紙が視界に入った。わたしはベッドから飛びおりて棚を開けて、大学1年生のときにサチから誕生日プレゼントとしてもらったタロットカードを引っ張り出した。
 よく知らないけれど、どこかのファッションブランドとコラボしたという金箔塗の箱に入った高級なタロットカード。
 いままで現実主義だったわたしは占いなど信じたことがなかったのに、いまは何にでもすがりたい気分なのだ。
 タロットカードの使い方は全然わからないけれど、iPadで調べてみたら初心者向けのカードの引き方が出てきたから、それでやってみることにした。
 まず、気分を盛り上げるために、そして、霊みたいなものを呼び寄せるために、アロマキャンドルに火を灯した。ストロベリーとローズの仄かな香りが広がる。先日イヴ・サンローランの化粧品を買ったときにノヴェルティとして付いてきたものだ。
 そして、見えないなにかに向かって、心のなかで念じる。
『ウルフとわたしはどうなるの? どうなるの? どうなるの? どうなるの?』
 精一杯こころのなかで念じながらカードを混ぜて、それから目を閉じて、一枚だけ引いてみた。
 そして、目を開けて、引いたカードの意味をiPadで調べる。
 「正位置の魔術師」というカードだった。意味は、『才能や自信からくる創造性を表す』『潜在能力を開花させれば、無限の可能性がある』のだとか。
 つまり、どういうことなの?
 無限の可能性って、うまくやればうまくいくということ??
 そんなこと、あたりまえじゃないの、何事においても、うまくやればうまくいくし、無限の可能性がある。でしょ?
 わたしはベッドの上に散らばったカードをかき集めて箱に入れた。やっぱりわたしには占いの類いは合わないみたいだ。でも、『うまくやればうまくいく』という考えが頭の中に住み着いて、しだいに渦巻き始めた。
 そして、スマホを手に取って、メールを打って送信ボタンを押した。宛先はウルフ。

リリィ:『講演、どうだった?』

 本当はこんなことを聞きたいのではない。けれど、衝動的に思いついた文章を送っただけだ。たいていの女性はそういうことをするでしょ? 呼吸をするように、なにも考えずにメールを送るものだ。
 そして、返信はこない。予想どおりだ。
 しばらくベッドのうえから横目で揺れるキャンドルの炎を見つめ、悶々としたあと、わたしはもう一通のメールを打った。
 
リリィ:『彼女とつきあってるの?』

(-''-) :『ちがう』

 すぐに返信が来た。
 驚いたわたしはベッドから飛び降りて、床に座り込んだ。フローリングがひんやりと冷たいけれど、わたしの頬は火照っていた。
 なにも考えずに返信文を送信した。

リリィ:『じゃあなに? 愛人?』
 
 返信がこない。
 つめたい床が足を冷やす。けれどわたしはそこから動けなかった。スマホを凝視する。
 都合の良いときだけ返信してくるウルフ。
 わたしがほしい答えはぜったいにくれないウルフ。
 女ごころをもてあそぶような態度はウルフのデフォルト設定なのか。そう思うと苛立ちが募った。
 わたしは思わず、スマホをタップして、ウルフに電話をかけた。
 衝動的な行動だった。それはキャンドルの炎だけが照らす薄暗い室内に漂うローズの香りのせいかもしれない。
 プルプルプル……
 20秒ほど経ったころ、
「なんだよ」とウルフの不機嫌な声がした。
「返信がないからかけたの。付きあってないのなら、なんなの?」
 電話越しにウルフのためいきが聞こえた。
「……おまえには関係ないだろ」とかったるそうに言うウルフ。
「関係なくない。あんなこと……して…おいて」
 キスということばを口に出せず、小さな声になってしまった。そして、
「ああいうこと……だれにでもするわけ?」と勇気を出して聞く。
「ああ。だれにでもする。だから勘違いするな」
「サイテー」
「サイテーでけっこう。二度と連絡してくるな。じゃあな」と言って電話を切ろうとするウルフにわたしはまくしたてた。
「そんなんだから、あなたは誰にも愛されないのよ! 人をバカにしてばかりで! 女をとっかえひっかえしても、結局だれにも本気になれないのよ! 遊び人!」
「うるせえやつだな。おまえこそ、ゴウとはヤってるのか?」
「ち、ちがうわよ」
「じゃあ自分のことを棚に上げて、おれを批判する権利はない。だろ? それとも、おまえら金持ち連中はなんでも許されるのか? 人をバカにしてるのはおまえたちだろ」
「え……っ」
「おれで遊んでるのは女たちのほうだ。だが、おれは、おまえらお嬢様たちの暇つぶしに付き合ってる暇はない」
 そのことばを最後に、電話は切れた。 
 
 頭のなかは沸騰してぐつぐつと音を立て、心臓はどきどきと音を立てている。
 わたしはなにをしたの? なにをしたかったの?
 これでわたしたちは終わりなの?
 
 その夜、わたしは、おしりが痛くなるまで、固いフローリングの上で座り込んでいた。
 脳の沸騰は静まらず、ベッドの脇に落ちた手帳の存在を思い出す隙もなかった。
 それからベッドの上にのぼり、目を閉じた。
 いつの間にかキャンドルは消えていたが、薄暗い室内にストロベリーとバラの香りが充満していた。

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登場人物紹介

ウルフ 

男。大学三年生。リリィがひと目ぼれした相手。

リリィ 

女。大学四年生。このお話の主人公。

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