第29話 恋されて大切にされたければ自分から告白してはいけません

文字数 1,380文字

 ウエッジウッドのカバーに包まれた枕元にはいつもピンク色の手帳が置いてある。学生の頃からの習慣だ。
 毎朝起きたらすぐに手帳を開いてその日の目標とそれを達成するためのルールを確認し、毎晩寝る前にそのルールを守ることができたかチェックし、目標の達成度合いをABCで評価して書きこむ。そして翌日のためのルールを作り直して眠りにつくこと。それがわたしの習慣なのだ。
 この習慣を作り出したのは、高校1年生の頃。都内の進学校に進んだわたしは周りの子たちの学力の高さに驚きつつ学校の授業についていくことで精いっぱいだった。向上心が高い生徒たちは毎日少しずつ確実に学力を伸ばしていく。彼らを乗せたクラスのバスに乗り遅れないように、わたしも毎日自分の学力をチェックして日々弱点を克服して学力を伸ばす工夫を編み出した。毎日その日の学習ノルマの達成具合とミスした問題を書き込み、ミスをした原因を分析し、二度とミスをしないためのルールを作る。そのルールを実践するための新たなノルマを作り、翌日の計画を立てて眠る。そのために手帳を書き始めたのだ。
 そう。この手帳の習慣は最初は学力(偏差値)を伸ばすために始めたのだった。
 けれど、希望の大学に入学した後は、わたしの人生の目標は学力を伸ばすことから恋愛に変わった。まるでコペルニクス転換のように180度ぐるっと人生観が急回転したのは、女としての自分の本質は勉強では幸せになれないことと自分の恋愛力の低さに気づいたからだ。弱点を見つけたらすぐに克服したくなる。弱点を克服した自分を想像し、憧れ、熱望する。そのためにトライ&エラーを繰り返す。そういう生活を送ることで生きていることを実感できるから、わたしは常に目標を立てることが好きだった。
 大学時代に本気で好きになった男はたったひとり。ウルフだけだった。
 ひとめぼれだった。
 大学のメインストリートですれ違うたびに目が合って、そのたびに恋に落ちたのだった。
 そう言えばどこにでもある少女漫画みたいな展開だけど、どこにでも転がっているような少女漫画のお決まりのパターンはどこにでもいる女性たちの心に響くもので、それはつまり女性の本能に刻み込まれている大切な遺伝子の一部なのだ。
 ひとめぼれ。
 遺伝子の仕業なのだからしょうがない。逃げられない恋心から逃げ出せばすなわち負けの人生になる。一生自分に自信が持てないまま努力もしないで負け犬の人生を送るなんてことは考えられなかった。
 だから、わたしは毎晩手帳をつけて恋愛のトライ&エラーを繰り返していた。それとともに男性の本質ひいては人間の本質を扱った文献を読み漁って男心の研究をした。そして、経験に基づいた恋されるふるまい方と自分の弱点を克服するための独自の恋愛のルールを作っていた。男性の恋心を壊さない方法。ウルフの心を手に入れる方法を見つけ、そのふるまい方を完璧に身に着けるためにさまざまなルールを作っていたのだ。
 その集大成がこの手帳には詰まっている。

 パステルピンク色の手帳は牛革製なので手に馴染んでやわらかくなっている。
 わたしはヘッドボードにもたれて適当なページを開いてみた。
 すると、『いちばん大切なルール』が書かれたページにあたった。
 その一番上に大きな赤字で書いてある文字が目に飛び込んでくる。

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登場人物紹介

ウルフ 

男。大学三年生。リリィがひと目ぼれした相手。

リリィ 

女。大学四年生。このお話の主人公。

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