第12話

文字数 4,297文字

 「展望台はどうやった、菜美さん」
 霧子に尋ねられ、菜美は正直に答えた。
 「バタバタしていて、実はまだ見てません」
 霧子は不思議そうに聞き返した。
 「バタバタって、なんで」
 菜美は傍らの栄太を見る。さっきと同じカフェテーブルに、菜美は栄太と座っていた。
 「展望台には座るところがなくて、お嬢さんは困ったのですよ。スタジオに椅子がありましたが、古くて座れない状態でした。レジャーシート持って、また出直しますよ」
 栄太がこともなげに話すから、菜美は可笑しくてたまらない。
 「それはご苦労やな」
 苺をのせた皿を配りながら、典子が笑った。
「僕はお嬢さんに遠山町の空を見せたい。満天の星は夜にだけ見える絶景だよ」
 もうすぐ、満天の星の下で栄太と二人きりになる。それは素敵な恋愛映画のようだと菜美の胸はときめいた。さっきは慌てたが、今なら栄太と手を繋いでも良いと思う。
「お嬢さん。宇宙はたまらなく神秘的だ。自分の存在さえも不思議に思えてくるのです」
 栄太が菜美を見て微笑む。
「満天の星を初めて見たとき、僕は宇宙が好きになりました。つまらない存在の僕に、偉大なる自然は優しかった」
 「それやったら、喋らんと早よ苺食べてしまい」と典子が栄太を急かした。
 「そうだな。お嬢さんがお待ちかねだ」
 苺に牛乳と砂糖をかけて、栄太はせっせとスプーンで潰しはじめた。赤い苺と白い牛乳が一緒になって、甘く優しいピンク色になってきた。限りなくスイートな色だと菜美はうっとりする。
 大粒の苺を前にして、理江さんは少し興奮気味だ。
 「凄い苺やね。理江もいちごミルクにする」
 典子が反論した。
 「苺はそのまんまが一番。ちょっと酸っぱい味がうちは好きやな」
 「ひとの好みはそれぞれだよ」と栄太がとりなした。
「典ちゃんはお酒も何でも辛口が好きなんだ」
 典子は目を伏せた。
「そうや。うちは何でも辛口の人生やねん」と呟く。
 その言葉に霧子が寂しい表情を見せた。何とも言えない眼差しで典子を見つめる。それに気づいて典子は話題を変えた。
「栄太君。展望台はもう行かんとき。寒いし、風吹いてる。菜美さんが可哀想やんか。大阪から来て疲れてやる」
 牛乳を持ったまま、理江さんは考え込んだ。
「けど、星空は綺麗やから。菜美さんに見せてあげたいと理江も思うわ。うん、苺は置いといて、今から少しだけ展望台に行ってきたらええやん」
 栄太は困った顔で理江さんを見た。
 「しかし、今の僕は苺に夢中だ」
 栄太の言葉に皆は声を上げて笑った。
 大きくて真っ赤な苺を手のひらに置いて、典子がしみじみと話し始めた。
「この苺は上等。こんだけの数しか入ってないけど、一箱で千円はしてんちゃう。そんな高いのん、三箱もくれて申し訳なかったわ」
「知らない駅にひとりで待たせたからね、僕はお嬢さんにも申し訳なかったよ」
 菜美は明るい笑顔を栄太に向けた。
 「私なら大丈夫。ちゃんと時間潰しできたから」
「そうだった。お嬢さんは待合室で爆睡しながら僕を待っていたんだ」
「そんなん言わんといて。恥ずかしいやん」と菜美は栄太の腕を軽く叩いて抗議した。
「菜美さん、栄太君をどつかんといて。テーブルが揺れてるわ」
 典子がカフェテーブルを押さえながら菜美に頼んだ。霧子が感心したように言う。
「笑いながら喧嘩して、ほんまに二人は仲良しやな」
 栄太は嬉しそうにしている。
 「おばさん。昔から言いますね、喧嘩も」
 理江さんが急に栄太の話を遮り、違う話を始めた。
「理江は嬉しい。こんな大きな苺が食べられる」
「理江さん、急に話を変えたな。僕には明るい話題だったのに」
 栄太が文句を言うと、理江さんは「えへっ」と照れ笑いでごまかした。
「理江さんは苺が好きなんですね」
 菜美はにっこりした。菜美は皆に話を合わせようと一生懸命になっている。
 理江さんは朗らかに笑った。
 「理江はね、苺の模様の服も集めてた」
 「そうやったなあ、理江ちゃん」
 霧子は目を細めた。
「理江ちゃんは小さいころから苺が大好きやった。私も昔は畑で苺作ってたんやけど、理江ちゃんは嬉しそうにこっち見てたわ。それを知ってるから、栄太君も理江ちゃんに苺の箱を渡したんやろね」
 典子が優しく理江さんに言った。
 「理江さん、誕生日に良かったね。栄太くんのおかげやわ」
 栄太はまだ苺を潰していたが、その手を止めて菜美に話しかけた。
「隣の奥さんに留守番を頼まれたんだ。子どもが熱を出したから町の病院へ行きたいって。その病院は待ち時間が凄いんだよ。朝一で行ってもなかなか終わらない」
 その続きを霧子が話す。
「結局、栄太君は留守番を引き受けた。その奥さん、猫が大好きで八匹も飼うてる。毎日、ご飯とかトイレとかの世話が大変らしいけど、えらい可愛がってるわ。今日は、その猫達を置いて町まで行くのが辛かったんやて。その奥さんはこの村に来たばかりやし、ご主人は出勤してた。栄太君しか頼めるひとがなかったんや」
 菜美はにっこりした。
 「優しいんやね、おじさん」
「しかし、さすがに猫八匹を一気に抱っこは無理でした。猫ちゃん達には抱っこの順番を守ってもらいましたよ。猫ちゃん、一列に並んで大人しく待っていました」
 典子が吹きだした。
「栄太君、冗談はやめてや。抱っこの順番の話、理江さんが本気にしてるやん」
 皆の大笑いを聞きながら、菜美は何だか悲しくなってきた。明後日の朝には大阪に帰らねばならない。それはとても寂しいことだった。遠山食堂はこんなに楽しいところなのに。
「どうしました」
 栄太が心配そうに菜美の顔を覗き込んだ。
「苺の種が歯に挟まりましたか」
 菜美は笑って首を横に振った。

 十時になった。
「もう休むわ。皆さん、ごゆっくり」
 挨拶すると、霧子はだるそうに寝室に入った。
 「理江はお風呂はいる。上がったら、また喋ってね」
 理江さんは「熱いお湯がい~な」と歌いながら洗い場の奥にある風呂場へと行った。そんな理江さんを菜美は不思議に思った。菜美が憧れたアンニュイな美人ブロガーは幻だったのか。
 典子が菜美を呼んだ。
 「菜美さん。うちと一緒に来て。今夜の寝場所に案内するわ」
 栄太が慌てた。
 「典ちゃん、ホールに僕ひとり置いていく気ですか」
 典子は素っ気なく言った。
 「女の子の寝室、栄太君は見たいんか」
 「仕方ない。僕は外出します」
 栄太はぶつぶつ言いながら出ていった。
 典子は菜美を厨房の奥に案内した。
 「店の奥にうちらの部屋があるんよ。菜美さんが寝るんは、昔にうちが使うた三畳間。今、うちはおばさんと一緒に寝てるから」
 菜美は迷った。
 学生時代の典子が遠山食堂に住んでいた話を、菜美は栄太から聞いている。典子はそれを知らないだろう。それなら、今初めて聞いたような振りをしようか。
 迷っている菜美に構わず、典子は三畳間の襖をさっさとあけた。
 「たまにやけど、うちはこの部屋でぼんやりすんねん。ひとりでな」
 その三畳間は机と椅子、そして本棚があるだけの質素なものだった。この部屋でひとりぼんやりするという典子に、菜美は寂しいものを感じた。日頃は明るい典子だが、本当は寂しいのかもしれない。
 「ここはうちの勉強部屋やった。お客さんで騒がしてね、あんまり勉強できんかったけど」
 典子は押し入れを開けた。
 「あんまり騒がしいから、ここで昼寝したこともあるし」とげらげらと笑う。
 典子はその押し入れから一組の布団を出した。
 「これで寝てな。ご免やで、こんな古いもんで。お日さんにはあてたあるから」
 「いえ、十分です。ありがとうございます」
 菜美は典子を手伝って布団にシーツをかけた。枕をカバーに押し込んでいたら、典子が聞いてきた。
 「なあ、菜美さん。気になってんやけど、あんたらは結婚すんの」
 「はい。可能性は高いです」
 菜美は照れながら答えた。
 「でも、私の家族が何か言うかなって思てます。年齢のことでも、私自身は年上が好きなんですけど」
 典子は可笑しそうに笑う。
 「年齢差はあるけど、二人に相性あると思うわ。相性なかったら結婚生活は絶望的やで」
 「それは困りますね」
 ここで菜美は口をつぐんだ。思うことを典子にすべて話すのは勇気がいった。
 栄太は自分の運命の人だとは思っている。食べ物の好みが一緒なのは、明らかにその証拠だ。
 ただ、気になるのは定職についていないこと。菜美はもちろん、母と兄もそれを気にかけている。
 また、典子や理江さんのような美人が近くにいるのに、自分のように平凡な顔立ちをしたぽっちゃり体型を選んだ不思議。
 菜美は思いきって自分の気がかりを口に出した。
 「あのう、正直なこと言うたら」
 典子は頷き、菜美の言葉を引き取った。
 「そう。正直なこと言うたら、うちは自分の旦那が栄太君やったらしんどい」
「えっ、典子さんはおじさんがしんどいんですか」
 菜美は驚いて聞き返す。自分が言いたかったことも忘れるほど、典子の言葉は衝撃的だった。
 典子は真面目な顔をして答えた。
「栄太君は大事な友達やし、この店の手伝いも頼んでる。私ら、栄太君がおらんかったら大変やねん。けどな、理想ばっかり追いかけてやる。それはそれで立派やねんけど、奥さんはしんどいと思うで。菜美さん、そんな旦那についていけんかな」
 菜美は戸惑った。典子の話では、栄太は何らかの夢を追っているようだ。それに夢中になった栄太は家庭をおろそかにするのだろうか。
「もちろん、栄太君は自分のために夢を見てんやない。ただ、なにもない村で、ひとに尽くすだけの人生は大変やんね」
 典子は微笑んだ。
「でしゃばりやけど、うちは菜美さんにそれ、はじめに言うておきたかったんよ」
 菜美の気分は沈んでしまっている。典子は親切な気持ちから言うのだろうが、栄太との結婚を反対されていることが分かったからだ。
 典子は敷いた布団の横に電気スタンドを置いた。
「部屋の豆球、切れたままや。これ、使てな」
 暗くなった菜美に典子は気が付いたようだ。慌てて菜美に言うのだ。
「そんな意味で言うたんやない。うちは元旦那でほんまに苦労したから、結婚には慎重になるべきやと思うねん。結婚相手、間違えたら大変やと思うわ」
 典子は押し入れの戸を閉め、部屋の電灯を消した。
「さあ、ホールに戻ろか。そろそろ栄太くんが戻って来る頃や。たぶん、コンビニに行ってんやわ。理江さんもお風呂出たんちゃうか」
 典子は誠意のこもった目で菜美を見つめた。
「嫌なことも言うたけど、菜美さんは幸せになれると思てる。栄太君は嘘つかへんから」
「ありがとうございます」としか菜美には言えなかった。
 
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