第14話

文字数 2,628文字

 菜美は栄太と展望台へ行った。
 夜はまだ寒い。
 「ちょっと寒いのに、おじさんはトレーナーだけで平気なんやね」
 「夜空をイメージしてみました」
 栄太は自慢そうに胸を張った。菜美は興味深く栄太のトレーナーを観察する。それは黒っぽくて濃い青色のトレーナーだった。
 「夜空の色のトレーナーってことやね」
 「そう、あのミッドナイトブルーですよ」と栄太は空を見上げた。
「僕は星がいっぱいの空を見ると、圧倒されてしまいます。壮大なる宇宙の魅力は、その輝きと美しさだけでなく、見ているうちに自分の存在を忘れてしまうことにあると考えています。それはよく言う話であって、僕だけではありません。今の僕はひたすら、空の魅力をお嬢さんと語り合いたいと思っています」
 「う~ん」と菜美は考えた。
 こんなにロマンチックな話を、おふざけの栄太が生真面目に、そして独り言のような語りで菜美に聞かせている。なんと答えようかと迷ったが、正直に思うことを言うことにした。
 「ほんま、きれいな景色やね。私は宇宙のことは知らんけど、空の大きさは感じてる。じっと見てたら、ふらふらして倒れそうなぐらい大きいんやね」
 「僕も宇宙を知りません。ただ、憧れるだけです。子どもの頃は宇宙の図鑑が愛読書でした。宇宙が舞台の映画もよく見ましたよ。いつかは銀河系を旅してみたいものです」
 栄太は夢を追っていると典子が話していた。銀河系を旅したいと言う栄太は宇宙飛行士を夢見ているのだろうか。そうではなくて、ロケットに乗って果てしない宇宙を巡ってみたいだけかもしれない。宇宙旅行も可能になったこの時代だ。
 「僕は宇宙に憧れたが、お嬢さんは子どもの頃に将来の夢を見ましたか」
 急に栄太が聞いてきた。
 「私はねえ」と菜美は恥ずかしそうに笑った。
 「おじさん、私はこれでもモデルになりたかってん。理江さんみたいにきれいに化粧して、お洒落な服着てな。華やかな世界にいてる自分を想像してうっとりしてたわ」
「その話は残念過ぎるな」
 栄太はがっかりしている。
「お嬢さんには『大きくなったら栄太君のお嫁さんになりたい』という話を期待していましたよ」
 菜美は大笑いした。
 「笑い過ぎて倒れそうや」
「お嬢さんは倒れるのが好きですね。気を付けてくださいよ」
 栄太は菜美に椅子を勧めた。誕生会で使ったカフェテーブルのセットが、展望台に置いてあったのだ。
 「さあ、コーヒーを飲もう。ここは照明がないから、電気スタンドを典ちゃんに借りてきたよ」
 テーブルに置かれたデスクライトは、実にシンプルなデザインだ。典子の飾らない性格を感じさせる。
「さっきのお茶会での話だけどね、実は虫を撃退していて遅くなったのではない。ここにテーブルと椅子を置いてオープンカフェを作っていた。ロマンチックを演出してみたくてね」
 得意そうに栄太は笑ったが、すぐに悲しい顔になった。
「珈琲茶碗を貸してほしいと僕は典ちゃんに頼んだ。ところが、僕らの初めてのデートなのに、典ちゃんは紙コップで飲めと言うんだ」
 典子に借りてきたポットと紙コップを栄太は菜美に見せた。
 「耐熱やん、これ。ほんで、飲んだ後は洗わんで済むし。私も紙コップに賛成するわ」
 菜美がそう言うと、栄太はまたがっかりした。
「お嬢さんにもロマンがない。女のひとは、皆がそうなのか」
 しかし栄太はすぐに機嫌を直した。
「冷たい風に吹かれてチョコレートを食べよう。寒さに歯がガチガチしてチョコレートを噛めなくなったら、部屋に入ろうか」
 「えっ。そこまで寒いん我慢せなあかんの」
 菜美は大袈裟に驚いたふりをする。
 「お嬢さん。僕はね、寒さに強くて歯も本当に丈夫なんだよ」
 栄太はチョコレートの包みを開けた。小さな箱の中で丸いチョコレート達がころころと動く。
「チョコレートはアーモンドが一番だな」
「うん。チョコレート食べたら元気出るわな」
 「そうだね。これはちからの種だ」
 二人で同じ箱のチョコレートを食べていると、菜美は甘くて幸せな気分になり、栄太にそっと微笑みかけた。今夜、菜美の心は栄太の傍らにあった。夜空の魔法にかかったかと自分でも思うが、菜美はこの幸せな時を待っていたのだ。朝が来たら、この魔法は解かれるかもしれない。それでも、不思議なこの時間は想い出になるのだから。
 栄太もそう思っているはずだと、菜美はもう一度微笑んだ。なんて幸せなのだろう。栄太が夜空の色をしたトレーナーを選んだように、菜美もまた、天の川のように優しい乳白色のセーターを着ていた。
 「お嬢さん。いつもに増して素敵な笑顔だ」
 栄太が優しく微笑んだ。
 菜美は思うのだった。デスクライトの光が白色ではなく、優しい橙色なら良かったのに。そうすれば、風が吹く闇の隅にいて、栄太の精悍な顔も甘さを帯びたものとなるはず。ミッドナイトブルーのトレーナーは遠くの空と似た色をしていて、それが栄太の顔を神秘的なものに見せていた。
 「まだ夜が寒くて良かったよ」
 栄太は話し始めた。
 「本当の春になっていたなら、虫がデスクライトに集中してお嬢さんがここから逃げ出してしまう。そして、ロマンチックは台無しになるのだ」
 菜美は笑った。
 「そんな現実的なこと言われたら私はここから逃げ出してしまう。そして、ロマンチックは台無しになるのだ」
 二人は声を立てて笑った。
「嬉しいよ」と栄太が急に真面目な顔になった。
「またデートができると、僕は思っていなかったんだ。二年前には恋愛を諦める覚悟をしていた」
「えっ」
 菜美は戸惑う。ふざけていた栄太が急にそのような話を始めたからだ。
「お嬢さんに話したかったことがある。僕がどうしてこの何もない村で暮らしているのかを」
「おじさん。今、真面目な話してるんやね」
 菜美は栄太に確かめた。
「そうだよ。これが僕の人生だってね。もちろん、お嬢さんが聞きたいと言ってくれたらの話だけど」
 菜美はチョコレートを指でつまんだまま、栄太の顔を黙って見つめた。これはプロポーズを意味しているのだろうか。栄太が大切な話を始めようとしている。
「この何もない村と、遠山食堂の皆が僕の人生を変えたんだ。東京の有名大学に合格してからは、故郷の村を忘れていた僕の人生をね」
 菜美は頷いた。
「話して。私もおじさんに聞きたいことはいっぱいあるねん」
 


 ※
 今回もドラクエから『ちからの種』を勝手にお借りしました。
 本当はもっとお借りしたいのですが、さすがに止めておきます。
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