第42話

文字数 3,695文字

 栄太が気まずい沈黙を破った。
「しつこいようだが、この話は検討に検討を重ねなければならない。投げ槍にならないことだ」
 典子は邪険に言い返す。
「うちは投げ槍なんかやないで。あのひとが何でも自分の好きにするからやん。終いに自分の娘まで利用すんねんから。理江さんにあんな接客させるつもりなんや」
「理江さんは快く協力すると言ってくれた。自分が店頭に立てば客が増えると、理江さんはよく分かっているのだよ」
「それ、栄太君が理江さんに必死で頼み込んだんからや。あのひとと一緒になってな。おかげで理江さん、嫌って言えんかったんやわ」
「それは違うな」
 栄太は厳しい眼差しで典子を見つめて言った。
「自分の推測でものを言ってはだめだよ。理江さんの気持ちが分からないのかい」
 典子はつんと顎をあげて栄太を冷たく見ている。そうして、菜美に訊くのだ。
「栄太君の偉そうな言い方、菜美さんはどう思てる」
 菜美は黙った。
 栄太に賛成したい。理江さんは自分から店の手伝いを申し出たのではないだろうか。『遠山食堂』を残すために、理江さんも一生懸命になっているに違いない。

 典子は菜美の沈黙を気にしたようだ。
「なあ、菜美さんはどう思てんの。何か考えてる顔してやるけど、遠慮せんと言うたらええやん」
「えっ。私はそんなこと言える立場やないし」
 返事を避ける菜美に、栄太が微笑んだ。
「お嬢さんも意見を言えば良いのだよ。僕はいろいろな考えを聞いてみたい。無駄な考えなど、ありはしないのだからね。それに、お嬢さんはブログで『遠山食堂』の広報担当をしているのだ」
 それならと、菜美は率直に答えた。
「理江さんが店頭に立つの、私は大賛成。有名人が販売に協力してるお店って、それだけで凄い武器を持ってると思うんです」
 栄太が嬉しそうに叫んだ。
「さすがだね、お嬢さん。それは素晴らしい考えだよ」
「何でやのん」と典子は恨めしそうに菜美を見た。
「すみません。けど、私かって、もともとは理江さんに会いに大阪から遠山町まで来たんやし」
 栄太は満面の笑顔を見せた。
「そうだよ。この店にとって、理江さんは最大の武器になってくれるよ。いや、最大というよりは、伝説の武器だな」
 典子は露骨に嫌な顔をした。
「つまらん話やな。伝説の武器って言うてるけど、うちはそんなん知らんわ」
「知らなくて当然じゃないか。伝説の武器というぐらいだからね、一般的には知られていないものだろう」
 菜美は吹きだしたが、典子は険しい顔をして椅子から立ち上がった。
「ふざけんといてな、栄太君。うちは忙しいねんで。もう夕方の仕込みせなあかんし」
 そう言って秘密基地を出ようとする典子に、栄太は慌てて声をかけた。
「すまなかった。ふざけた僕が悪かったよ」
 典子は振り返らずに返事をした。
「ふざけんのが栄太君の性分やってことは、学生時代から分かってるけど、やっぱり腹立つんやわ」
 栄太は立ち上がった。
「お嬢さんも聞いてくれ。『遠山食堂』と竹馬の友である典ちゃんを僕は助けたいと考えている」
「また、その話かいな」と典子の顔が歪む。
「もう、聞き飽きたわ」
「そう言わずに、素直に僕の話を聞いてほしいのだ」

 そっぽを向く典子を栄太は愛情深く見つめている。
「典ちゃんは心に愛情をいっぱい持っている。誰かを愛したくてたまらないのさ。おばさんが亡くなってからは、喜んで理江さんの母親代わりになっていた。理江さんがいなくなったら、今度はお嬢さんの世話を焼きたくて仕方がないようだね。さっき、ドレッシングをこぼしたお嬢さんを見ていた典ちゃんの顔は本当に優しかったよ」
 菜美は真っ赤になった。
「その豊かな愛情をお客や村の人々に向ければ良いと思うよ、おばさんのようにね。さっきも話したが、おばさんは『遠山食堂』にやってくるひとを、料理以外のところでも手厚くもてなしていたよ。お嬢さんがこの村に来てバスを逃したとき、コーヒーだけで何時間でも雨宿りさせてくれる『遠山食堂』を僕は勧めた。お嬢さんが何も頼まなくても、おばさんは店の中で休ませてくれたに違いないよ」
 菜美は思い出した。
 あの一月の寒い日、遠山市行きのバスがなくて身動きできないでいた。そこへ栄太が現れて『遠山食堂』で休むようにと菜美に言った。
 『その坂道を少し上がったら、食堂がありますよ。バスが来るまで、そこでコーヒーでも飲んでいたら良いと思いました。あの店は暇ですから、僕も食べてからよく昼寝してますよ。店主は山野という名の優しいおばさんです。頼んだら枕ぐらいは貸してくれますよ』
「思い出したわ。おじさんは私にお店に行くように言うてくれてたね。雨ん中でどうやって時間潰そかと思てたんよ」
「そうですよ」と栄太は嬉しそうに言うのだ。
「おばさんも僕も困っているひとに知らん顔は出来ないのだ。もちろん、おばさんを見て育った典ちゃんも同じだよ。あのとき、僕の従妹がコンビニで店番していてね、倉庫に居た僕に話してくれた。肉まんを買いに来た若い女性が、バスを逃して困っているとね。それで、お嬢さんを追いかけて行った僕は、おばさんのお店を紹介したのだ」
「そうやったんや。みんな親切やってんね。おかげで私、雨に濡れんですんだわ」
「そうだ。典ちゃんもおばさんのように、ひとに優しい『遠山食堂』の主になれば良いと僕は思っている」
 典子は振り返って栄太を見つめ、聞き取れないほどの小さな声で答えた。
「話がよう分からん」
 栄太はそっと微笑んだ。
「おばさんから受け継いだ『遠山食堂』を守るため、ひとを愛して尽くしたい典ちゃん自身の心を満たすために、山野さんと僕は何度も話し合った。僕はその事実を典ちゃんに伝えたい」
 淡々と話しているが、栄太の眼差しは典子への想いでいっぱいになっていた。

 しかし、典子は首を横に振るのだ。
「山野さんがうちのために何かしてくれるわけがない」
「典ちゃん」と栄太の顔が改まった。
「僕らが考えている商業施設だが、そこにはスーパーや洋品店以外にもテナントを募集するつもりでいる。お弁当屋さんやフードコートを作れば、可哀想だが『遠山商店』は必要でなくなるだろうよ」
「ちょっと、おじさんっ」と菜美は思わず叫んだ。
「そんな言い方、止めて。必要ないなんて、酷いと思わんの」
 栄太は菜美を制するように手を挙げた。
「お嬢さん。話は最後まで聞こう」
 栄太に言われて仕方なく黙ったが、菜美はそっと横を向いた。黙って涙を浮かべている典子の顔が辛くて見ていられないのだ。
「商業施設の予定地は『遠山食堂』から少し離れたところにある。『遠山商店』は、その意味では苦戦するだろう。商業施設のスーパーで買い物したひとが、少し離れた『遠山商店』までお弁当だけを買いに行くとは思えない」
 菜美は栄太に訊いてみた。
 本当は典子が訊くことだと思ったが、涙でものが言えないでいるからだ。
「そしたら『遠山商店』は負けてしまうわ。なんで商業施設に『遠山商店』を入れへんの」
 栄太は大きく頷いた。
「そこだよ。山野さんの考えを今から話すよ」

「本来なら商業施設に移転して営業すれば良いのだが、亡くなったおばさんが守ってくれた店だからね。そして、典ちゃんは自分の妹であるおばさんが我が子のように守っていたひとなのだ。そういうわけで、山野さんは『遠山食堂』を移転しないことに決めたのさ。赤字覚悟でね」
 典子の涙がぽたぽたと床に落ちていく。
「幸い、この店や土地は山野さんのものだから家賃などは要らない。しかし、永遠に赤字でも困るのだ。そういう理由で、僕らは『遠山商店』を思いついた」
 典子は両手で顔を覆ってただ泣くばかり。
「典ちゃんは僕の大切な友人なのだ。そのうえ、おばさんにもお世話になった。それだから、山野さんから『遠山商店』の話を聞いたとき、僕は大いに賛成したのさ」
 栄太は典子の震える肩にそっと手を置いた。
「だから、皆で協力して『遠山商店』を立ち上げよう。お嬢さんもよろしく頼むよ」
 菜美はもらい泣きしていたが、栄太の言葉に何度も頷いてみせた。
「もちろん。私で良ければ何でもするわ」
「有難う、お嬢さん。皆で頑張ろう」
 栄太に続き、典子も涙声で菜美に礼を言う。
「ほんま、有難いわ。菜美さんがいてくれて」
 栄太は典子にティッシュの箱を渡した。
「栄太君もありがとな。ティッシュもやで」
 典子はティッシュを何枚も抜き取って涙を拭いた。

 栄太は机の上に置かれた古いゲーム機器に目をやった。
「この秘密基地も『遠山商店』の休憩所にしようと考えている。壁の写真を公開しようよ。遠山町の歴史としてね。上手い具合に、村祭などの写真が多く残っている。それはある程度の年齢のひと達には、懐かしい時代の光景だと思うのだよ。遊歩道になる前の川沿いの道も写っているぞ」
 典子は壁の前に立って、そこに張られている写真を眺めまわした。
「ほんま、懐かしいわ。壁の写真に田植えんときのがあるわ。おばさんは田植え自体はせんかったけど、みんなのためにお茶の用意してたんよ」
 栄太が誇らしげに叫んだ。
「ここな何もない村だが、人情ならこんなに溢れているのだ」
 

 
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